Komachi 16


 仕上げた小論文を大学へ送り、書類審査を待つ間にクリスマスはやって来た。


 ジロ君がデートに誘ってくれた。


 地下鉄に乗ってお洒落な街へ向かう。ペアリングを買った後、イルミネーションを眺める予定だ。イブの今日は週末で、正午なのに車内は混んでいた。乗客に押し潰されないように、とジロ君は私を優しく庇ってくれた。


 地下鉄を降り、カップルで賑わう街を歩く。ランチの時間をずらしたのに何処の飲食店もお客さんで犇いていた。ジロ君が調べて案内してくれたパスタ屋さんも例外ではなかった。エントランスでホールスタッフに『ご予約がないと相当お待ちになります。今から一時間くらいかと』と言われて青ざめたジロ君は項垂れる。


「……ごめん。甘く見てた。六原上野と勝手が全然違う」


「大丈夫だよ。ご飯は保留にして買い物楽しもうよ。早く、マフラー以外もお揃いにしたいな。ね?」


 腕にそっと手をかけるとジロ君は頬を染めて頷いた。


 あらかじめ当たりを付けていたカップル向けのアクセサリーショップを訪れ、ペアリングを選んだ。そこもお客さんで賑わっていたので指輪の在庫はないだろうと諦めていたが互いのサイズの在庫が奇跡的にあった。最後の一個。嬉しいな。今日からジロ君とお揃いの物がもう一つ増えるんだ。大事に、大事に着けようっと。


 白と銀色の店内で純白のラッピングを施す店員さんの手元を眺めて顔を綻ばせていると、店外で携帯電話を弄っていたジロ君が戻って来る。


「昼のリカバリー、いいかな? お姫様、また俺にチャンスをくれますか?」


「ふふふ。許して遣わす」


 互いに微笑み合うとジロ君は提案する。


「実は予約しちゃったんだ。電車で少し移動する。そこで指輪着けよう」


「わ。嬉しいな。楽しみ」


『何処へ連れてってくれるの?』と問うと『いい喫茶店』とジロ君に悪戯っぽく笑われた。わー。期待しちゃうよ? 純喫茶とか大人な雰囲気の所かな? 楽しみ! 


 指輪が入った袋を下げ、ジロ君のエスコートで向かった先は帝都ホテルだった。上品で豪華なツリーやリースで飾られたエントランスでは穏やかに微笑んだドアマンがお客さんを出迎えている。


 頭が真っ白になる。いい喫茶店って言ったのに……一流ホテルって……。


「ホテルの中に喫茶店があって、眺めが良いらしいんだ。特にこの季節はオススメだって」ジロ君は私を見つめる。


「喫茶室……カフェラウンジの事だね。ジロ君、ダメだよ。高校生がこんな所」贅沢すぎるよ。パパとママと泊まった事あるけど、ご飯食べるだけで凄いお金かかるもの。


 ジロ君は眉を下げて笑う。


「心配ないって。俺、コマチと過ごすクリスマス、すげぇ楽しみにしてたから……払わせてよ。結構貯まってたから、今、使いたいんだ。こーゆー所じゃないと今日はもう店に入れないと思うし」


「そんな……。私も楽しみだったけどこれはレベルが違いすぎるよ。ジロ君はこれから一人暮らしするんだから少しでもお金あった方がいいよ。それに高校生だけで利用するって……」


「電話してホテルの人に聞いたんだ。『高校生ですが利用してもいいですか? 決して騒ぎません。行儀よくします。お願いします』って頼んだら、快諾してくれた」


「ジロ君……」


「予約しちゃったし今更断れないし……それにコマチが日本にいる間は少しでも多く想い出作っておきたいんだ。今まで放ったらかしてたのに虫がいいけど……」


 繋いだ手に少しだけ力を込める。


「ありがとう。二人で楽しもうね」


 ジロ君にエスコートされ、カフェラウンジに入る。赤い絨毯が敷かれた階段を降り、席へ案内される。階段からも見えたが中庭を望む窓が広い。窓枠がない。……ガラス越しに庭園が見える。三方を建物に囲まれた庭の中央には巨大で白いクリスマスツリーが鎮座していた。天辺の大きなお星様が四階の窓に届きそう……。青いリボンや銀色のオーナメントが散りばめられて愛らしい。所々、仄かに明滅している。きっと電飾も施されているのだろう。暗くなれば更に綺麗だろうな。


