後編

 キリエの家は、宵闇街よいやみまちの富裕層の住む地区ではなく、貧民地区にあった。



「キリエ、お前はちいっとも子を身籠みごもらんのう。お前のお母さんは、わしの子をたあんと生んでくれたがな」

 そう言った老いた男には鼻が無かった。


「爺ちゃん、キリエはおそらく子どもを生めない体質なんだよ、おそらく。そしてそして、妹ながら、そして不憫ふびんだなぁ」

 やたらと、声の大きなキリエの兄が言った。


「でもでもさ、でもでもゴックンすると、おそらくそしてそして、子宝に恵まれるって聞いたよ。早速試そう。ほら、キリエ、口をそしてそして、あ〜んしろ!」

 キリエは素直に、兄に向かって口を開けた。


「ふふふ、実はそう思って、父さんがここんとろゴックンさせてるよ」

「あ、父さん、そしてそして、おそらく、ずるいなぁ!」

 自らを父さんと言った男には両耳が無かった。


「キリエは誰の子を身籠もるのか見物じゃな。わしも歳じゃが、あっちの方はまだまだ。若いお前たちに負けはせんぞお」


「まあ、キリエばっかりかまっちゃって。母さんも相手して欲しいわ」

「じゃあ今夜は、わしと息子でお前の相手してやろうかの」

「ふふ、お父さんと二人でたっぷりサービスですな」


「いやあん、カラダが持つかしらん。お父さんもダーリンもすっごおおおく、お強いから」


 頭が尖ってたり、指の数が少なかったり、腕が二の腕までしか無かったり、ケモノの後ろ足のように足が逆関節だったり、二人が結合していたりする弟たちは言った。

「ぼ、ぼぼぼくたちはあああ?」


「お前たちは若いもん同士、ちちくり合ったらええじゃろ」

「わーい、白雪姫ゴッホだあ。ハイホー、ハイホー」


 そんな家族の和やかなやりとりを、7人の弟たちに、揉みくちゃにされながら黙って見つめていたキリエは、ボソリ呟いた。


「わたしって、本当は誰の子? 街の人たちが言ってる、わたしたち家族がしているインセストって何? ノーバイって何? キンキやインセストってなに? インセスト……インセスト……インセスト……図書館で検索してみよう」


 *


 翌日、白鳥の姿で飛びまわり、キリエの家を探し当てた白玉が見たものは。

「え、うっそ……」


 血の海の中の惨殺死体たちに混じって、はさみを持つ血まみれの少女、キリエの姿だった。


 キリエは虚ろな眼差しで、想いを巡らしていた。

「わたし、良い子でいなきゃと思ってたから、なかなか気がつかなかった。〝ステキな家族〟って呼ばれてた意味、ようやくわかったの。てっきり褒められてるのだと思ってた……ずっといけないこと続けてたなんて……汚れるのよ、すっかり汚染区域と化してたのよ、消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ消毒しなきゃ猛毒消毒猛毒消毒猛毒消毒…………」

 そうポツポツ呟きながら、キリエは薄っすらと笑みを浮かべていた。


 白玉は、ただ呆然と呟いた。

「み、みんな、死んでるじゃん……」


 *


「マーダちゃん、もうあんたに用は無いから……。キリエのこと殺さなくていいわ」

 白玉はガックリきて言った。


「ええ、な、なんで???」

「あたしの方こそワケがわからないわよ!」


 *


 白玉は白鳥の姿で、酸の雨を浴びながらプリアポスの泉をたゆたっていた。

 呟きが口をついて出る。

「はあ、もうガッカリ……。幸せな家庭って幻想なのかしら……」

 

 白玉は思った。──キリエって、何かわけありの子? この街で最も美しいと思ったのに、男という男はみんな、キリエのこと、避けてるみたいだったわ……。結局、一人も客を取れなかったなんておかしいでしょ。


 水面に浮かんでいた白玉の前に、タムが現れ、声を掛けた。

「えと、白玉。マーダの姿がここん所、見えないんだけど、何か知らない?」


「うん? そろそろ帰って来る頃合いなんじゃないの? てか、タムちゃん慰めて。う~んと撫でて」


「あら? こ、これは……」

 白玉はあることにふと気が付いた。


「この宵闇街ではキリエが最も美しいと思ってたけど、上には上がいたのね! あたしね、人の心の海がヴィジョンとして少し見えるの。タムちゃん、あんたの心の海にキリエをも超える美しい女がいるじゃん! あんたの心の海で美しく飾られてるこの女にシェイプシフトー!」


 白玉は白鳥から脱皮するような塩梅で、その女とやらに、みるみる姿を変えた。

 タムより、少し年下に見える少女だった。


 それを目の当たりにしたタムは目を剥いた。

「オ、オルネー……」

 

 自分が命を削るよう、人形として再現を試みていた、遠い昔にどこかで見た少女が、直ぐ手の届くところに立っていた。

 しかも、名前すら知らないはずなのに、口をついて出て、自分のことながらも驚いた。


「ん? この女、オルネーっていうの?」

「……いや、ちがう。えっと、オルネーは僕のオウムの名前で……オルネーの……そうだ、元の飼い主の……」


 タムは、混乱ぎみにも、記憶の封印を引き剥がしに掛かっていた。


「元の飼い主の?」

「ね、姉さん……僕の……。そうか、そうだったんだ」


「あんた、身寄りがないって聞いてたけど姉さんがいるの? この姿って、あんたより、年下に見えるのはどういうわけよ? 妹じゃないの? ま、いいや。じゃ決まり決まり、あたしは今この瞬間から……あんたの妹で、あんたの唯一の家族。あたしの兄よ。弟でもいいけど。ずっと二人っきりで水入らずで暮らそうね、タム」


