花嫁の着衣 La Toilette de la mariée

西 喜理英

前編

 その古都は、あたかも暗黒のとばりに覆われたかのようだった。


 極限まで膨れ上がった産業文明は、諸刃の剣。

 糸の切れた凧のように、制御を失い暴走。崩壊してしまったのは遠い昔のこと。

 もはや旧時代の遺物を再び生み出す技も忘れ去られて久しい。

 人々はかつての栄華に寄生するように生きていた。


 酸の雨は降りしきり、灰色の雑踏は霧にむせぶ。

 無造作に転がったジャンクたちが歌う掃き溜めは、宵闇街よいやみまちと呼ばれていた。



「メイド! メイドはどこじゃ!」

 ヴィクトリアン様式の古い屋敷の中に、少女の声が響いていた。


 熱帯の狩猟採取生活を送る人々などに見られる天然のパンチパーマに、ミスマッチにもほどがあるメイド服。

 ミスマッチもともすればギャップ萌えとして通るかもしれない。

 そんな出で立ちのそれはそれはブサイクな――否、ブサ可愛い、14歳になる少年、マーダ。

 彼は、心ここにあらずといったふうで、屋敷の中の少女の声を無視し、窓から宵闇街の通りをう雑踏を見下ろしていた。


 あたかもスナイパーのごとく、ターゲットであるところの虚ろな眼差しの、銀髪の蒼白く美しい少女をしっかりとロックオンして。


「ああ、愛しの薄幸の乙女、キリエさん……。ああ、出来ることなら、あなたの一週間履き続けたパンティが欲しい」


「……視姦してる場合じゃないよ」

 ふいにマーダと同じ年頃の少年のタムが現れた。

 少年と説明しなければ、メイド服が違和感ないような中性的な少年である。

「ロニィさまがお呼びだよ」



 マーダとタムは主人のロニィを前にして頭を垂れていた。

 主人といってもロニィは、まだあどけない生意気ざかりのブロンドの縦ロール。

 お人形のような少女である。


「何をしておったのか! ロニィを退屈させた罰っ! お仕置きじゃ、ゾンビの刑に処す!」


 タムが、げんなりとして言う。

「ええっ、またゾンビの刑ですか……」

「嫌ならクビにしてもよいのだぞ」


 いちじく浣腸。

 タムはじっとを見つめながらそれを手に持っていた。

 一方、マーダはひつぎに入り、四つん這いで尻をぺろんと差し出していた。

 マーダの眼差しは虚空を見つめていた。


 そんな二人の少年の様子を、楽しそうに見てるサディスティックな少女は言った。

「メイド服を着たタムは、完全に娘だからして、そんなタムに浣腸などされたとあっては、さぞやエクスタシーに違いあるまいのう。ホホホ」


「あっ、ワシお尻の穴、よっ、弱いんや! もっと優しくやって! てか、わ、ワシはキリエさん以外の女は興味無いんや」

「僕は女じゃないよ!!」


 事は済み、マーダはお腹をかかえ悶絶していた。

「も、漏れてまううう! トイレ行かしてえええなあああ!! あばばばばば……」

 ああ、無情。レ・ミゼラブル。ロニィは冷酷にも言ってのけるのだ。


「よし、柩のふたを閉めろ! そして、よーくシェイクするのじゃ」


 ガタガタガタとタムは、しかたなくマーダの入った柩を転がし続けた。

 やがて異臭が漂い始めていた。


「よーし、もうよいぞ」

 タムは素早く柩から離れた。


 ガタ。ガタガタと柩の蓋が開き、ゆっくりと全身糞尿まみれの異臭を放つ、哀れな少年が姿を現す。


 ロニィは嬉しそうに叫んでみせた。

「ゾンビの誕生じゃ!」


 自棄になったマーダは「ゾおおおンビいいい」と呟きながら、よれよれとタムとロニィを追いかけた。

 二人は、それはもう真剣に逃げ、階段を駆け上がった。

 そのいとま、先に階段の踊り場に辿り着いたロニィは、自分の背丈の二倍はある、熾天使の彫像をタムに向けて押し倒した。

 タムは、天使を抱きかかえるような塩梅で、仲良く階段を転げ落ちてゆく。


 やがて、階段の下で、あちこちの打ち身の痛みに身悶えしてるタムの前にゾンビの魔の手が。


 マーダは言った。

「ゾおおおンビいいい」


 ゾンビは力一杯、動けぬタムに抱擁するのだった。

「あばばばばば……。僕もゾンビにいいい!」


 *


 タムは、ロニィが寝ついたのを確認した後、自分たちの部屋に戻り、朝を迎えていた。

 といっても、夜が明ける4時間ほど前には起床するのも日課だった。


 タムのつくる人形が、ささやかながら小銭稼ぎになっていた。

 どうしたら、もっとよく売れるだろうか。美しい少女の基準とは。


 タムには、完全な――美の極みと思える少女の面影が、記憶の中にあった。

 でも、その少女とはどこの誰かも判らない。

 もう遠い昔の記憶なのだろう。

 

