第九話 真相

〔9〕


 息苦しさに喘ぎながら、ハイヒールで男の足の甲を思い切り踏みつける。相手が痛みで鋭く声を上げ、首の締め付けが緩んだ瞬間、振り向きざまに肘を相手のこめかみに打ち込む。

 男が肘打ちの衝撃でよろめいた隙に距離をとる。いつでも反撃できるように、両手を拳にして肋骨の脇に引き寄せる。空を切るように右手を突き出し、開いた手を一回転させる。小念頭で構えた俺に、相手がたじろいだのが分かった。

「やっぱり、あんただったんだな……」

 俺の声に、襲ってきた男……ユアンがハッと息を呑んだ。

「まさか、ラウ……なのか?」

「そうだ。この格好、やっぱり、あんたの好みだったんだな」

 そう俺は花柄のワンピースの裾をひらりと翻してみせる。

 ユアンが後退りし、今にも逃げ出しそうになる。しかし、行く手を塞ぐようにマックスが鉄パイプを構えていた。

「逃げようとしても無駄だぞ。ラウ、怪我はないかい!?」

「俺なら、平気だよ」

 俺はユアンの手許を一瞥する。その手には、俺がいつも彼を『お仕置き』していた皮ベルトが握りしめられていた。

「チェリーの首にあった絞められた痣を見て、ピンときたんだ」

 紐ではない太さの何かの痣……以前にユアンの裏腿にベルトを打ち付けてしまった時、同じ大きさの痕が出来たことを思い出したのだ。

 凶器が、いつも尻を引っ叩いているものだと気づいた時の衝撃は凄まじかったが、同時に全てが繋がった気がした。

「花柄のワンピースをママはよく着ていたって、前に俺に話してくれたよな。娼婦とママを重ねたのか?」

 ユアンが血の気を失い、白くなった顔にいびつな笑みを浮かべてみせる。

「違うよ、娼婦がママみたいな恰好をしているのがむかついんだ。あんな淫らで下種な女達がママそっくりの恰好をしているなんて、見ているだけで吐き気がするよ……」

 ひっひっ、とひきつけでも起こしたような不気味な笑い声を上げ、眉根を寄せてしまう。

「腹を裂いて、おまけに太腿の一部まで切り取るなんて……どうかしている……」

 マックスの言葉に、ユアンが顔を顰める。

「切り取る……? 何のことだ?」

「……え?」

 訊き返そうとした刹那、ばたばたとこちらに人が駆け寄ってくる気配がした。

「兄貴、こっちです!」

 振り向けば視線の先にチャンの手下達がおり、思わず後退りしてしまった。これは、マズいぞ……焦った俺の前に、チャンが姿を見せる。どうか、バレませんように……しかし俺のささやかな祈り虚しく、チャンが目を眇めて俺を見つめる。

「ラウ、ここで何をしている……」

「そ、それは……」

「ラウ! 危ない!」

 瞬時、マックスの叫ぶ声が響いた。背後の殺気に反射的に構えをとりつつ、身体の向きを変える。ユアンが握りしめたナイフが暗がりに鋭く煌めき、こちらを刺そうと突き出される。

 俺は身体を斜めに反らしてそれを避け、ナイフが握られたユアンの腕を掴んで引っ張り、同時に手刀を頸動脈に叩きつける。

 ぐうっ、とユアンが呻いて膝をつき、「おい、奴を取り押さえろ!」とチャンの怒声に弾かれるように、手下二人が彼に飛びかかった。

 朦朧としたユアンのナイフはもぎ取られ、両脇を手下二人に挟まれて腕を掴まれる。

「事務所に連れていけ」

「は、離せ……離せよう……!」

 事態の深刻さにハッとしたユアンが身体を捩るが、屈強な手下達に引きずるように連れていかれる。チャンの冷たく鋭い目が向けられ、びくりと身体が竦む。

「あの、チャンさん……」

 マックスが俺の隣に立ち、何かを言い掛けたが、チャンは片手を上げてそれを制する。

「マックスさんを外にお送りしろ」

 そうチャンは後ろに控えていた手下のホンに言い、彼は無表情で頷くとマックスを促す。

「……ラウ……」

 心配そうにマックスがこちらに目をやり、俺は小さく笑みを浮かべて頷いてみせる。マックスが何か言い掛けるが、ホンに半ば強引に路地の外へと連れていかれてしまった。

 チャンに向き直り、俺はおずおずと口を開く。

「あ、あの……」

 言い掛けるが肩をぐいと押されてよろけ、背中に痛みが走って呻き声が漏れる。建物の壁に押さえつけられ、底知れぬ怒りに染まったチャンの顔を間近で見つめ返す。

「何故、俺の言う事が聞けない」

 チャンの怒りを噛みしめるような低い声に、俺は観念して目を伏せる。ぐい、とチャンの腿が俺の足を割るように差し込まれる。

「怪我は?」

「……平気だよ」

 そんな事を訊かれるとは思わなかったので、少し驚きながらも神妙に頷く。チャンが忌々しそうに舌打ちをし、俺の唇を彼の指が乱暴になぞる。

「こんな化粧までして、娼婦の真似事か……」

 塗られた赤い口紅を拭うようにされ、互いの視線が絡む。チャンの少し冷たい指先がそのまま顎を辿り、噛みつくように唇を奪われる。

 乱暴に重ねられた唇はすぐに離れ、チャンの手が俺の咽喉を掴んだ。

「部屋に戻っていろ。俺が帰るまで一歩も外に出るな。いいな?」

 息苦しさに顔を顰めながら頷くと、ようやく拘束から解放される。事務所に向かうチャンの背中を見つめ、深い溜息が漏れた。


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