【短編】婚約者は人形のような女だった

黒井影絵

婚約者は人形のような女だった

「フランシア・デキャルト公爵令嬢!今、この時を以って、俺とお前との婚約を破棄する!!」


 この国の王太子であるマリオンは、恋人であるロザリンを傍らに壇上に立ち、言い放った。


 それは王立アカデミーの卒業パーティで起きたサプライズ。

 まるで、物語のクライマックスのような一場面だ。


 王太子マリオンとその婚約者フランシアの不仲は有名で、このアカデミーでは知らない者はいなかった。


 デキャルト公爵令嬢のフランシアは幼い頃から類まれな美貌と知性を讃えられたが、その反面、感情の起伏が乏しく『賢く美しいが傲慢で、まるで冷たい人形のようだ』と貴族達は陰口を叩いた。


 マリオンはその評判を聞く度に、彼女は王太子である自分に相応しくないと、不満を募らせていた。


 両親に不満を訴えるも、彼女のような天才を王家の血筋に招き入れないのは、重大な国家の損失である、と逆に諭され、彼の願いが聞き入れられることはなかった。


 結果、マリオンは、フランシアを徹底的に無視して遠ざけ、他の令嬢を周囲に侍らすようになった。

 やがて、その取り巻きの一人であるフランシアの義妹ロザリンと深い仲になり、何としてでも婚約破棄を両親に認めさせる為、過激な手段に訴えるしかない、とまでに思いつめた。


 彼はフランシアとは違い人並みな娘であるロザリンを普通に愛してはいたが、一方で、この婚約破棄劇に一縷の希望を持っていた。


 彼は何としても、フランシアの人間としての感情が見たかった。


 彼女が公爵家で不遇な立場であることは知っていた。

 それこそ人間らしい感情を失うのも仕方がないくらいに不遇な立場だと……。

 しかし、それでも、マリオンは彼女の感情の発露がどうしても見たかった。


 それに、彼女と比較して到底及ばない自分が、素直に膝を折って愛を囁くのは、王太子としてのプライドが許さなかった。


 怒り、悲しみ、嫉妬、恐怖、諦め、驚き、嫌悪……


 自分の力では前向きな感情を呼びおこせないならば、せめて後ろ向きな感情でも呼び覚ませれば……そうすれば、何かが変化して、見えない扉の鍵が開かれ、何か新しい展開が始まるのでは……そんな儚い希望をマリオンは持っていた。


