契卵

緋乃狐

契卵

 やぁ、はじめまして。混乱しているよね。だって君はきっと「知性を持った動物は地球上で人間だけだ」などと思い込んでいるだろうから。だけど私は知っているんだ、奇妙な動物たちの恐ろしくも興味深い物語を。


 ジョニー・ファームはカリフォルニア州の片田舎にある100年続く老舗牧場である。そして、3代目当主のジョージ・ブラウンは知らない。彼が飼っている採卵用の雌鶏めんどりたちの中に創業当時から生き延びた百歳のニワトリ、イザベラが紛れ込んでいることを。

 イザベラは最初から特別な鶏ではなかった。ただサボるのが上手で、よく鶏小屋を抜け出しては隣の豚小屋や牛舎に行って美味いものを食い、望むままに惰眠だみんを貪っていた。だから結果的に長生きすることになったというだけのことだ。しかし齢50を数えた頃から次第に人間の言葉を解すようになった。それから知識を身につけ、自分の置かれた状況がわかるようになっていた。

 どうやらこの世には雄鶏おんどりがいるらしい。毎日出てくるあの白くて丸いもの、邪魔っけにしか思っていなかったけれど、卵と言うのね。魂のない我が子だったのね。そして90歳を迎えた頃、イザベラはこう思った。


「私も子どもを産んでみたいわ」



 イザベラにとって鶏小屋やファームを抜け出すことは容易でも、パートナーを見つけるのは至難の業だった。人間たちの会話から愛という概念を学んだ彼女は、知性を持たない雄鶏を相手にする気にはなれなかった。なぜなら、卵を産まない雄鶏はひよこの時に殺されてしまうか、食用に育てられたブロイラーにしても、生まれてこのかた食べることしか考えていないおデブさんばかりでとても愛せない。

 そこでイザベラは一計を案じた。生まれたばかりの雄ひよこを一匹連れ去り、ファームのすぐそばにある湖のほとりで育てることにしたのだ。彼の名をチャールズという。湖のほとりの古木は根元に大きなウロがあり、チャールズをかくまうのにはちょうどよかった。イザベラは栄養のある餌をくすねては足繁く古木へ通い、10年をかけてチャールズを知性ある立派な雄鶏に育て上げた。


 さて、この湖で釣りをする人は滅多にいない。それは魚が住んでいないという意味ではない。この湖には凶悪な人喰いワニが住んでいるのだ。地元の人間は皆、このワニを恐れて湖に近寄らず、お陰で誰にもバレることなくチャールズが育ったという訳だ。

 そのワニというのがなかなかにずる賢く、またずば抜けて硬い鱗を持っていた。そのため人間達は長年このワニを殺せずにおり、ワニは100歳を超えていた。それどころか、街の人々はこの血に飢えたワニを恐れるあまり「ブラッド・ジャンキー」などと呼び、半年に一度ジョニー・ファームの生きた羊を湖に投げ入れてブラット・ジャンキーの腹を満たし、ファームや街の人間が襲われないようにしていた。


 ブラット・ジャンキー(彼はこの呼び名をいたく気に入っていた)は普段、チャールズのいる古木とは反対側のほとりで日光浴を楽しんでいるのだが、そろそろ羊が投げ入れられる頃だろうと、ファームのそばまでやってきた。

 その晩、イザベラはかねてよりの念願、チャールズとの初SEXを楽しんでいた。ファームの人間に気づかれてはいけない。声を抑えなければ、と思ってはいたけれど、待望の快楽、生まれて初めて味わうオーガズムに、イザベラは思わず乱れた嬌声きょうせいを漏らしてしまった。チャールズの方でも同じである。男としての夜明けを告げる野太い鶏鳴けいめいが三度、静かな湖面を撫でるようにビリビリと響き渡った。

 幸いにも、3代目当主のジョージは大いびきをかいていて気づかない。だが、湖の主、腹を減らしたブラッド・ジャンキーは聞き逃さなかった。しめしめ、メイン・ディッシュの羊を前に、鶏のオードブルとは素敵じゃないか。

 二羽が夢中になって励んでいる古木を素早く突き止めると、音を潜めて忍び寄った。そうして古木のウロに細長い顎をぐいと突っ込み、ガバァっと大口を開けた。ここにきてようやく事態に気がついたイザベラが驚いて、

コケエエエエエエエエェェェェェ!!!

