第39話:美玖が風邪で寝込んでる

***


 日曜日の昼過ぎのことだった。

 突然愛洲あいすさんからメッセージが届いた。


美玖みくが風邪で寝込んでる』


 え?

 一昨日の金曜日は部活もあったけど、元気そうだったけどな。

 急に体調を崩したんだろうか。


 俺は心配になって返信を打つ。


『具合はどうですか?』


 すぐに既読がついて返りが来る。


つらそうだし寂しそうだ。今から見舞いに来てやってほしい。来れるか?』

『はい、大丈夫です』

『そっか。美玖は部屋で寝ている。私は今から外出するし、家には美玖以外いないから鍵は開けとく。直接あの子の部屋に入れ』


 え? 突然俺が訪ねて行ったら、堅田かただは驚くよな?

 彼女は、俺と愛洲さんがメッセージのやり取りをしてることなんて知らないんだから。


『美玖には、私から御堂君にメッセージを送るからと言って、君のLINEを教えてもらった。だからなんら不自然はない。美玖はキミが見舞いに来てくれることを楽しみにしてたぞ』


 さすがだ愛洲さん。さくろうするのはお手のものだな。


『わかりました。今から行きます』


 今日は日曜日だし、堅田がウチのカフェに来てくれるのを楽しみにしてた。

 それが無しになるのはめちゃくちゃ残念だから、尚更アイツの顔が見たい。


 俺は急いで家を出て、堅田の家に向かった。



***


 堅田の家の玄関は、愛洲さんの言葉どおり鍵が開いていた。

 勝手に上がらせてもらって、堅田の部屋のドアをノックする。


「どうぞ」


 かすれた声が聞こえた。

 風邪が酷いのかな。


 中に入ると、ベッドの布団がこんもり盛り上がっていた。堅田はピンク色の布団に頭まで潜り込んでいる。


「大丈夫か?」

「あ……御堂みどう君。来てくれたのですね。ありがとうございます。大丈夫です」


 布団の中から聞こえる声は、こもってるうえに、やっぱりかすれてる。


「そっか。無理すんなよ」

「ごめんなさい。髪も顔もぐちゃぐちゃなのでこのままで……」


 堅田は布団にもぐったまま、申し訳なさそうな声を出した。


「あ、いいよ。気にすんな」

「こんな私のために、わざわざ見舞いに来てくれるなんて、御堂君はやっぱりいい人ですね」

「なに言ってんだ。そんな言い方すんなよ。心配だから見舞いくらい来るよ」

「心配……してくれるのですね」

「そりゃそうだろ」

「御堂君にとって、私ってどういう存在なのですか?」


 突然の問いかけにぎょっとした。

 だけど頭の中には自然と言葉が浮かんだ。


 ──大好きで大切な存在。


 だけどいきなりそんなことを口にする勇気はない。


「えっと……堅田は大事な友達で……それと恋人ごっこの相手かな」


 堅田はしばらく無言だった。

 俺の答えをどう受け止めたんだろうか。


 ちょっと不安になったところで、布団の中から声が聞こえた。


「ありがとうございます」


 思いのほか穏やかな声で、ちょっと安心した。


「でもそう言えば……」

「ん?」

「恋人ごっこなんて言いながら、ずっと苗字で呼ばれてます」

「そうだな」

「やっぱり恋人同士と言えば名前呼びですよね。美玖みくって呼んでもらえますか?」

「えっと……あ、うん」


 好きな女の子を下の名前で呼ぶ。

 それだけのことなのに、胸がキュンとしてドキドキし始めた。


「み、美玖……」

「はい、翔也くん」


 名前で呼び合っただけなのに。

 抱きしめ合った時と同じくらいドキドキして、そして幸福感に包まれる。


 何これ? ヤバ。


「美玖」

「翔也君」

「みく……」

「しょうやくん……」


 頭の中がじわりじわりと溶けそうになるくらい、甘美かんびな響き。めっちゃ気持ちいい。


「あのですね。翔也君にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「あ、うん。なに?」

「恋人ごっこをしてくれるという約束なのに、私が恋人らしいことしようとしたら、なぜ翔也君は拒否するのですか?」

「え? 恋人らしいこと、してるじゃん」

「ハグまではしてくれましたけど、その先は何度も拒否されました。キスや、もっと先のあんなことやこんなこと……」

「あ、いや、えっと、それは……」


 確かに俺はそういうことを何度も拒否った。

 それはキスより先に進むと、姉の愛洲あいすさんに『キミをぶっ壊す』って脅されてるからだ。

 でも愛洲さんから口止めされてる以上、正直に言うことはできない。


「でも御堂君はきっと、品川さんとならそういうこともしますよね?」


 突然美玖の口から出てきた品川さんの名前。

 胸がぎゅっと締め付けられる。


 美玖は少し拗ねたような口調だ。

 自分だけが否定されてる気持ちなのかもしれない。まったくそうじゃないのに。


「そんなことない」


 事実、俺は品川さんからの誘惑をきっぱりと断った。

 だから胸を張ってそう言える。


「ホント……ですか?」

「ああ、ホントだ」

「ホントは私のことが嫌いなのでしょ?」


 そんなことない!

 それどころか、俺は美玖が大好きなのに。

 なんでそう捉えるんだろう。


 胸の奥がズキっと痛んだ。


「それは違う。安易にエッチなことをして、美玖を傷つけたくないからだよ」

「拒否された方が傷つくんですけど……」


 そう思うのもわかる。

 でも美玖を傷つけたくないというのは本音だ。


 将来美玖がホントに好きな人と付き合うことになった時に、俺とキスしたことは過去の黒歴史として、彼女の後悔になってしまう。


「ごめん。それはそうかもしれないけど……やっぱりそういうことは『恋人ごっこ』の相手じゃなくて、本物の恋人とすべきだよ」

「その言葉は……翔也君が私と本物の恋人になりたいという気持ちのあらわれですか?」


 冗談とも真剣とも取れる美玖の口調だった。

 正直に答えるならば、その答えはイエスしかない。


 ──もしもここで、俺がイエスと答えたらどうなる?


 美玖が俺の気持ちを拒否してフラれるか、受け入れてくれて本物の恋人になれるかの二択。

 だけどもしも本物の恋人同士になれとしたら……キスより先に進まない理由がなくなる。


 どっちにしても詰みだ。

 つまり今のこの流れで、俺は『本物の恋人になりたい』と答えるべきじゃない。


 でも『恋人になりたくない』なんて答えたくない。


 ──うおぉぉ、俺はいったいどうしたらいいんだよっ!?


 とにかく話をそらそう。


「あ、そうだ。美玖は俺のことをどう思ってるんだよ?」


 俺はちょっとパニクったこともあって、心の中にあった言葉がポロリと口をついて出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る