 しかし……


「はい――婚約破棄、確かに承りました」


 フランシアはそう言って、頭を下げ膝を折って、優雅なカーテシーを披露した。


 そこには何の感情も込められてはいなかった。


 彼はここまでのことを仕出かしたのにも関わらず、軽く受け流された結果、自分が、“彼女の乱れる様をこの目で見ることを渇望していた”、と思い知った。


 誇り高い彼女が取り乱し、理由を問い詰め、泣き、怒る様を求めていたのだと。


 彼女にとって、自分は何の意味も価値もない存在なのだと思い知らされた彼は、誇りを踏み躙られた怒りで目の前が真っ赤に染まった。


 マリオンは壇上から降り、フランシアに詰め寄り、思いっきり、平手で、その取り澄ました頬を打った。


 ――バチン


 会場に異質な音が鳴り響いた瞬間、彼は我に返って、紳士としてあるまじき非道な行いをしたことに気が付き、怒りが冷めていくのを感じた――が、


 マリオンは目の前の光景に愕然とした。


 なんと、さっきまで、そこにあったフランシアの頭は消え去り、ドレスに身を包んだ首のない身体は棒立ちして、美しい顔を持つ頭は無表情のまま傍らの床に転がっている。


「イヤァァァァアァァ――!!!」


 会場のどこかで令嬢の叫び声が上がり、一拍遅れて気絶した誰かが倒れる音が聞こえる。


 楽団の演奏は中断され、その場にいた全員の視線が二人に注がれた。


 無音の会場で大勢の観衆が見つめる中、奇怪な事に首のないフランシアの胴体はゆっくりと動き、ぎこちなくも優美な仕草で、床の上の自分の頭を拾い上げ、首に据え付けた。


 首はくるくると回転しながら身体に沈み、美しい双眸は数回瞬きした。

 フランシアは可愛らしく小首を傾げて言う。


「あら、失礼」


 まるで、何事もなかったかのように彼女がそう口にすると、会場にいた者は一斉に悲鳴をあげて逃げ出した。


「バ、バケモノだーー!!」

「悪魔だ!悪魔がいる!!助けてくれー!!」

「ひぃいいいいぃぃぃーーー!!!」


 人々が一つしかない入口に殺到した結果、躓いた人の上に後続が次々と折り重なって倒れ、華やかなパーティ会場は一転、阿鼻叫喚の坩堝となった。


 壇上のロザリンと王太子の側近たちは、目の前で展開する地獄絵図のようなパニック状態に震え上がり、口を開いたまま青い顔で立ち尽くす。


 そして、マリオンは、観衆の呻き声と悲鳴の中、呆然としたまま無表情な元婚約者を見つめている。


 ・・――◆◇◆――・・


 ――フランシア・デキャルトは天才だった。


 彼女の忠実な執事であり、教師であり、助手でもある、シモンは亜空間に構築された工房の白い螺旋階段を、ゆっくりとした足取りで登っている。


 段上の空間は空中に浮かぶ書斎のようで、フランシアはコンソールに向かい、新しい術式を紡ぐのに夢中になっている。


「お嬢様、そろそろ休憩なさっては?」

 彼はインベントリから取り出したお茶とお菓子をソファの前のローテーブルに並べる。

「はーい、もうちょっと待ってー」

 彼女はそう言いつつもコンソールから離れようとしない。

「お嬢様」

「あー、はいはい、今行くってば!」

 再三の催促で、彼女は作業から離れて、ソファに座り、お茶の時間を楽しむ。


「そういえば……」

 シモンはフランシアが一息ついたタイミングで話を切り出した。

「ん?何かあったの?」

「はい、先ほど、王立アカデミーの学長から量子通信がありまして……ついに王国が身代わり人形に気づいたようです」

 彼はそう言って、くっくっと笑いを噛み殺した。


 フランシアは怪訝な顔で首を傾げ、顎に手を当て思案した後、驚いて言った。


「ええぇーー!!今頃ぉーー???」


 ・・――◇――・・


 ――そう、フランシア・デキャルトは天才だった。


 それは王国では広く知られていた事実だったが、実際の彼女は世間の評価をはるかに超える人外レベルの天才だった。


 そして、それ故に、フランシア・デキャルトは孤独だった。


 母親は物心つく前に亡くなり、公爵である父親は王宮において役職に就いているために政務で忙しく、普段は宮殿の執務室に滞在して、家には帰って来なかった。


 父が領地管理の代行をさせる為に他国の親戚筋から招いた後妻イザベルとその連れ子ロザリンに公爵家を乗っ取られてからは、フランシアは古い別邸に追いやられ、身の回りを世話する召使は彼女に忠実な執事シモン一人のみという不幸な境遇だった。


 しかし、優れた魔術師でもあるシモンが家庭教師として指導したおかげで、彼女の才能は開花し、魔術の天才として注目を浴び王家との縁組が成立した。


 義母はこの事を面白く思わず、フランシアと王太子マリオンの仲が悪化するよう世論を操作し続けた。


 彼女の立場は間違いなく不遇であったが、本人は魔術の研究に打ち込むことさえできれば、世間の評判などはどうでもよかった。


 フランシアはシモンの指導により、王立アカデミーに入る前に空間魔術を極め、亜空間に工房を構築した。

 そして、別邸に隠された書庫で閲覧した古代の魔術書を解読し、その知識を基に、現代では失われた高度な魔術を用いた自動人形技術の研究を開始した。


 彼女は当初、王立アカデミーに入学する必要を感じていなかった。

 天才の彼女からすると、そこは幼児が集うお遊戯会のような場としか思えない。


 王太子は自分を嫌って遠ざけたがっているし、政務に追われる王妃の立場も研究に専念したい彼女には煩わしいだけだ。

 しかも、家庭は既に崩壊している上、国内に友人と呼べる人間はシモンしかいない。

 いずれ全てを捨てて王国から出て行く事に未練は無く、それは彼女の中では決定していた未来だった。


「授業のレベルは低いですが、図書室の稀覯本だけは目を通しておいた方が良いです。出来ることならば写本を作成する事をお勧めします」


 フランシアはアカデミーに入ってすぐに、シモンと懇意である学長に頼み、内密に卒業資格を得て、稀覯本の写本作成に専念し、三ヶ月で作業を完了して、亜空間工房の本棚に写本を収めた。


