第4話


 ディスプレイに名前の表示されないのっぺりとした電話番号に、私たちは困惑していた。


「誰か、行ける人いる?」


 同僚の問いかけに反応する人はいない。膜を張った静けさが昼下がりの陽光と不釣り合いに私たちを包み、何もかも有耶無耶にしようとしていた。


 ニュースでもバラエティ番組でも、どのチャンネルをつけても、それは常に流れていた。近県の火山が水蒸気爆発を起こしてからというもの、緊急速報の赤い帯に巻かれた画面は肩身狭そうに控えめな顔をしていた。


 さほど大きな被害は出ていないらしかったが、想像もつかないくらい大きなものの尾を見てしまったような、そんな雰囲気がそこはかとなく漂っていた。


 その矢先に入った電話は、どうということもない配達の依頼だった。月に何度かはあることで、無理な条件でなければ引き受けるのが大抵だが、メモを取る同僚の手が行き先を書き留めるところで止まった。


「断ってもいいんじゃない」


 ひとりの言葉に、誰も積極的な肯定をすることはなかった。

 しかし同時に否定の言葉もなく、自然とそれが総意になっていくことを、きっと多くの人が望んでいたのだと思う。


 隣人からかけられる迷惑を厭わないのが人の情なら、他人からもたらされる惨禍を拒むのは人の性だ。得意先でもなく、以前から予定されていた仕事でもない。ましてや行き先が行き先だ。いくら危険区域でないとはいえ、急流を横切って対岸へ渡りたい者などいないし、それを咎められる者もまたいない。


 沈黙にみんなの足並みが揃いかけた時、その人はこともなげに言った。


「あぁ、俺、行きますよ」


 低い声はよく手入れをされた刀身のようなのに、語尾にかけて失速しない丁寧さが間壁さんだった。

 他のドライバーが口々に心配したが、彼が「ここ、知り合いがいるんで」と笑うと寒々しい空気は徐々に溶けていった。


 彼が机の間を横切った時、ほんの少し甘い煙草の煙が香る。


 私はまだひとり、困惑の中から抜け出すことができなかった。


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