 言葉を失い、荘厳なツリーに見惚れているとジロ君は微笑む。


「思わず息を飲むよね」


「うん。ツリー、迫力があってビックリする。それに窓が広くて巨大な壁画を見てるみたい……ううん、教会のステンドグラスみたい」


「じゃあここは教会だ」


 席に座り、ジロ君の勧めでアフタヌーンティーセットを頼む。そして手を差し出し合い、指輪を交換した。クリスマスツリー柄のステンドグラスの前で二人だけの結婚式を挙げているみたいだった。


 おやつに贅沢した分、夜は慎ましく過ごした。コンビニでおでんや唐揚げ、シャンパン風ジュースを買って公園のベンチで白い息を吐きながら高校生らしいクリスマスディナーを楽しんだ。


 ベンチの前でコンビニの袋からおでんの容器を取り出していると、自販機であったかいお茶を買ったジロ君が白い息を弾ませ戻ってくる。


「寒くない?」


「大丈夫だよ。カイロいっぱい貼ったしマフラーも巻いてるし。ジロ君は?」


「寒い」


 悪戯っぽく笑ったジロ君は背後から私を抱きしめた。わーっ! ビックリするよ! 容器落としそうになっちゃった。おつゆが波打ってグラグラする。


「ふふふふ。恥ずかしいね」


 すん、と鼻を鳴らしたジロ君は腕に力を込める。


「……恥ずかしくてもいいじゃん。コマチは彼女だし、俺のコマチだし」


「離してくれないとおでん食べられないよー?」


「じゃあ食べさせてよ」わー。ジロ君ってそんなワガママ言うんだ?


「じゃあアツアツの餅巾着とガンモドキをジロ君の口に」


「やめて下さい死んでしまいます」


 笑い合うとベンチに座る。そして真向かいの一軒家の電飾を眺めながら小さなパーティーを楽しむ。公園の入り口の柵からは時折、ケーキの箱を下げて家路を急ぐサラリーマンや子供の手を引く小さな子供の手を引いてチキンのバケツを抱えたお母さんが見えた。


「みんな、お家でクリスマスをお祝いするんだね」


「……屋根がない所でごめん」ジュースを飲んでいたジロ君は項垂れる。


「え、え。そーゆー事じゃないよ! お外でジロ君とクリスマスも楽しいよ!」


 顔を上げたジロ君は悪戯っぽく笑う。


「ん。俺もコマチと一緒ならすげぇ楽しい」


 秋のデートからジロ君、とても優しいし気持ちをちゃんと言ってくれるから嬉しいな。微笑んでいると頬を染めたジロ君はそっぽを向く。


「……つ、次のクリスマスは……お、俺の部屋で、祝お?」


「ごめん。約束したいけど、大学の事情もあるから帰国出来るか分からないし合格してるかもまだ分からないから……」


「そ、そうだよな。気の早い事言って悪い」ジロ君は頭を掻いた。


「でも私もジロ君と同じ気持ちだから」


「ん。知ってる」


「ずっと、ずっと一緒にいたいから」


「……ん。俺も」


「……いつか二人の部屋で一緒にケーキ焼いてお祝いしようね?」




 年明けに合格通知が届き、ハワイ行きが決まった。家庭教師をしてくれたタロ君は手放しで喜び、ジロ君は寂しそうに笑って抱きしめてくれた。……ごめんね。本当は日本に、ジロ君の側に居たい。でも自分の夢を星に繋ぎに行きます。


 ハワイ行きの支度をしつつもジロ君とデートしたり、店のお手伝いをしたりと過ごしているとタロ君が合格した。蹴る為に試験を受けたので勿体ない話だけど(理Ⅲ)。もちろんバンドメンバーでお祝いした。……タロ君はこの実績をバイトに利用するらしい。塾の講師をやりたいんだって。絶対に人気の先生になるね。