 ワニの方でも驚いて、元々めいっぱい開いていた顎を更に大きく開けようとしたものだから、顎が外れて口を閉じられなくなった。とはいえ、狭いウロいっぱいにワニの口に覆われて二羽に逃げ場はない。数分もすれば顎の外れたのも治って一飲みされてしまうだろう。イザベラは一生懸命考えた。


「ねえ、ワニさん。提案があるのだけれど、その顎を閉じる前に少し私の話を聞いてくださらない?」

ブラッド・ジャンキーは口が閉じられないので、首を縦に少し振って返事をした。

おっと、ワニという生物は舌が下顎にくっついているので元々話せないのだが。


「あら、ありがとう。あのね、こう見えて私たちだいぶ年寄りなのよ。私はこないだ百歳になったし、夫は十歳だけれど雄鶏にしてはかなりの年寄りよ。」

ブラッドジャンキーの顎はこれ以上開きようがなかったが、心なしかさらに開いたように見えた。衝撃の告白である。数秒前まで湖面にさざなみを立てるほどの大ハッスルを繰り広げていた二羽がそんな老いぼれだったとは!

 「それでね、こんな老ぼれを食べてもきっと美味しくないでしょう。肉は硬いし臭いと思うわ。でもね、」イザベラは言い澱み、頬を赤らめた。

 「私、今夜妊娠したわ。私にはわかるのよ。」

 「本当か!イザベラ!俺たちの赤ちゃんだ!」

 興奮するチャールズをキっと睨んでイザベラは震える声で続けた。

 「この子が生まれたら、一歳になる前に、丸々太った一番美味しい時にあなたに食べてもらいましょう。だから、それまではわたしたちを見逃して欲しいの。もし約束を破ったら、夫はこのウロに住んでいるし、私はファームに住んでいるわ。あなたならいつでも襲いにこれるでしょう?」

 「おおい!何をいうんだイザベラ!俺たちの子どもだぞ。それに俺を人質にするなんてひどいじゃないか」


バシッ!


 イザベラは大きくのけぞって、固く結んだ嘴で渾身のツツキを喰らわせた。

「バカね、私たちが死んだら何にもならないでしょう!」

「痛ってえ!痛いよイザベラ!でもだって、あんまりじゃないか」


 かしましい痴話喧嘩をいつまでも繰り広げる二羽を見て、呆れ返ったブラッド・ジャンキーは食欲が失せてしまった。はぁーー、大きなため息をついてズルズルと後ろ歩きでウロから這い出した。


「あら!わかってくれたのね!ありがとう」

涙を流して抱き合う二羽に向けて「約束、忘れるなよ」とばかりに一瞥くれると、だらしない下顎を引きづりながら湖に戻っていった。



 イザベラには計画があった。何も馬鹿正直に自分の息子を差し出すことはない。少し心は痛むけれど、食肉用の若鶏を一匹差し出せば良いのだ。どのみち彼らも出荷されて殺されるのだから。

 彼女は自分の卵を豚小屋の隅っこで産み落とし、こっそり温め始めた。ところが彼女にとって不幸なのは、卵の面倒を見る方法を知らないのだ。なんとなく本能で温め始めたもののすぐに退屈してしまい、夫の元へと出かけてしまった。一度覚えた快感は忘れがたく、魅惑的だった。


 運悪くその日は豚小屋の清掃日だった。ジョージは小屋の片隅に卵を一つ発見して、不思議に思った。どうしてこんなところに卵があるんだろうか?さては使用人がくすねたのか?それとも雌鳥が逃げたのか?いや、まさかな。どちらにせよ、豚小屋にあった卵なぞ出荷できない。ならば俺の昼食にしてやろう。そう思っていたところへ間が悪く、イザベラが帰ってきた。普段ならば人間にみつかるようなヘマはしない彼女だが、愛する我が子の危険にカーッと頭に血が昇った。間髪入れずにジョージに襲いかかり嘴で何度も突っついた。けれどそこは老舗ファームの3代目、抵抗虚しく首根っこを掴まれてそのまま小屋の外の断頭台、ナタでズドンと首を落とされてしまった。