 そんな記憶を頼りに、素直に自分が求める、内なる美しい少女を再現すべく、粘土をこねた。

 エロ目線で買われるのに抵抗を感じていたが、それは仕方ない。なんせ、まだ未熟。エロ目線で買って貰えるだけでもありがたいくらいだ。

 課題は、途方もなく多かった。


 ピンク色の大きなオウムのオルネーは、ケージの中で、まだ寝ていた。

 戦前からタムの家にいたオウムである。


 6年前に終戦を迎えたが、タムもそしてマーダも戦災孤児となり、貧民地区より酷い生活を長く強いられてきた。

 そんなタムやマーダのような子どもたちは、かつて沢山いた。

 しかし、一人また一人と、そんな子どもたちの姿は消えてゆく。

 運の無い子から順に。

 疫病に飢餓、大人たちの玩具。

 そして、生きるためには何でもして。

 それでも、オルネーは、手放すことのなかったオウムだった。

 タムにとって、唯一の家族なのだろう。


 運良くこの屋敷のロニィに拾われてから、2年ほどが経っていた。


 そろそろ、メイドの仕事に取り掛かろうと思った頃、同じ部屋のマーダがようやく起き出した。

「……もうゾンビの刑はいやや〜」

「だったら、毎日しっかり仕事しようよ」


「わ、ワシ~、今日は仕事休むわ」

 マーダの唐突な一言。さらに付け足す。

「いや、これからもずっと休むことになるかも。退職かな……」

「な、なんで?」

 面食らったタムは聞いた。


 マーダはボソリと語り始めた。

「実はな昨日の夜、買い出しの帰りに何故かキリエさんがプリアポスの泉のほとりで、無防備に眠っててん……」


「そ、それで何かしたの?」

「つい出来心で……」

 一呼吸置いて続けた。


「や、やってしまったんや! 麻の袋に入れて拉致ってもーてん……」


 そういえば――と、タムは、もぞもぞと蠢く大きな麻の袋に気が付いていたが、人形づくりに没頭する余り、気にしてなかった。

 その麻の袋を見やり、尋ねた。

「キリエさんはここだね?」

 

「こうなったら、キリエさんを監禁して、ワシだけのモノにするしかない……。どーせ告白なんかしても、ワシなんかフラレるんがオチや。キリエさんとは結ばれることは無いんやったら……」


「早まるなよ! 僕らは孤児だけど、キリエさんは僕らと違って、なんて言うのかな。生きてる世界が違うって言うの? 家族がいるんだろ?」


「ああ、なんやステキな家族がいてるって噂よく聞くなあ。ステキな家族のキリエって」


「素敵な家族?」と、タムは口にしながらもそのことについては深く考えようとしなかった。

 薄幸の乙女とも聞くのに、何故か、ステキな家族と呼ばれるキリエ。


「ま、拉致ってバツが悪ければ、僕のせいにすればいいじゃん。とにかくこのままにはしておけないよ」


 タムが麻の袋の縄を解く様子を、マーダはただ力無く立ち尽くし、見つめていた。


「僕のせいにすればいいですって? もう遅いわ! 話はすっかり聞いちゃったんだから!」

 そう言って麻の袋から出てきたのは、人間ではなかった。


 ――白い水鳥だった。

 その水鳥が不可解にも人間の言葉を話していた。

「よくも拉致監禁しちゃってくれたわね!」


「アヒル!?」

「アヒルじゃないわよ! 白鳥よっ!!」

 白鳥は扉の陰に隠れたかと思うと、代わりに現れたのはなんとマーダの愛しい少女、キリエだった。

 手品を見てるようだった。


 全裸のキリエが大事なところを隠しつつ。


 まるで白昼夢(今は朝だが)。狐ならぬ、白鳥につままれたマーダとタムであった。


「……やっぱし、キリエさんや!」

「ど、どういう仕掛けになってるんだ???」


「あたし、キリエじゃなくて、ホントは白玉っていうのよ。白鳥をかけあわせ天使にも似たキメラな人造人間。ホムンクルスなの。基本の姿は白鳥でね、気に入った人間にシェイプシフトする能力を持ってたり」

