血に染まったような夕焼けの中で
「やっぱり美味しい!」
屋台で買ってきた焼き芋を、彼女は子犬のような可愛らしい口で、一口ずつ丁寧に食べている。僕はその隣で、僕の分の焼き芋を少しだけ齧ったまま、彼女の横顔に見とれていた。
彼女が教室で目立たないのは、ただただ彼女の輝きが教室という場所にそぐわないものであっただけなのだ。
夕陽に照らされ、幼い子供のように焼き芋にはしゃぐ彼女の姿を見れば、この場所こそが彼女の輝きを存分に発揮できる場所であることは、きっと他の誰にでも理解できることなのだ。
ああ。
僕が壊したかった輝きが、今、目の前にある。愛と友情の力で敵をなぎ倒していった、あの女児アニメの主人公たちのような、美しく力強い生命力に満ち溢れた輝きが、僕の正面に花ひらいている。そして、あっという間に彼女は焼き芋を食べきってしまった。
「どうしたの? 早く食べないと冷めちゃうよ?」
なぜか僕がいっこうに焼き芋を食べようとしないのに気が付いた彼女は、不思議そうな顔をした。その頬には食べかすが付いていて、夢中で焼き芋を食べていたのがわかる。幸せそうだ。なんて幸せそうなんだ。この顔を歪ませたい。泣きじゃくらせたい。
「あはは。実は猫舌なんだ。だから少し冷ましてた」
「えー、勿体ない! 焼き芋はアツアツなのが美味しいのに。だけど、猫舌なら仕方ないか・・・」
どうしよう。このまま殴ってみようか。いいや。そんなことはできない。人の目がある。それに、そもそも殴るのは手段であって目的じゃない。僕は彼女の悲痛な顔を見たいだけであって、あるいは傷ついた姿を見たいだけであって、別に殴りたいわけじゃないんだ。
「でも、確かにもったいないね。恵奈さんに少しあげるよ」
「えっ! いいの⁉ でもでも、私まだ奏くんに体育の時のお礼もしてあげれてないし」
「ゴミ袋を運ぶのを手伝ってくれたじゃん。それに、焼き芋屋さんが来る公園も教えてくれた。だからさ、少し僕の分の焼き芋を食べてよ。アツアツな間に食べられた方が焼き芋屋さんも報われるよ?」
「ふふふ。そうかな? じゃあ、お言葉に甘えて貰っちゃおうかな」
「よし。はい、どうぞ」
僕の手元の焼き芋を、僕が齧った部分を避けながら二つに分ける。こんなに沢山、と彼女は驚いていたけれど、僕が半分になった焼き芋を渡すと、彼女は素直にそれを受け取った。
「えへー。 ありがと、奏くん」
再び彼女は太陽の如き満面の笑みを浮かべて焼き芋を食べ始める。一口は小さいのに、物凄い速さで食べ進めていく。まるで長いもをすりおろしているみたいな感じでどんどん焼き芋が小さくなっていく様は、痛快ですらあった。どうしようか。どうしても、どうしても気持ちが抑えられない。彼女の涙が欲しい。平和的でありながら、かつ彼女の心が曇るような、そんな方法は無いのだろうか。僕たちはこの公園に二人でいて、周囲には焼き芋の屋台の店主くらいしか人がいない。夕陽は沈みかけている。空には幾つかの星々が瞬きだしており、蝙蝠も飛び始めていた。
もしかして今、僕たちは恋人みたいなんじゃないか?