 ジョージはぼんやりした人間だったが料理が大の得意で、特に卵料理は一流の腕前だった。よおし、オムライスを作ってやろう。

 フライパンにバターを中火で熱し、バターが溶けたら、小さく切った鶏肉イザベラと粗みじん切りにした玉ねぎを炒める。鶏肉イザベラの色が変わり、玉ねぎが透き通ったら、塩・胡椒を少々。ご飯を加えてほぐしながらフライパン全体に広げる。火が通ったら、ケチャップとパセリを加えて火を止める。

 お次はボールに例の卵を割り入れて、牛乳大さじ1と塩少々を加える。白身と黄身とをまんべんなく混ぜ、熱したフライパンに一気にジュワーと広げる。真ん中の部分を手早く混ぜ、半熟状になったらチキンライスを卵の中心よりもやや手前に、横に細長く、ラグビーボールのような形になるようにしてのせる。フライパンを少し手前に傾け、卵をそっとチキンライスにかぶせる。


 最後の大仕上げ、ジョージがケチャップを芸術的にふりかけた、まさにその時、彼は目覚めた。そう、イザベラとチャールズの唯一の息子、今まさに母親の死骸を包み込んでいる黄色い薄皮に魂が宿ったのだ。なにせ、100年を生きた雌鳥と、10年を生きた雄鶏の初SEXで生まれた卵だもの、オムライスにされたくらいでへこたれるようなやわな魂じゃない。


 さて、目覚めたオムライスはお腹を空かせていた。ジョージはオムライスを食卓に置き、スプーンとコーヒーを取りにキッチンに行っていた。その隙をついてテーブルに忍び寄る小さな影、それはネズミだった。ネズミがオムライスにかじりつこうとしたその時、綺麗に綴じられた卵のふちがピラリと開き、不思議な力で吸い寄せられたネズミはちゅるんと丸呑みにされてしまった。


 何事もなかったかのように、静かに佇むオムライス。スプーンとマグカップを携えたジョージが戻ってきた。さあ食べようと手を伸ばしたその時、またしてもオムライスが口を開け、丸々と太ったジョージの腕にかぶりついた。肘のところまで一息にパクつくと、あとは掃除機のような音を立ててズゾゾゾゾ。ジョージを丸ごと吸い込んでしまった。


 ひとまず腹を満たしたオムライス、今度は新たな欲求が湧き出した。それは一心同体となった母親の怨念か、湖に行かねばならぬ。そこで何者かと対峙しなければならぬ。そんな強い衝動であった。


 オムライスの移動を想像してみてごらん。地面に接した腹の部分をウネウネと波打たせ、ナメクジのように這っていくのだ。しかしそのスピードはナメクジとは比べ物にならないほど速く、列をなす蟻を追い越し、歩く牛の股を抜け、駆ける犬と肩を並べて走るのだ。オムライスにとってファームの塀など無いに等しい。壁に張り付き、垂直に昇ってゆく。白い壁に赤い筋がうっすらと残された。これはジョージの血液か、はたまたケチャップか。


 10分とたたぬうちにオムライスは湖畔にたどり着いた。これもまたイザベラの心残りがそうさせるのか、オムライスは徐に古木に近づいた。ウロの中ではチャールズが、妻と子の悲哀も知らずにすっきりした顔で眠りこけていた。オムライスはチャールズの幸せそうな寝顔を一目見て、食事では満たされなかったものが溢れかえるのを感じた。ああ、暖かい、もっと、もっと欲しい。オムライスは他に術を知らなかった。黄色いベールをふわりと持ち上げて、寝ているチャールズを優しく包み込んだ。


ペロリ。


 オムライスは自分の内側がポカポカして、満ち足りた気分になった。とっても幸せだ。自分の中で父と母が再会を果たし、自分を見守ってくれているのがわかった。それだけでは無い、ケチャップライスと玉ねぎとパセリ、ネズミとジョージまでもが渾然一体となってこの温かい気持ちを生み出している。彼らの幸せがオムライスをポカポカ温め、オムライスの幸せが彼らを悦ばせた。

