19_先生の過去

騒がしい二人も帰り、再び部屋いえに静寂が戻ってきた。

もう、すっかり夜だ。


いま紗弓が夕飯を作ってくれている。

ちゃぶ台の上には俺に出されたコーヒーが置かれている。

ご飯ができるまでコーヒーを飲んでいればいいという王様のような好待遇。


でも、高校の生徒に料理を作らせて、ふんぞり返っている担任と考えたらアウトだ。



「先生、結局、先生は桐川さんが好きだったんですか?」



キッチンで料理をしながら紗弓がこちらを振り向いて聞いた。



「まあ、昔な。大学生の頃の話だよ」



紗弓はまたキッチンの方を向いて返事はなかった。

よくみると、俯いたまま背中が震えている。

もしかして、泣いている?

そんな馬鹿な。

昔、好きだった人がいただけの話だ。



「さ、紗弓…さん?」



後ろから近づくと、包丁を握り締めていた。

しかも力強く。

ちなみに、別にかぼちゃなど固い野菜を包丁で切るために力を入れているとかではない。



「さゆ……」


「今、絶賛ヤンデレモード中です」(ブスッ)



まな板の上の人参に包丁が突き立てられた。


「『ヤンデレモード』とは、昔のことを教えてくれないと『先生を殺して私も死ぬぅ』的なモードです。」


「怖いから!けったいなモードを発動させるんじゃない。」



冗談でも包丁で怪我したら大変だ。

目がイってるわけじゃないので、本当に怒っているわけではないようだけど、両頬膨れているあたり、少しはいつもより怒りのボルテージが高いみたいだ。



「あれが先生の結婚を申し込みたい女性の完成形ってことですよね!?」


「いや、別にそういう訳じゃ……」


「でも、プロポーズしたんですよね?」


「あのな……説明するとなると、すごく恥ずかしいんだが……」



いつもは手際の良い紗弓だけど、今日に限ってはまな板の上に野菜がバラバラになっているだけで、料理自体はほとんど進んでいなかった。


動揺?やきもち?

とにかく、集中力は散漫みたいだ。

まあ、恥ずかしいけど、ちゃんと説明する必要がありそうだ。

そうでないと、今日の夕ご飯は生野菜のバラバラ死体となってしまいそうだから。



「あのな……大学時代に、桐川さんにフラれたんだよ」


「……」


「フラれた腹いせに、いつまでも忘れられないように言った捨て台詞で『30歳までにお互いが結婚してなかったら、結婚しよう』と伝えたんだよ」


「……」


「終わりだ」


「え?!」



紗弓が肩透かしを食らったみたいに間抜けな声をあげた。

しょうがないだろ。

事実それだけなんだから。


当時は、フラれても少しでも記憶に残っていてほしくて、そんな捨て台詞にも似たことを言った。

ただ、本当は分かっていた。

フラれたら、それ以上先はないことを。



「ほら、そんなリアクションになるだろ?だから、言いたくなかったんだ。カッコ悪くて」


「それじゃあ、先生が一方的に?」


「恥ずかしい話、そうなるな。しかも、単にフラれただけの話」



紗弓の表情に少し笑みが戻った。

今度は、違うタイプの攻撃が始まった。

上目遣いでこちらを見たら、とんでもないことを言い始めた。



「私も桐川さんみたいに髪を切って胸が大きくなったら、先生は結婚してくれますか?」


「ばか、桐川さんは昔、ロングだったよ」


「今はどうなんですか?」



『今はどう』というのは、当然髪の長さの話ではない。

紗弓は、『今でも好きか』ということをきいてきているのだろう。


確かに、桐川さんは好きだった。

楽しい人だし、きれいだし。

気も合ったと思う。


でも、それは昔の話。

今となっては思い出だ。


ただ、それをいちいち言葉で言わなくてもいいのではないだろうか。

きっと、紗弓は俺の態度や言動で感じ取ってくれているはずだ。

だから、いま欲しい答えは『今ではもう好きじゃない』という言葉ではないはずだ。



「桐川さんのこと?今日一緒に来た坂本と付き合ってるってさ」


「え?そうなんですか?」


「まあ、今日は遊びに来ただけだろうな」



言葉は関係ない。

なんでもないように話すことで『今はもう関係ない』ってことが伝わるはずだ。



「桐川さんは、先生のことをちょっといいと思っていたと思うんです」


「でも、フラれたよ?」


「それは、留学があったから……」


「お前、よく色々知ってるなぁ」



桐川さんか?

紗弓に余計なことを教えたのは。



「ダメ押しっていうか、確認したかったんだと思います」


「俺が約束を覚えていないことを?」


「自分が進む道は1つしかないってことをです」


「……?よくわからないけど、そうなのか?」



紗弓は時々鋭いし、女同士しか分からないこともあるかもしれない。

全部が理解できなくてもいいのだと、俺は知っている。



「まあ、誰かの真似して髪切ったりするなよ?」



紗弓のストレートのきれいな髪がなくなるのが嫌だった。

単なる髪フェチなのか、紗弓の髪が好きなのか、俺には分からなかったけれど、とにかく、紗弓は紗弓だ。

他の誰かの真似なんかする必要はない。



「いいんですか?桐川さんっぽくもできますよ?」


「そのままでいいんだよ」


「キュピーン!たった今、『デレモード』に切り替わりました」



そう言うと、今度は紗弓が飛びついてきておぶさった。

重た……くない!

ちゃんと飯食ってるのか、こいつは!

そして、俺は何故、紗弓をおんぶしているのか。



「お前の『デレ』とは何なんだ!?」


「私が18歳になって先生と結婚したら、先生は30歳です。桐川さんと結婚できませんね!」


「いや、もうその話は昔の話で…」



俺の話なんか全然聞いちゃいない。

そして、その話題はもう恥ずかしいからやめて欲しい。

俺にとってはフラれた記憶でしかないのだから。



「あとは、水族館に行く日を決めましょう!」


「ああ…有給申請しないと……」



そんなのもあった。

有休も取らないとだけど、新幹線代も地味に高かったんだ。

二人でざっくり4万円。

色々と頭が痛い問題が思い浮かぶ。



「とりあえず、このままコンビニに行きましょう!」


「通報されるわ!」



女子高生をおんぶしてコンビニ行くおっさん……

通報されなくても職質は確実だろう。

あと、周囲の白目が痛そうだ。


結局、夕飯はコンビニ弁当になった。

もちろん、おんぶではなく、普通に歩いて行ったけれど。

ちなみに、まな板の上の細切れの野菜たちは後日野菜スープの具になったのだった。

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◆高校教師◆~近所のガキんちょがJKになったら高校教師の俺が担当するクラスの生徒になった~ 猫カレーฅ^•ω•^ฅ @nekocurry

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