Komachi 15


 学祭が終わって受験ムードを肌で感じる晩秋、お揃いのマフラーを巻いた私とジロ君は一度だけ日曜にデートした。都内の大きな公園にお菓子と温かいお茶を持ち寄って二人で一日を過ごした。ベンチに腰掛け互いの膝にブランケットを掛け、互いに焼いて来たクッキーを齧りおしゃべりを楽しむ。


 ケヤキの葉が落ちる中、秋風が通り過ぎる中、色んな事を話した。話しにくい事もちゃんと話した。ジロ君が告白してくれた晩とても嬉しかった事、手を繋ぎたいのにずっとさりげなく拒否されて寂しかった事、辛い時は(頼りないけど)頼って欲しい事、後輩の女の子達に言い寄られてデレデレして悲しかった事、ジロ君にもう気持ちがないなら学祭後のバンド解散を機にフェードアウトしようと想っていた事……色々話した。


 ジロ君は終始静かに頷いて私の心の内を聞いてくれた。


「……沢山不安にさせてごめん。告白した時と同じ……いや、今はそれ以上にコマチが大好きだよ。日に日に想いが大きくなって怖い程なんだ。この間、ゲーセンで言った通り、大きな気持ちですげぇ好きなんだ。だからトラウマとか……弱み見せたくなくて、一人で突っ走ってた。それに好きだから……男だから色々考えちゃって、コマチの負担になって嫌われるのも苦しくて……。ほったらかしてごめん。寂しい思いさせてごめん。チキンでごめん。俺も寂しかった。……手、がっつり繋ぎたかったよ。でも俺、手汗大王で酷いからさ……ほら、知ってるでしょ?」


 ジロ君は私の手を握る。秋風が荒ぶのにじっとり汗ばんでいた。私が顔を上げるとジロ君は苦笑を浮かべる。


「宝さんにお薦めされた錆止め使ってもさ、結構な頻度でサブローの弦の張り替えする程なんだよね。緊張すると手汗が酷くなる性質なんだ。タロから貰ったサブロー抱いてあのザマだから、大好きな女の子の手を繋いだらこうなっちまうんだ。告白した時は寒かったから調子に乗って繋ぎまくってたけど……夏場はコマチに嫌われると思ってさ、怖くて繋げなかった」


「夏でも冬でも時間が許してくれる限り、ジロ君に触れたい」


 頬を染めたジロ君は手を解くと私を抱きしめようとする。しかしジロ君の胸に両手を添えて軽く押し返した。


「……コマチ?」


「女の子に言い寄られてデレデレする彼氏には抱きしめさせてあげないよ?」


 眉を下げて抗議するとジロ君はクスクス笑う。


「……ごめん」


「全然反省してないじゃん。笑うなんて酷い」


「悪い。だって困ってると余計にアザラシの赤ちゃんみたいで可愛いから」


「お世辞は聞きませんよーだ」


 舌を出し、顔をくしゃっと顰めるとジロ君に抱きしめられる。


「ジロ、君?」


「俺にはコマチだけだから……。もうあんな曖昧な態度取らないから、卒業後のバイトも女の子がいない所に決めるから。約束する、浮気しないしデレたりもしない。コマチ以外の女の子抱きしめるとか考えられない。……だからフェードアウトとか、何も言わずに別れるとかやめてくれ。俺も怖いんだ。堪らなく怖いんだ。コマチがハワイに行って俺を忘れるのが」ジロ君は私を強く抱きしめる。


「……うん。約束する。ジロ君を想い続けるから、ジロ君も私を忘れないで」


 欲した言葉を貰えて胸を撫で下ろしたジロ君は私の唇にキスを落とした。


 一時間程、ジロ君の肩に頭を預けて落葉を眺めていた。日が沈みそうになり荷物を纏め、しっかり手を繋いで帰路につく。駅へ向かう途中、道を間違えラブホテル街に入ってしまった。心拍が跳ね上がり急に頬が熱くなる。ドギマギドマドマして思わず顔を伏せていると、繋いだ手に力が込められ、ジロ君はいつの間にか立ち止まる。恐る恐る顔を上げると、目を見開いたジロ君がホテルの看板のピンクネオンに照らされていた。


 舌がもつれそうになりながらも呼ぶ。


「ジ、ロ、君……?」


 呼ばれたジロ君は徐に私を見下ろす。……ちょっと怖かった。ジロ君の瞳が怖かった。瞳の奥に潜んだ得体の知れない大きなものに飲み込まれる感じがした。でも自分の心の奥底には期待とかワクワクとかがあって、ジロ君とだったら痛くてもシたいなとも想って……。それも高校生じゃ全然早くて大人の判断としてはダメかも知れないけど……わーっ! 私どうしたらいいの? 何を言えばいいの? 進めばいいの? 退がればいいの? こんな事予想してなかったから下着上下バラバラだし、お肌も乾燥でカサカサ! おっぱいも小さいから残念がられちゃったり……そもそもちゃんとゴム用意してないよ! 