 そして、彼女は工房で製作した自分と同じ顔を持つ人形を身代わりとして、彼女をアカデミーに通わせた。

 この事はアカデミーの学長の協力を得た上で行った。

 彼は王弟で、シモンとは同じ秘密結社に所属している同志であり、予てより彼女の不遇な立場に同情し憂慮していたのだ。


 そして、フランシアとシモンは空間魔術を駆使して転移を繰り返し、隠された遺跡の中にある古代の賢者が築いた別大陸への転移陣に到達して、大陸外へまんまと逃れた。


 別大陸にある帝国に辿り着いたフランシアは、帝都の大学に入学後、学友と共に研究に専念する。

 そして、数多くの論文を発表して学位を取得、史上最年少の天才魔術博士として名を馳せた。


 特に彼女が製作した自動人形は高い評価を受け、中でも美しく優雅なメイド人形は裕福な貴族たち垂涎の芸術作品として持て囃され注文が殺到した。


 今や彼女は自動人形の大家として、皇室御用達となり、悠々自適の生活を過ごしている。


 ・・――◇――・・


 卒業パーティーで起きた事件のあらましを聞いたフランシアは、どこからどう突っ込めばいいものかと困惑していた。

「まさか王国でそんなことがあったとは……えー、おかしいでしょう?ありえないって……何で王子もよりにもよって、わざわざ大勢が見てる前で婚約破棄するのよ!いや、それ以前に、普通、人形だと気付くでしょ!?」

「それだけ、お嬢様の作品が優れていたという証拠です」

「ええぇー……」


 当初の想定では、人形による身代わりは国外へ逃れるまでの一週間……長くても一ヶ月程度の時間稼ぎと想定していたが、まさか卒業パーティで事件が起きるまで誰も気がつかないとは思いもよらなかったのだ。

 フランシアは報告はなくとも自分が逃亡した事は既にバレていると考え、王国と身代わり人形のことは完全に忘却していた。


「あの人たちって、本当に私自身に興味がなかったのねー」


 これには義母による『フランシアは人形のように冷たく傲慢な女だ』という世論操作が大きく影響している。

 如何に人付き合いが乏しい令嬢の代理である優れた自動人形であっても、所詮、人形は人形だ。

 流石に周囲の人間には多少の違和感はあったが、それが逆に『人形のような女』という世間の評判を裏付け補強するという皮肉な結果になった。

 そのおかげで人形が身代わりだとバレる事もなく、彼女たち二人が安全に別大陸の帝国まで逃亡できたとも言えるのだが……


「……にしてもねー、王国の人たち、ちょっとポンコツすぎなーい?」


 それでも、フランシアは呆れ返っている。


 ・・――◆◇◆――・・


 この事件が故郷を遠く離れた帝国在住の魔術博士フランシアに与えた影響は皆無だったが、王国の関係者は、そうはいかなかった。


 公爵は娘が黙って逃げ出しても当然な不遇の環境に置かれていたと、事件を通じて初めて知った。


 彼は多忙とはいえ事件が起きるまで家の実態を知ろうともしなかったおのれを強く恥じ、王宮の役職を辞任した上で、後妻イザベルに離縁を言い渡し、王都の自宅にて自主的に謹慎し、国王の沙汰を待った。


 国王は人間と見紛う自動人形を製作する稀代の天才が国から去った事を悲しみ、その原因となったデキャルト家と王太子を極刑に処そうとするも、学長である王弟に諌められる。


「彼女の不幸な境遇を知っていながら王命で縛り付けただけで、表立って救いの手を差し伸べなかった以上、我ら王家も彼らと同罪だ」


 その言葉を苦々しく受け止めた国王は、断罪を断念する。


 しかし、直接の関係者達に何のお咎めも無しとする訳にはいかなかった。


 父親である公爵は爵位を降格し、領地の大部分を王家が取り上げた。


 マリオンは王位継承権を剥奪した上で辺境の小さな領地に生涯幽閉する事を王命で決定し、彼はこれを黙って受け入れた。


 そして……


「結婚相手を選べない身の上を嘆いたことが、婚約破棄の理由なら、お前に選ばせてやろう。ロザリンとかいう身の程知らずで愚かな恋人と、婚約破棄を言い渡した自動人形。この二人から選べ。これは王命だ」


