君と王子様

ヤチヨリコ

君と王子様

 王子様ってどこにいるんだろう。そんなことをずっと考えていた。

 保育園のとき、すずはひとりで砂場遊びをずっとやっていた。砂が好きだったわけでも、ひとりで遊ぶのが好きだったわけでもない。自分に王子様はやってこないんじゃないか、と、ひとりぽっちで不安になって、その不安を埋めるように砂場に穴を掘っていた。


 みかちゃんはかわいいからかっこいい王子様がするんだろうな。

 のぞみちゃんをみつるくんが好きみたい。

 たかはしせんせいはこの前、男の人とデートしてたらしいって、みゆきちゃんママとちなつちゃんママが言ってた。

 テレビでやってたドラマでは女の人が出てきたら、素敵な人と恋に落ちて、毎日その人のことを考えてる。

 けど、わたしはかわいくないから、王子様は来ないだろな。


 女の子たちの間のおしゃべりに、わたしはちっともまざれない。男の子たちの遊びにはちっとも入れてもらえない。女の子たちといても自分で自分が嫌いになって。男の子たちといてもどんくさいからすぐに仲間外れにされて。

 いじめられてるわけじゃない。ひとりでいると先生たちが心配して他で遊んでる子たちにわたしと遊ぶように言うからすずは、いかにも自分は自分のために砂場にいるんですというふうにじっと黙って遊んでいた。


 あの大きい砂場に、すずのちっぽけな不安が埋まっていた。

 不安は今も増え続けて、もう砂場の穴から溢れている。



 さーっ……という表現がよく似合う七月の霧雨だ。

 窓の向こう、この雨の中、色とりどりの傘をさして、家に帰っていく中高生。

(みんな、ちゃんと学校で勉強してたんだろな)

 窓の外をじっと眺める。

 窓辺に寄ろうとしたら、家の前を歩いていた男の子がこっちを見た気がした。すずは窓の向こうから見られたくなくって、カーテンを閉めた。


 積まれた原稿用紙に、文字は一つとして書かれていない。書けないから、気分転換に外を見たのに、逆に気分がほんのちょっぴりだけ悪くなった。

 すずは小説家を目指している。けれど、一作だって書いたことがない。話の筋や設定は頭に思い浮かぶのに、文字にすることは出来なかった。

 積ん読を読もうとして一冊手に取ると、自分と作家の力量の差がはっきりわかる。

 中学生になっても王子様は現れないし、自分がヒロインじゃないことも理解させられた。現実はなんの取り柄もない思春期のこどもには厳しい。


「すず、ヒマしてんなら家のこと手伝ってよ」


 母親が半分怒鳴りつけるような大声ですずのことを呼びつけた。

 母親はすずが学校に行っていないのを心配して、少なくとも他所様よそさまの迷惑にならないよう自立させようとして、あれこれ理由をつけてはやらせられる家事に、すずはうんざりしていた。

 洗濯物を干したりたたんだり、茶碗洗いを手伝わされたり、掃除だったり。母親はすずを呼びつけては家事をやらせ、自分は他のことをやる。そのくせ、すずが終わったと言った途端とたん、あれがダメ、これがダメとやり直す。

 今日もまたそのパターンか。


 すずは嫌だ嫌だと苦々しく思いつつ、重々しい腰を上げた。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。すずは「めんどいなあ」とつぶやきながら、とりあえずボサボサの前髪を整えて、階段を下りて、小さく玄関のドアを開けた。


 すると、泥のついたスニーカーが隙間に差し込まれて、そのまま強引にドアを開けられた。


「ひどいじゃないか。無視するなんて」


 ずぶ濡れになって押し入ってきたのは、すずの同級生の婿屋むこやくんだった。

 ずいぶん濡れた婿屋くんを見て、家の外へ目を向けると雨が本降りに変わっていた。


「ひどいのは婿屋くんでしょ」


 こんな濡れねずみ、家に上げるわけにはいかない。すずは洗面所へと走って、使い古したタオルを持ってくると、婿屋くんに投げつけた。

 顔をしかめて濡れた髪を拭きながら、婿屋くんはスクールバッグを置く。


「傘とかレインコートとかなかったの?」

「いや、あったけど面倒でね」

「面倒って。婿屋くんは濡れてもいいけど、プリント、濡れてない?」

「ちゃんと濡れないようにしてるよ。というか、カバンに入ってんだから濡れるわけないだろ」


 口をとがらせて、婿屋くんは泥だらけのスニーカーの泥を落とした。

 一瞬、外でやってきてよ、言いそうになり、慌てて口を閉じた。すずは素直にありがとうを言いたいのに、なぜか余計な言葉をつけくわえてしまうので、困る。


「プリント、けっこう多いぞ。あと、課題も出てる」


 婿屋くんはすずにクリアファイルにきっちりまとめたプリントを押し付けて、「今日は終業式だったから」と付け加える。クリアファイルには、彼が考えたキャラクターのイラストが描かれている。