 そうしてしばらく幸せに浸っているとオムライスは次第に、自分の外側にいるものたちがかわいそうに思えてきた。彼らはこの世の中で一人ぼっちで生きている。

 思い立ったオムライスは湖のキワまでやってきて、ほんの少し、水面に口をつけた。


ジュル、ジュルジュル、ジュルジュルジュル。


一吸いで湖中の水と魚を、二吸いで世界中の動物や人間、三吸いで木々や山々までも飲み干してしまった。

 けれど、全部を吸ってしまったわけではない。なんと哀れなブラッド・ジャンキーだけは、大きく開きっぱなしの顎が引っかかってこの世界に取り残されたのだ。だが彼にとって幸運なこともあった。吸い込まれた勢いで、彼の下顎に張り付いた舌がちゅぽんと剥がれて喋れるようになったのだ。


 もはやこの世界にはオムライスとブラット・ジャンキーただ二人きり。どちらかが相手を食べてしまえば話し相手もいない退屈な世界、自ずと二人は仲良くなった。


「おい、オムライス。お前はこの世界の全てを丸呑みにしてしまったが、お前の中はどうなっている?」

「うん、ジャンキー君。どうやら一気に吸い込んだものだから全てがごちゃ混ぜになって、それから生まれかわって、新しい世界ができているようだ」

「何?それはいいことを聞いた。俺はもうこんな世界は退屈だ、頼むから俺を飲み込んでその世界に混ぜてくれ」

「うーん、そうしてあげたいのは山々なんだけど、今度は僕が一人ぼっちになってしまうよ」

「それもそうだが、うーん」

「あ、そうだ、飲み込めるのなら、吐き出せるんじゃ無いか?」

「おお、それは気が付かなかった。やってみよう」

「ふむふむ、どうやら僕の中で生きているものたちは僕の一部になっているから吐き出せないみたいだ。だけど、僕の中で死んでしまったものか、僕の呼びかけに気が付いたものは吐き出せそうだ」


 オムライスはしばらく体をモゴモゴと震わせて、ペッと一人の人間を吐き出した。

「あれ?ここはどこだ?俺は死んだはずじゃ?うわぁ、でかいワニだ!助けてくれ!」

「おお、本当に吐き出せたんだな、しかし実際出てくるとうるさいな。俺が喰っちまっていいか?」

「いやいや、待ってよジャンキー君。せっかくだからこちらの世界も賑やかにしようじゃ無いか。この人はいい人間だよ。僕の中にいたから僕にはわかるんだ。」

「そんなこと言ったってよう、久々に人間を見たら俺は腹が空いてきたぞ」

「じゃあ、ちょっと待ってね」

もう一度ペッと吐き出した人間はまたも狼狽え、騒ぎ出した。

「この人は食べてしまって良いよ。この人は悪い人間で、僕の中の人々を苦しめたんだ。そうすると僕まで悲しい気持ちになるんだ」

「ふーん、よくわからんが喰っちまおう」

ガブゥと食らいつき、ぺろりと一飲みにしてしまった。

「おぉ、オムライス!俺にもわかったぞ、俺の中でさっきの奴が苦しんでいるみたいだ。わはは、愉快だな。もっと食わしてくれ」


 こうしてオムライスとブラッド・ジャンキーの間で契約が成立したんだ。オムライスの中で死んだ人間は外の世界へ放り出され、いい行いをしていれば外の世界で彼らと楽しく暮らし、悪い行いをしていればブラット・ジャンキーの餌食になるのさ。

 かくいう私は初めてこの世界に放り出された人間、つまり初めてオムライスの中で死んだ人間、ジョージ・ブラウンだ。今はオムライスから放り出された人間たちにこの世界のことを教える役割をしている。さあ、これで君もわかったはずだ。なぜ人を傷つけてはいけないのか、なぜ人に優しくすると幸せな気分になれるのか。そしてなぜ生物の血は赤いのか、それは世界がケチャップライスで出来ていたからさ。

 





 さぁ、恐れないで、ブラッド・ジャンキーの中にも世界はあるはずなんだ。どんなところかは知らんがね。

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