 ビトーさん主導の下、卒業式の後に講堂でミニライブを行った。ロックバンド小林中国餐厅の卒業兼解散ライブだ。赤と黄色のカラーリングのパンダちゃんのバックドロップ幕で彩ったステージで、評判だったナンバーやビトーさんアレンジの校歌ロックを四人でぶちかました。ライブ後は及川先生達がステージに上がって、万年留年生のビトーさんに手作りの卒業証書を手渡した。ビトーさんたら、嬉し泣きしていた。……部外者とは言え、先生達に可愛がられてたものね。


 日中は華やかで騒がしくて楽しかったけど……色んな人や色んな物と別れて卒業を実感し夜は枕を濡らした。そんな日々が続き、いよいよ日本を離れる日が来てしまった。


 空港までパパの車で送って貰った。前日に小林中国餐厅で壮行会を開いて貰い、ジロ君達と笑顔で挨拶したものの、空港に着けばとても寂しくなった。


 スーツケースを転がし、カウンターでチェックインする。預けたスーツケースがベルトコンベアに乗って去っていくと『いよいよ日本を離れるんだな』と胸がきゅうきゅう痛くなった。


 瞳を潤ませているとパパが優しく抱きしめてくれる。


「パパも寂しいよ。大きくなって帰っておいで? いつまでもコマチちゃんを待ってるから」


「……体を大事にしてね? お酒飲みすぎないでね? ママと喧嘩したら直ぐに謝って仲直りしてね? 私がパパの事大好きなの忘れないでね?」


 パパは返事の代わりに強く抱きしめた。……いつもこうやって慰めてくれたよね。小学校行くのが怖くなった時、クラスで失敗して笑い者になった時、苦手な事をしなければならない時、いつもパパは私を抱きしめてくれた。いつも慰めてくれた。いつも味方でいてくれた。中学生、高校生になってから世界が広がってパパから離れてしまったけど……懐かしくて優しい腕から離れるのが辛くなってしまう。


 何分抱き合ってたのか分からない。パパは私を離すと頭にポンと手を乗せる。


「手放せなくなるから、もう保安場へ行きなさい。大きな夢がコマチちゃんを待ってる」


 こっくり頷くとパパに手を振る。手を振りかえすパパの瞳が潤んでいた。


 踵を返し、保安場へと歩む。すると背後で私を呼ぶ声が響いた。男の子達の声……まさか……。


 振り返ると駆けつけて来ただろう、息を切らせたタロ君とジロ君とビトーさんが大きく手を振っていた。


「みんな!」


 三人は息を弾ませ声を出す。


「間に合ったのねーっ! 英語頑張るのよーっ! ワンツーパンチでやっつけるのよーっ!」


「頑張れ! 俺もバンド死ぬほど頑張る! だから待ってる!」


「お土産はーっ! ハワイのビール宜しくでっす!」


 気持ちが嬉しくて顔を綻ばせていると三人はバックドロップ幕を広げる。バンド名の『小林中国餐厅』とトレードマークのパンダちゃんの上に『不滅!』と殴り書きされていた。


 通りを行き交う人々の視線を浴びるが、三人の気持ちがとても嬉しくて離れるのが寂しくていつまでもメンバーと思ってくれるのが誇らしくて頬に涙が伝った。


「ありがとう! 頑張ってくる! 行って来ます!」


 大きく手を振り、踵を返す。すると背後でジロ君の大声が響き渡った。


「コマチーっ! 互いに夢を叶えたら結婚してくれーっ! コマチは俺の嫁だーっ!」


 空港いっぱいに響く愛の告白に驚いて振り返る。ブチ切れたパパがジロ君に飛びかかるのをビトーさんとタロ君が必死で止めていた。


 あーあ……ジロ君らしいしパパらしい。呆れちゃう。……ふふふふ。涙が引っ込んだ。


 再び前を見据えると希望を掲げ私は夢へと一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

The Other Side 乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh @oiraha725daze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