夏の恐竜
夏の日差しがコンクリートを溶かす。じりじりと、蜃気楼みたいに遠くの景色がぼやけている。
僕は一人、浮かない顔をしながら、公園のベンチに座って一人、考えていた。考えていてもどうにもならないから、何か行動に移したいのだけれど、お腹が減って、それどころの騒ぎではなかった。
家に帰るにも、言われたチョコレートは貰えないまま、一日、二日と経って、僕はほとんど乞食みたいになって、途方に暮れていた。
目の前では相変わらず、竜虎相打つみたいに、プレシオサウルスとステゴサウルスが永遠ににらみ合っている。
あの恐竜二体は中が空洞になっていて、中に入って遊べるような感じになっていた。けれども、こんな真夏の炎天下に外で駆け回る子供がいるはずもなく、二匹の恐竜は、まるで止まった時間の中で永遠に佇んでいるように見えた。
そんな二匹の恐竜の鳴き声みたいに、僕のお腹が鳴る。途端に肩の力が抜けて、風船から空気が漏れるみたいに、僕の口から、弱弱しく、空気が逃げていく。
夏の日差しが公園を黄色く染める。
蝉がじりじりとなく。蝉の鳴き声で、時間が進んでいるのだと気が付く。ステゴサウルスもプレシオサウルスも、だんだんと色が霞んできて、もう元の色が何だったのか、想像することもできない。僕も一人、この公園に取り残されたのだと、嫌でも思い知らされる。何の変哲のない、日曜日の昼下がり。
少年が一人、公園にやってきた。板チョコレートを頬張りながら、あっちを見たりこっちを見たりしている。
夏の太陽は頭上で燃え猛っている。助けを求める人たちの両手を、火傷させるくらいに、ギラギラ燃えていて、視界に入れるだけで目が焼けただれそうになる。
ゴミ捨て場に捨てられた食べかけのチョコレートを颯爽と持って行ったカラスを追いかけて頭上を見上げたとたん、その太陽が、意図せず視界に飛び込んできて、危うく目が焼けるところだった。
僕は目の前の少年を見下ろす。少年は、訝しそうにこちらを見上げ、その間にもチョコレートを貪る。ボリボリと。赤い髪の毛は短く縮んでいて、そばかすだらけの頬は月の表面みたいだった。
「少年、本当に申し訳ないんだけれど」
暑さのせいか、気まずさのせいか、汗が額からだらりと垂れる。時計の秒針が進む音みたいに、機械的にセミが鳴く。
「そのチョコレート、一列僕に分けてくれないだろうか」
途端に、少年は表情を歪め、ねちっこく、嫌だと呟いた。
そこをなんとかと食い下がるのが大人なのかもしれない。お金をちらつかせてみるのも一つの方法なのかもしれなかったが、生憎手持ちは一銭もない。帰りの列車に乗る金すらない。
「頼む。お願い。後で倍にして返すから」
「誰が信じるか」
だよなぁ、と呟いた。汗がだらだらと垂れてくる。普段、赤の他人と話すことなんか絶対にないから、気恥ずかしさと、大人げなさでさらに体温が上昇しているのがわかる。
どうせ何言っても無駄だろうと思って、地道に歩いて家に帰ろうと思ったぐらいに、みるみる空が陰りだした。見ると、山の向こうの方から、真っ黒い雲が、濁流のようにこちらに流れてきているのがわかった。
「早く帰った方がいいかもね」
お前に言われたくない、と言いたげに、目を細くして少年は僕を見上げていた。ごもっともだと、僕は黙って少年を見つめ返していると、ぽつぽつと、大粒の水滴が降ってきた。
傘を買う金もない僕は、仕方なくステゴサウルスの中に隠れることにした。少年も後に続いて、プレシオサウルスの中に入ったみたいだった。
次第に雨は本降りになってきて、ぱっと一瞬明るくなったと思うと、遅れて雷の音も聞こえてきた。
「なんでずっと帰らないで公園になんかいるんだよ」
プレシオサウルスの方から声が聞こえた。僕は負けじと、声を張り上げる。
「帰る金もないからに決まってるだろ」
「自分の足で帰ればいいだろ」
ひたひたと、いつの間にかできた水たまりの中に、雫が落ちていく。水面に映った電線が、そのたびに、ゆらゆらと波打つ。
「ばか、何日かかると思ってるんだ」
「そんなの歩いてみなくちゃわかんないじゃないか」
見ると少年は、明後日の方向を向きながら、チョコレートを頬張っていた。顎の先から滝のように水を垂れ流しながら、プレシオサウルスがこちらをにらんでいる。
「お前に俺の何がわかるんだ」
「わからないけれど、歩いてないことだけは分かる」
この雨水を、すくって飲んでやろうかと思うくらい、僕は意識が混濁していた。視界が次第にねじ曲がっていくのがわかる。重たそうな灰色の雲の隙間から、少しずつ晴れ間が覗き込んできた。
「お前がそのチョコレート一片俺にくれたら、俺は歩いて家に帰る。そのためにも、今はとりあえずエネルギーが必要なんだ、頼む、俺を助けてくれ」
「嫌だ」
そんなことを、プレシオサウルスとステゴサウルスの中で言い合っているうちに、次第に周囲は明るくなり、ひっきりなしに続いていた雨音が止まって、カラスが鳴きだしたかと思うと、日はもう山の向こうに隠れようとしていた。少年はいつの間にか居なくなっていて、この街すべてが、脱水をかけた後の洗濯機の中みたいに、ジメジメと湿っていた。
僕はとりあえず来た道を引き返すことにした。
家に着くのは来週か再来週か、それまで、生き抜くしかない。道端のゴミ捨て場でも漁ろうか、野犬に紛れて、なんて、まんざらでもないような気がしてきて、少しニタニタしながら、舗装されていない、背の伸び切った雑草だらけ田舎道をまっすぐ、家に向かって歩き出すことにした。
もう戻ってきたくても、永遠に戻ってこれそうもない。
道ですれ違ったおじさんが、気味悪そうにこっちを見ていた。見ると、さっきの雨とステゴサウルスの中で座り込んだせいで、随分みすぼらしく汚れてしまった。
ああ、と声にならない声で呟いて、ステージの幕みたいな、大きな雑草をかき分け進んでいった。
夏の恐竜 心太 @today121
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