 シェイプシフト。

 古今東西広くに分布してる民間伝承にシェイプシフターというものがある。狼男など、姿を変える、変身能力を持つ怪物や妖怪の類いを指す。

 白玉の云う、シェイプシフトとはそれにちなむものであろう。


 ホムンクルス白玉は、今自らにマーダの愛しい少女、キリエのフォームを与えていたのだった。

 フォームだけを模倣してるだけであったので、マーダは何か違和感を感じ取っていた。


 そういえば、キリエとはキャラがなにか違う。少なくとも薄幸の乙女には見えない。

 生命力に溢れた、タフで強い少女の目をしていた。



「この街を観てまわったら、そのキリエという子が一番美しいと思ったからシェイプシフトしてみたの。あたしは常により美しい女へとシェイプシフトを繰り返してるのよ。その方が、まあ、優雅に暮らせるしね」


 キリエに化けた白玉は、マーダを見つめて言った。

「あんたね? キリエに恋してるのは。このキリエって女のことよく知ってるの?」

「そ、そらワシしょっちゅうストーキングしてるから……」

「ステキな家族がいるって本当?」


「うん、ワシまだ見たことないんやけど、おじいちゃんとお父さんお母さんとお兄ちゃんと7人の弟がいてるって話聞いたことあるで」


 それを聞いた白玉はニコリと微笑んだ。

「へえ~、いいじゃん! いいじゃん!」


 キリエの姿を、ただ模してるとはいえ、本当にキリエが笑顔を浮かべてるように見えた。

 マーダは、キリエが笑うとこんなふうになるのかと初めて見た笑顔に萌え死にしそうだった。


「そこでお願いがあるのだけど……。拉致って監禁しようとするくらいのバイタリティ溢れるあんたにしか出来ないお願いよ」

 白玉は、マーダにすがるような目をしてみせ、言った。


「わ、ワシ~、な、なんでも相談に乗るで!」


「そゆことで、ちょっと二人きりにしてくんない?」とタムに向く。

「出来ればイケメンくんの方にお願いしたいところだけど」

 タムは、しかたなくメイドの仕事に取り掛かることにした。


「ワシにお願いって?」

「ズバリ言うわ」

 やや間があって、白玉は言った。


「キリエを殺して!」


 その言葉を聞いたマーダは、意味が解らなかった。

「あたし、自分の手を汚すのはいやんだから、あんたにお願いするの。えへへ」


 なんとか口を開くことが出来たマーダだったが「え」と言うだけで精一杯だった。



「キリエさえ消えてくれたら、ステキな家族はあたしのモノになるじゃん。あたしってば人造人間でしょ。人工的に造出された疑似生命体でしょ。ひとりぼっちなの。せめて人並みに家族を持って愛されたいの。

天気のいい日に干したお布団で眠るような、平凡だけどまっとうな幸せに包まれて生きたいの」


「……せ、せやからって、愛しのキリエさんを殺すなんて絶対無理や~」


「そうかしらん? あんた、あたしに恋してるんでしょ。あんたがキリエを殺してくれるなら、あたしを好きにしていいわよ」

「……好きにしてええって?」


「いいこと? 殺すことでキリエは永遠にあんただけのモノになっちゃう。そんでもって殺した後は死姦するもよし。自室に飾っておくなんてのも、粋なシュミとも言えるわね。更に、このあたしはフェイクのキリエだけど、肉体は完璧に偽造出来ていてよ。あんなことや、こんなことまで……。うふふ、あんたが思いつく妄想、全てを試していいのよ。一石二鳥……ううん、一石三鳥じゃん」


 小悪魔はマーダを誘惑しにかかる。

「更にはフェイクのキリエであるところの、あたし白玉ちゃんは不老不死なの。老いさらばえることとも無縁の枯れない花。いつまでもフレッシュピチピチよ」


「あ、悪魔や!……」

 マーダは、悶えうめくように呟いた。


「いちお悪魔よ。元は、戦時中に大量投入された軍事兵器だし。戦争が終わった後、殺処分されるところ、逃げ出してきたの。まあ、天使にも似た白鳥の翼も持ってるけど。あ、でも天使って猛禽類の翼だったかしら」


 全裸のキリエの姿をしたものが、ピタっとマーダに密着して言った。

「ねえん、キリエもあたしも串刺しにしちゃってん~」

「く、串刺しにする!!」


「わ、ワシ、キリエさんを殺す! どーせワシのモノになってくれへんのやったら、殺すことでワシだけのモノにし、フェイクのキリエさんを好きにした方がええんや!」 


 マーダ少年は心を決めた。

 



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