僕は死人の代行者

スパイ人形

僕は死人の代行者

 教室には何かを殴打するような鈍い音と、時々誰かの呻くような声だけが響いていた。

 その教室にはそのクラスのクラスメイト全員がいるにも関わらず、二人を除き誰もが少しでも音を立ててはならぬと認識しているかのように声を圧し殺し、体を押さえつけていた。


「何をやってるんだ!」


 突然の怒声にびくりとほぼ全員が肩をあげる。静かに教室の入り口を見るとそのクラスの担任が顔を真っ赤にして、額に少し汗を浮かべて立っていた。

 それでも何かを殴る音は止まない。

 その教師は開いているスライド式のドアを今一度強く叩いた。


「何をやっているのかと聞いているんだ!」


 ズンズンと壁のようになっている傍観者たちをかき分け、抜けた先で視界にまず始めに飛び込んで来たのは二人の生徒だった。


 一人がもう一人の生徒に馬乗りになっている。馬乗りになっている生徒は教師に背を向ける形になっていて、更に振り替えることもせず前方を見下ろしている。

 次にのし掛かられている生徒。こちらは上半身は腕しか見えていないにも関わらず、重傷という表現がぴったりくる状態だった。


 腕や足、そしてその指は、関節が本来曲がらないようになっている方向に曲げられており、余りにも痣が多い。至るところに裂傷の跡があり床を赤で汚している。


 馬乗りになっている生徒がわずかに腕を持ち上げたかと思うとまた殴打音が響いた。床に赤が少し飛び散った。


「お前いい加減に……!」


 教師が馬乗りになっている生徒を引き剥がす。いとも簡単に引き剥がすことができた。そこまでしてようやくその馬乗りになっていた生徒が教師の方向を首だけ動かして振り向いた。


「ああ、先生。こんにちは」


 今初めて存在に気付き、平時のように挨拶をされて教師の頭が少しフリーズする。


「こんにちは……? お前は……自分が何をしていたかわかっているのか……!?」

「分かりませんって言って納得するんですか? いや、するわけないですよね愚問でした」

「当たり前だ!ふざけるな!」


 こちらを向かせようと一度拘束を解き、肩を掴んで振り向かせる。


「なんであんな暴力を……」

「何でだと思います? 得意ですよね、そういう解答だすの。国語の先生でしょ?」

「茶化さずに答えろ!」

「理由が知りたいんですか? 理由を教えたら戻っていいんですか?」

「お前いい加減にしろ!」


 限界を迎えたのか拳を振り上げる教師。教師と向かい合っていた生徒は、その拳を見上げながら教師の脚を全力の力で踏んだ。痛みによろめいた教師の、行く宛を失った腕を掴み、投げる。

 先程まで馬乗りにされて横になっている生徒の上に。


 人を下敷きにしたお陰か、教師へのダメージはそれほどでもない。しかし、頭の処理が追い付いておらず混乱していた。自分の身長と体重に対して、先程自分を投げ飛ばした生徒は身長も体重も自分より下回っている。運動やトレーニングをしているということもないのか線も細い。

 相手の力を利用して投げ飛ばすならまだ百歩譲って分かるが、今自身の力だけで自分を投げ飛ばした目の前の生徒は何か、と。


「…………ぅ」

「っ! 悪い、すぐに退くから!」

「退いてくれると助かります」


 慎重に手を置く床を探していると、生徒の声が下からではなく上からかけられた。これ以上下敷きにしてしまっている生徒に重さをかけないよう床についた手に力を込めると上を見上げた。


 笑顔を浮かべた生徒が立っていた。その笑顔に並々ならぬ恐怖を感じた教師は吼えるように言葉を掛けた。


「もうやめろ!」

「命令にしろ指示にしろ従う理由は無いですが、もう完済が近いのでは終わりにしてあげましょう」


 何の感慨も無い表情でそういうと、生徒はくるりと背を向けて立ち去ろうとする。


「待て……! 話はまだ」

「あぁ殺してしまっても困るか、そこは治しておかないと」


 呼び止めよう声をだしながら立ち上がった教師の方へ、踵を返して歩いてくると、顔も併せてあまりにも無惨な姿になってしまった生徒にしゃがみこみ額に指を当てる。また何かするのではないかと教師はその生徒の肩を掴んだ。


「あらら、気を失ってる。ずるいなぁ」

「お前何を……!」

「ダメージを移そうかと。別に先生に移してもいいんですけどどうしますか?」

「さっきからずっと何を言ってるんだ!」


 溜まらず、といった様子で教師はまた声をあげた。周りの生徒も怯えた様子で、それでも息を殺して事態を見ていた。


「そういえば、僕が最初の質問に答えていないから何も分からないんですよね。えっと、何をしているか、だったかな?」


 突然話が変わり、教師は反応が遅れた。しかし反応を待たずして、生徒の肩を掴んでいた教師の手を生徒は離さないように掴んだ。


「仕返し、ですよ」


 始めにミシミシと教師の足から、出てはいけないような音がした。突如として走った両足の激痛に思わず大声をあげ――る前に喉にも激痛が走る。声をあげようとしても声がでない。