 頭が真っ白になり、どれくらい見つめ合っていたのか分からない。しかし小さな溜息を吐き、眉を下げて微笑するジロ君に意識を引き戻された。


「悪い、間違えた。戻ろう」


「え。あ、うん……」


 ジロ君は繋いだ手をそっと離すと踵を返す。私も後を追うとジロ君は優しく手を差し出してくれた。再び繋いだ手はじっとり汗ばんでいた。……ジロ君も緊張してたの?


 ホテル街を抜けて駅前の繁華街を目指す。ジロ君を恐る恐る見上げると困ったように微笑んだ。


「……本気で間違えただけだから。他意はないから安心してくれ」


「うん。大丈夫だよ」


「そっか。良かった」


 駅に着くまで言葉が見つからなかった。残念だったしホッとしたし……変な気持ちだった。


 電車に乗り、六原上野駅を目指す。ラッシュ時間を微妙に外れた所為か先頭車両に乗り込んだ所為か、乗客は少ない。地下鉄特有の埃臭いシートに座ると小さなため息が出た。


「……ビビらせてごめん」ジロ君はぽつり謝る。


「ううん。ちょっと残念だなって」


「え?」


 わーっ! 私のバカ! 口を滑らせて本音漏らしちゃった……! 絶対に変態だって思われる! 嫌われる!


 顔を真っ赤に染めて両膝を握りしめて俯いているとジロ君がクスクス笑う。


「実は俺も」


 顔を上げるとジロ君は上気した頬を掻いて笑っている。


「……本気で間違えたのは事実だから安心して。でもコマチといつかそーゆー事出来たらなって。俺だって男だからさ。やっぱり毎日、そーゆー事考えるから……。だから嫌われると思って本音を打ち明けられなかったんだ。コマチが割とそっち方面に寛容的で安心した」


「う、うん……それは、良かった。そっか。そうだね。そっか」励まされても何を言えばいいか分からないよ……。何言っても墓穴掘りそう。


「そーゆー気持ちで居たから、つい調子に乗ってコマチの反応眺めてた」


「え……酷いよ?」


 ジロ君はカラカラ笑う。


「いやだって、コマチ可愛いもん。思い切り手ぇ引っ張って連れ込みたいくらい可愛かった」


 わー。恥ずかしい事言わないでっ! でもちょっと期待してたのに。ジロ君の骨なしチキンッ!


 言葉にすれば墓穴を掘るし、どんな表情をすればいいか分からない。安心したような悲しいような困ったような怒ったような変な気持ちで腹を抱えて笑うジロ君を見つめる。するとジロ君は私に気づく。


「……揶揄ってごめん。本当は不甲斐ないって思ってる。そーゆー気持ちはいっぱいなのに何かあった時にコマチと共に乗り越えていく力がないんだ。悔しい事に俺は未だガキだ。だから……俺が独り立ちしてある程度余裕が出来てからいいかな? 俺、コマチが大好きだから誰よりも大切にしたいんだ」


 ジロ君の瞳の穏やかさにこっくり頷く。


「うん。……私もジロ君が大好きだから……綺麗になって待ってる」


 微笑み合い、互いに手を求めてしっかり繋ぐ。ジロ君の手は相変わらずじっとりしてたけど何だか頼もしかった。




 企業主催の英語の試験を乗り越え、タロ君の家庭教師もラストスパートが掛かる。ハワイの大学へ送る英語小論文で頭が一杯になる……ううん、お腹いっぱいかも。だってMDプレーヤーにセットした大好きな洋ロックやジャズのカセットを聴いても直ぐにイヤフォンを外す程だもの。オシャレなティンプレートやギターのピックに刻まれたアルファベットを見ても辟易する程だった。