ふと、気が付いてしまった。年頃の男女が二人一緒に焼き芋を食べている。彼らはカップルで、焼き芋好きな彼女のために彼氏は自分の焼き芋を半分彼女に分け与えている。傍から見れば、そんな風に見れるのではないだろうか? でも、実際には僕たちは付き合ってない。なんなら、そこまで親しいわけでもない。一回、保健室まで付き添っただけの関係だ。この二つの事象の乖離から考えられる、外から見れば起こってもなんらおかしなことがないが、僕たち二人の関係性だけを見れば絶対に起こり得ないはずのことがあるんじゃないか? それでいて、普通に考えて女子が嫌がるような、そんな行為が。・・・ある。確かにある。しかも、それは女子にとってかなり重要な事柄でありながら、肉体を傷つけることもない。
彼女は僕があげた焼き芋を食べ終わった。そして、僕はようやく三口目の焼き芋を飲み込んだところだった。今だ。今しかない。
「ふぅ。ごちそうさまで・・・んっ・・・⁉」
油断しきっていた彼女を、思いっきり抱き寄せる形で、無理矢理僕は彼女にキスしていた。彼女にとってはわからないけども、正真正銘、これが僕のファーストキスでもあった。特段親しくもない男から突然唇を奪われた衝撃からか、彼女は呆けたように目を見開いて、されるがままになっていた。期待していた反応とは違ったものの、我に返ったときに彼女はきっと怒るだろう。涙で視界を滲ませながら、血走った眼で僕を睨みつけるだろう。もしくは、泣き出して逃げ出してしまうのかもしれない。だから、逃がさない。泣くなら僕の目の前で泣け。全て罠だったんだ、恵奈さん、君は騙されたんだよ。こんな僕みたいな、女子の傷ついた姿が大好きなどうしようもない奴にね。
どれくらいの時間が経ったのだろう。数分経ったような気もするし、まだ十秒も経っていない気もする。焼き芋屋の店主は気を使っているのかこちらを気にしていない素振りをしている。肝心の彼女は、何の動きも見せない。
ショックが大きすぎたのか?
僕自身も口が塞がれていることと興奮のせいで段々と息苦しくなってきており、一度離れようとした。
なのに、驚くことに僕が離れようとしたのを察知して、彼女は僕の後ろに手を回して逆に彼女の方へ僕を引き寄せた。
何が起きているのか全くわからなかった。彼女は間違いなく怒るはずだったのだ。そういうことをするステップを何一つ踏んでいないし、許してくれるのであっても離れることを引き留めなんてしないはずなのだ。そのはずだったのに。
彼女は自分から求めてきていた。
後はもう、僕は弱弱しい子犬みたいに為すがままにされた。彼女の舌さへも受け入れた。彼女が満足するまで、僕は無防備にキスをしていた。お人形のように。
つーっと、僕の鼻から赤い雫が流れ落ちたところで、ようやく彼女は許してくれた。
「二人のファーストキスは焼き芋の味、だね」
いたずらっぽく、彼女は笑った。僕もこれがファーストキスであることなんて彼女は知らないはずだったのに、さも当然のようにそう言った。実際にそれは本当のことだったので、僕は否定も肯定もしなかった。
「今度は奏くんの血で私の制服が汚れちゃったね」
「あ、え、ああ」
「付き合おっか。それで、また焼き芋を食べに行こ。そしたら許してあげる」
何が、と聞き返すこともできず、僕は夢見心地で頷いていた。彼女の悲しみで歪んんだ顔をみたかっただけなのに。いつの間にか、彼女が勝者になっていた。予想外の大負けに困惑し打ちひしがられる僕の耳元で、彼女はそっと囁く。
「実は前から狙ってたんだ。奏くんのこと。あの日の体育の時も私のこと見ていてくれたよね。嬉しかったよ」
そっか。そうだったのか。始めから、僕の負けだったんだ。僕は、力があると勘違いしていただけだったんだ。僕はまんまと餌に食いついた獲物だったんだ。
「どうしたの? 鼻血が止まらないようだけど。私のティッシュを分けてあげるから、そこのベンチで休もっか」
促されるままベンチに腰掛けて、僕は彼女に介護される。
「保健委員なのにね」
優しく、包み込むような慈愛をもって。
「ショックだった? その顔も可愛いね、奏くん」
もう女の子の雲った顔とか涙とかが、どうでも良くなっていた。従順な飼い犬に、僕は生まれ変わろうとしていた。
「もう離さないから」
彼女は笑顔で宣言した。それに対して僕は、血に染まったような夕焼けの中で、
「喜んで」
そう、答えたのであった。
体育館にて サンカラメリべ @nyankotamukiti
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