 しかし、ロザリンはロザリンで、マリオンと結婚して辺境に行くか、国外追放されるかの二択を迫られると事前に知り、母親と共に逃げるように無断で王都を脱出する。


 その数日後、彼女らは国外にあるイザベルの実家へ向かって逃亡中に、国境沿いの山道で野盗の襲撃に巻き込まれ、そのまま行方知れずとなった……。


 ――と、公式記録には記されている。


 ……もっとも、マリオンはあのパーティー以降、衝撃のあまりロザリンへの興味を完全に失っていた。


 ・・――◇――・・


 マリオンは心底安心していた――あの、フランシアが人形だったことに。


 人形のような感情のない人間はいなかった、と。

 人形ならば、感情がないのは当たり前のことだと。


 よってこれは、ただ自分が無様に踊っていただけの話だ、と素直に飲み込めた。


 実の所、マリオンはフランシアを深く愛していたが、同時に彼女が凡人である自分に振り向く事は永遠にない、と無意識下で察知していた。


 それ故に……手に入らない一方通行の愛は相転移して憎悪となり、彼はフランシアを激しく憎んだ。


 マリオンは募らせた憎しみを爆発させた結果、多くのモノを失い、それによって、これまで認識しないよう目を逸らしていた、自分がありふれた平凡な男であるという不都合な苦い真実を受け入れて、大人への階段を一つ登った。


 持て余していた王族の男としてのプライドが木っ端微塵に粉砕されたことで、マリオンは気持ちの整理がつき、逆にスッキリした。


 ・・――◇――・・


 そして、今、辺境の領地にある屋敷の中で、マリオンはフランシアの顔を持った自動人形と対峙している。


 これまで、が、この世に存在することを不気味に感じていたが……彼女が人形と知った今では……目の前にいるに対して強く惹かれている新しい自分を発見して驚いていた。


「君はこれからどうする?」

 人形は無表情のまま首を傾げ、口を開いた。

「ご主人様の命令は『婚約破棄が確定するまでマリオン王子の婚約者として振る舞うように』でした」

 これを聞いたマリオンは苦笑した。

「あの人は、俺がいつかはこうすると、分かっていたんだな……」

 自分は結局最後まで彼女の掌の上で踊るマヌケな道化だった、と自嘲した。


「婚約破棄を言い渡されて役目を終えた以上、この身は廃棄されるしかありません」


 マリオンは彼女の冷たい滑らかな手に自分の手を重ねて、その澄んだ人形の瞳を見つめた。


「ならば、ずっと俺のそばにいてくれ……俺が死ぬまで、君との婚約は絶対に破棄しない」

「では……婚約破棄は撤回なさると?」

「そうだ。君を、君だけを生涯愛すると誓おう。俺の花嫁になって欲しい」


 彼女はしばらく無表情のまま固まって思案した。


 フランシアはマリオンの日頃の態度と性格から、いつかは婚約破棄を言ってくるとは予想していた。

 だが、彼がそれを撤回するとは、ましてや、あれほど嫌っている自分の顔を持った存在を人形だと理解した上で求婚するという事態は想定していなかった。


 如何に天才のフランシアとはいえ、人間の心の琴線が奏でる音色――特に愛の領域は、未だ概知の外の現象なのだ。


 経緯はどうあれ、婚約破棄は口頭で言い渡されただけで公式には確定しておらず、現在も婚約は継続中である故に、主人に忠実な人形は命令の条件を満たすべく適切で妥当な判断をする。


「分かりました。では、この家で働かせて頂きます」

 彼女はフランシアにメイド人形のプロトタイプとして製作されたので、一通りの家事機能は付いている。


 マリオンはホッとした様子で、彼女に尋ねた。

「君には名前はないのか?このままフランシアと呼べばいいのか?」


 彼女は記憶の中から、一番古い記憶、自分につけられた個別認識名称を思い起こし、口にした。


「……ガラテア」


 マリオンとガラテアは辺境にて、残りの生涯を穏やかに過ごした。

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