「先に喉でしたね。さっき学んだんですよ。学生の鏡だなぁ僕は」


 ぱくぱくと鯉のように口を開いても何も言えない教師を余所に生徒は説明を続ける。そこには何の感情もなかった。


「少し前に自殺した生徒がいたでしょう? 彼をいじめていた……いや違うな。彼に暴行、傷害、窃盗、恐喝エトセトラを働いていたやつに仕返しをするよう頼まれたので仕返しをしているだけです。ただそれだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 教師の体の至るところに裂傷跡が生まれる。教師はなにもされていないのに身体中を切りつけられている感覚は確かにあって、それでも痛みのせいで頭が正常に働かない。考える余裕はなく、生徒の言葉を痛みに耐えながら聞き続ける。


「大丈夫ですよ先生。先生にはまだ何もしないので。体験だけしてもらおうと思って一旦ダメージを移しているだけですから。ちゃんとに戻します」


 これ、と顎で示した先にはつい先程まで足はあらぬ方向に曲がり傷だらけ、喉は潰されていることが端から見ても分かる程度には悲惨だったはずの生徒だ。しかし足と喉に関してだけ言えばすっかり元通りになっていた。


は将来明るく、サッカーのプロだかになる予定だったでしょう? だから先生もそんな生徒の悪い話がばれないようにと助けを求めた彼に黙認するように言ったんですよね?」


 仕方ないですよ、と笑う生徒の笑顔は、このような場でさえなければとても素晴らしい笑顔だった。このような場では恐怖を煽るだけの笑顔は、周りの生徒も教師も怯えさせるには十分だった。


「みんながしたいことをするのは勝手なので別にいいんですけどね」


 教師を襲っていた痛みは気がつくと消えていた。足も喉も触ってみてもなんともない。倒れている生徒に目をやるとそちらも元に戻っており、足は曲がらないはずの方向に曲がり、喉は潰れて――いなかった。


「先生にお願いすることはと同じことです。あっ、にしたことと同じ事を僕が先生にするってことじゃなくて、彼への加害行為みたいに黙認してくださいってことです」

「何をバカなことを……」

「別の方法がお望みならそちらでも。いや彼の仕返しなのに彼以外の判断に従うってどうなんだろうな」


 ミシミシブチブチメキメキボキボキと、とっくに折れているはずの足から更に嫌な音がした。教師は顔を青くしながら問いかけた。


「今何をして……」

「質問が多いです。今最初のに答え終わったからその次の質問から順番ですからね。えーっと、暴力を振るった理由でしたね。これが一番彼に暴力を振るったから一括返済しているんです」


 折れているはずの足が、ついに支えることができなくなったのか床に力なく伸びた。


「ありゃー、少し余っちゃったな。目にでもしとこうか。将来的にも被害大きそうだし……」


 そういうと指を倒れている生徒の額から離し、取り出したハンカチで丁寧に額に触れていた指を拭く。


「それじゃあ今日はこれで。こちら側からも扉を開くようにしたからみんな帰れるよ。先生もまた明日。続きも覚えてたら明日ですね」

「……なんなんだ……お前は一体……」


 教師の問いかけも空しく、その生徒は指を口の前で立てるとしーっという仕草をして不気味に笑う。

 それ以降誰も何も発することはできず、その生徒だけがスタスタと歩きだす。入り口までいってハンカチを捨てるとそのまま教室を出ていった。


「明日は誰にしようかな?」


 その一言を添えて。





 この学校には一部でのみ実しやかに囁かれている噂があった。死んだ者の無念を晴らしてくれる存在がいるという噂。不慮の事故で青春を謳歌できなくなったものや、いじめ等で自殺を選んだもの、生徒だけでなく労働環境に耐え兼ねて自殺をした職員にすら手を差し伸べる存在がいるという噂。

 その手を差し伸べるやり方は様々だが、大方はその死んだ人間の願いを1つだけ叶えるというもの。


「噂ねぇ。僕そんな存在になってるんだ」


 つい先程ゴミ箱に捨てたはずのハンカチを持っている学生服を着た中世的な顔をしている男か女か一見して分からない存在は、学校の立ち入り禁止になっている屋上に立って無造作にそのハンカチをポケットへとしまい込んだ。


 この場にいるのは1人のはずなのに誰かと話しているように言葉を虚空へ投げかけている。


「噂頼りで自殺する人が出てきちゃったら本末転倒だよ。いやまぁ耐えられなくてそれを希望に自殺したのならそれはいいの、かなぁ……。直接的な加害者にのみで、傍観者たちには何もしなくていいって話だったけど、その意志は変わらない? あ、そう。じゃああと10人だね」


 そういうとその存在は少し口角を釣り上げた。


「はははっ、明るい未来を夢想している人や約束されているような人間たちばかりだね。あれらが君にしたことをそのまま返すだけで、その未来が崩壊するんだなって思うと僕の事ではないのに笑ってしまったよ。まぁ復讐が完了するまでに少しでも無念を晴らしてくれるといいな」




「じゃないと、君の魂が美味しくなってくれないからさ」

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