「えっ……」

「あたしはあんたを愛して、思いやってあげるから、あんたはあたしのこと愛していたわってね」

 そう言って、ニンフのように美しいものは、タムを抱き寄せた。


「そんな夢みたいだ……姉さんとまた一緒に……」


 ロニィにも事情を話して、どうにか、暫くは一緒にメイドとして働き、いつかは自分たちの家を買いたい――そんなタムの語る話を、精一杯、姉らしくふるまい、快く聞き入っていた。


 姿を変え、すっかりその気になっていた白玉だが、

不意に、未だ感じたことのない痛みにも似た違和感を感じた。


 次第に、身体のあちこちの痺れと共に、自由もきかなくなってきている。

「うっ、え? そんな……カラダが……」 


 タムの姉の肉体はどういうわけか、ゆっくりと石化しつつ、砕け散り始めた。


 白玉は、その原因に直ぐ思い当たった。

 そして、覚悟したようにささやいた。

「……そう、どうりで美しいはずよね」


「あんたの姉さん死んでたんならね。死せる女の美しさは絶対で永遠なのよ……うかつだったわ。やってはイケナイことしちゃった」

 タムは、オロオロするばかりで、状況がのみ込めなかった。


「あたしは不老不死だけど、唯一弱点があって、死者にシェイプシフトすると土に還っちゃう」

 タムは砕け散ってゆく姉の姿を目の当たりにし、全身から力が抜けてゆくように言った。


「そんな、折角……」

 打って変わって、白玉は普段の明るい表情をつくってみせた。


「あたし、もう結構長く生きたし潮時かもね。色々悪い事してきたしね……。こうなってしまうのも運命だったのよ。夢を見た分だけ、その代償は高いのよね」

「い、嫌だよ!」

 タムは発作的に叫んでいた。


「……ね、鏡を見たいわ」


 タムは朽ちつつある白玉をそっと大事に抱え、屋敷内の大きな鏡の前へと運んだ。


 白玉は鏡に映った、自分が最後に変えた姿を、タムに支えてもらいながら見つめていた。


「きれい」

 

「あたしこの世で最も美しいのね。悪くないわ、こうしてあんたの体温感じながら終わってゆくのも。

あたし、あんたの姉になれてたら、あたしたちどんな姉弟になったのかな?

悪魔でも、エーリュシオンに逝けるのかしら。なんてね」

 タムは、大粒の涙をぼろぼろ溢して言った。

「逝けるけど逝かないでよ! また、ひとりぼっちになるの嫌だよ」



 タムの姉の姿をしたものは、完全に砕け散り、ついには白玉はカタチを失った。


 *


 その日、宵闇街では珍しいことに、薄暗い屋敷内には、午後の日が差していた。


 ロニィはタムに言った。

「マーダは、いつになったら姿を現すんじゃ。またキツいお仕置きをしてやらんといかんのう」


 タムはなにも答えず、荷物をまとめていた。

「タム? 今日はえらく何やら憂いのある目をしおるな。さてはマーダのおしりが恋しいのだな、憂いの玉三郎よ」


「……何か反応してみせろ。タム……」

 ロニィはしきりに、タムのいつもと違うたたずまいに不安感をつのらせていた。


 タムは思った。――だって図星だもん。僕はマーダのおしりをいじくってボッキさせてしまうようなヘンタイ性欲者なんだ。……姉さんの死体だって、ちゃんと残ってたらと思うと……。ああ、でもそんなのいけない。そんなこと考えちゃ。


 姉に姿を変えた白玉の幻影がタムに囁いた。――そう、ダメだと思うから余計に燃え上がるのよ。あたしもね、あんたと何もせずに終わったなんて、地縛霊にでもなっちゃいそーよ。


 タムは、ひとしきり荷物をまとめ上げると言った。

「ロニィさま、勝手をお許しください。長い間、居場所のない僕を置いてくれて……本当に感謝してます。ありがとうございました」

 

 虚をつかれたようにロニィは反応した。

「ちょ、どういうことじゃ!? えっ、えっ……」


「姉の死体探しの旅に出ようと思います……戦争の混乱で行方知れずになったってだけで、死んだってわけでも……姉さんの死体だけ確認してなくて」

 

「そんなの、概ね死んでおる! 生きていたとしても、飢えたけだものどもに蹂躙された挙句、おぞましき姿に成り果てておるわ」

 ロニィの言ってることは、正論だろう。タムはそう思った。


「……嘘ですよ。人形を作って売りながら、色んな世界を巡ってみようかと。行くよ、オルネー」

 そう言うと、ピンクのオウムはタムの肩に止まった。


 ロニィはしまいには、この世の終わりみたいな顔になり、それはもう必死に止めたが、その甲斐もなくタムは行ってしまった。



 *


 一方、少年マーダ。

 ナイスアイデアがひらめいていた。


「せや! キリエさんを殺してまうくらいの勇気があるんやったら。どうせキリエさんとは結ばれへん運命やねん。いっそ告ってフラレてもーた方がスッキリするってもんや」

 マーダはそう呟きながら、走っていた。

 雑踏の中に、ようやくキリエの姿を見付けると、呼び止め……。


「――っちゅーわけで、キリエさん、よろしくお、お願いしまあああす!」

 キリエはちらっとマーダの方を見やり、そして言った。



「いいわ。こんなわたしでもよければ」




〈了〉

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花嫁の着衣 La Toilette de la mariée 西木ダリエ @velvet357

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