「それから、これも」


 クリアファイルに描かれたキャラクターが表紙を飾る、紐でじられたプリントの束を、いかにも大事そうに手渡した。

 漫画家を目指している婿屋くんは、すずの家に来るたびに自作の漫画をすずに手渡す。はじめて会ったとき、漫画家を目指していると言うものだから、「今度、読ませて」と伝えてみたところ、漫画が描けたら毎回持ってくるようになった。


 最初は、てっきり中学生らしい、いかにも中二病といった雰囲気の、将来黒歴史になりそうな漫画をかいているのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、実際は違った。

 絵は生き生きとしていて、良い意味で漫画的。ストーリーもキャラクターも妙なリアルさがある。中学生が描く漫画とは思えない大人っぽさがあった。

 ほう、と、読み終わると息を深く吐く。一気に読み終えてしまって、もっと読みたいと思うのと同時に、ああ、これでいいんだという満足感が湧き上がる。


 翌日、早速漫画の感想を伝えた。


「あれ、半端ないね。なんていうか、すごくカロリー高いのに、するする入ってきて、最後にすごくお腹いっぱいになるっていうか」


 興奮するすずの前で、婿屋くんは、「あー、あれね」と、目を輝かせ、前かがみになった。でも、「ふうん」と言うだけで、なんだかそっけない。


「とにかく、すごい。中学生が描いたとは思えない!」


 すずがそれを伝えると、今度はふてくされた口調で「ふうん」と言った。


「プロ目指してるんだから、中学生が描いたと思えないレベルじゃダメなんだよ」


 当たり前なことを当たり前だと言うように、苦虫を噛み潰したような表情で、ぼそりとつぶやいた。


 この会話からだったと思う。すずが婿屋くんを好きになったのは。

 婿屋くんが、初恋の人にどことなく似ているような気がしてならない。

 夢を夢のままにしないで現実にしようとしている。理想に近づけない自分を恥ずかしいと思っていて、批判にしろ称賛にしろ、そこを言われると気を悪くする。それから、夢に向かってストイックである。


 すずは、自分とは正反対だと思った。

 夢を夢のまま大人になろうとしていて、理想に近づけない自分を恥ずかしいとは思うが、理想に向かって努力をするというイメージがつかめない。


 初恋の彼は、小さいときからの幼なじみで、ピアノ教室に通いながら、プロのピアニストを目指していた。毎週末、何時間もかけて東京のプロのピアニストに教わりに行っていくほど、熱心にプロピアニストになりたがっている。彼こそが王子様だと思った。

 彼とは中学に入学して、ようやく告白して、付き合えた。

 けど、ピアノの音色に興味は湧かず、彼のことばかり考えていた。ピアノの練習ばかりで、デートにも来てくれないところがすずは少し苦手だった。

 ある日、すずがなにげなく言った「そんなにやったってどうせ上手い人には勝てないでしょ」の一言に、彼が「だからだよ」となんでもないように言った。

 すずはそれ以来、彼と会うのが気まずくて、学校に行けていない。

 そんな自分が情けなくって仕方なかった。



 婿屋くんにもらったプリントの中に学校だよりが入っていた。夏休みのレジャーでの事故を注意するように呼びかける文章が続いたあと、終業式で表彰された生徒の名前と写真が載っている。あの初恋の彼の名前と婿屋くんの名前が載っていた。彼は市のピアノコンクールのジュニア部門で最優秀賞。婿屋くんは全国規模の絵画コンクールで入賞。


 すずは内心穏やかではなかった。小説は書けないし、何か特別な取り柄もあるわけではない。自分のアイデンティティがわからなかった。


 そんなことを考えているなんて思われないように「すごいじゃん。やっぱり中学生レベルじゃないよ」と、わざと声色を明るくして言ってみると、やっぱり婿屋くんは「だから、中学生レベルじゃダメなんだって」と返した。


「でも、私は婿屋くんの絵は特別に好きだよ」


 婿屋くんは「ふうん」とだけ言うと、それ以上は何も話さなかった。照れくさそうに鼻をこすって、慌ただしく手を動かして、目もすずを見たりすずの手元の漫画を見たり、忙しなくしていた。


「僕も、安村やすむらの小説、好きになると思うよ」


 ぐっとこらえたような顔でまくしたてるだけまくしたてると、「帰る」と言って、ピシャンと玄関のドアを勢いよく閉めた。傘、持ってきなよ、なんて言いかけそうになって、やめた。雨はもう止んでいた。

 小説を一文字だけ書いてみようと思った。なにかが書けそうな気がした。



 王子様はいなかった。王子様は来なかった。

 けど、王子様より素敵な人が現れた。

 「君」と、彼は呼ぶ。私はその声になんて返そうか迷った。

「小さいころにあなたが迎えに来てくれたらな」

 ぽつり、つぶやく。

「迎えに行ってあげない。だって、君はヴィンテージだもの」

 彼はそう言うと、私の手を握った。

 昔の『わたし』へ。

 君は将来、王子様には出会えないよ。王子様はいなかったけど、大好きな人は今、となりにいるよ。彼と過ごす時間が私は好きなんだ。


  (完)



 婿屋くんに書いた小説を読ませてみた。


 「これ、好きだよ」


 婿屋くんはそれだけ言って、逃げた。


(完)

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