「もうお腹いっぱいー。英文ごちそうさまって言いたいよー」自室のデスクにヘタれた私はとうとう泣き言を呟いた。


 隣でコーラのハイスツールに座して鉛筆を耳に挟み、辞書に付箋を貼るタロ君は笑う。


「んまー、我慢強いコマっちゃんを泣かせるとは英語って難敵ねぇ」


「問題解くだけならまだ楽なのに、自分で英文編むのは苦しいよー! 世界共通語が日本語になればいいのにーっ! ……泣き言喚いてごめんね。タロ君、自分の時間や店にいる時間削って家庭教師してるのに。タロ君も受験があるのに……」


「気にする事ないのよー? 新ちゃんからバイト代貰ってるし、俺の受験なんてお遊びだから。それにコマっちゃんは地頭良いからジロちゃんに教えるよりもグンと楽なのよー?」


「ふふふ。褒められちゃった」


「ジロちゃんには俺の受験、伏せといてね? お馬鹿に一丁前に心配されんのムカつくから」タロ君は笑う。


「タロ君なら絶対に合格するよ! だって全国統一模試の歴戦チャンピオンだもの。スーパーヒーローだもの!」


「ぐふーん。故にこうやって蓄えた知識でコマっちゃんのお手伝いする余裕があるのよー。……でもこの所コマっちゃん、ちょっとお疲れ気味なのよー?」


「そ、そんな事ないよ。教えてるタロ君の方が大変だもの」


「偶には寛げるご褒美ないとやってられないっしょ? 明日持ち込むわ」タロ君は悪戯っぽく笑った。


 翌日、タロ君はジロ君を連れて家にやって来た。『新ちゃん、お願いがあるんすけどいーい? 小屋が改装中でうちのお馬鹿が勉強出来ないんす。アホかってぐらいデカいけどちゃんと躾てるんす。気立てが良くて吠えないんでちょいと置いて下さんし?』と、リビングで寛ぐパパにジロ君を会わせた。……タロ君、それじゃ犬だよ。ご褒美ってジロ君だったんだね。


 ジロ君を一目見たパパは瞬時に眉間に皺を寄せる。わーっ! 暴れないでーっ! ましてやママが出張の時にーっ!


 カッターシャツを第一ボタンまできちんと閉めたジロ君は深く頭を下げる。


「初めまして。コマチさんのクラスメイトの小林紋次郎です。決して勉強の邪魔はしません。どうぞ宜しくお願いします」


 パパは鼻を鳴らすと腰を上げる。そして書斎へ引きこもった。頭を上げたジロ君は苦笑いを浮かべる。……か、感じ悪くてごめんね。パパってばタロ君やビトーさんにはバイクグッズや高いお酒を上げたり、音楽の話したり『タロちゃん、新ちゃん』『ビトーくん、新さん』と呼び合う仲だったりとフレンドリーなのに。ジロ君には凄く冷淡……ううん、敵意剥き出し。『付き合ってる』って言ってないのに。『クラスメイト』ってジロ君名乗ってくれたのに。


 ジロ君も交え真面目に勉強した。タロ君の計らい通り、ジロ君がいると寛いで小論文に取りかかれた。ふとした瞬間に視線が合ったり、単語探しを手伝ってくれたり……気持ちが安らいだ。


 帰り際、ジロ君は再びパパに挨拶してくれた。でもパパは書斎に引き篭もったまま。ドア越しにジロ君は頭を深く下げて丁寧に挨拶してくれたけど、パパは出てこなかったし一言も口を聞いてくれなかった。


「なはははっ。ジロちゃんってば嫌われてやんのー」廊下に佇んだタロ君はジロ君の背中をド突く。


「ごめんね……」居た堪れずに頭を下げるとジロ君は『気にしてないから』とばかりに笑顔で片手を挙げた。


 タロ君はジロ君の耳元で囁く。


「まるで『天の岩戸』なのねー。ジロちゃん、アメノウズメみたいにストリップしなさいよー」


「ばっ……何言ってんだよ! ンな事したら余計に嫌われるだろ」ジロ君は頬を染める。


「んじゃ、新ちゃんお邪魔しました。小論文、あと少しなんでまた来ますねー。ちゃおちゃおなのよー」


 タロ君がノックすると、ドア越しに『おー。タロちゃんお疲れ様。いつもありがとう。気をつけて帰ってねー』と愛想のいいパパの声が響く。本当、子供みたい。


 三人で声を潜めて笑った。

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