第79話 合格と達人技

 二人に挟まれていた門倉さんだったが、一瞬にして俺の視界から消えてしまった。


 否、本当に消えるはずはない。どこに行ったのか?と辺りを見渡し探してみるも、身構えるので精一杯だった。


「…っ!何しているの四季ちゃん!来る…っ!」


 と、樹がそう言いかけたのだが、俺には半分も聞こえなかった。


 一応咄嗟に反応して何とか手を出す事は出来たのだが、本当にただ闇雲に前に拳を突き出しただけだった。


 否、それしかできなかったし、実際に声は聞こえていたのだが、その言葉を認識する前に、俺の身体は二メートル程後方へ吹っ飛ばされていた。


「油断大敵…ですな?」


「…かはっ!」


 と、門倉さんが何をしたのか認識する前に、俺は胸と背中に走る鈍痛に耐えていた。


 一瞬本当に何があったのか分からなかった。


 門倉さんがこちらへ突っ込んできたのでそれに対応しようと必死に拳を突き出したら、いつのまにか門倉さんが視界から消えると、その直後に胸の辺りにドンッ!という鈍い音と衝撃が伝わり、気が付いたら吹っ飛んでいた。


 俺は慌てて体制を立て直そうと、起き上がろうとしたが、あまりの衝撃に呼吸が乱れ、瞬時に体制を立て直す事が出来なかった。


「…はぁ…はぁ…!」


「四季ちゃん!?」


 と、樹が声を掛けてくるが、それどころではなかった。


「ほほほ、人の心配をよりも戦闘中は相手から目を反らしてはいけませんよ?」


 と、門倉さんが樹の方へ走り寄りながらそう言うと、樹は左手を前に突き出し半身になって構え直す。


「だまし討ち…なんて、惚れちゃいそう…ねっ!」


 と、リーチを生かした樹が牽制とばかりに左、右と距離を取りながら自分の得意な距離で素早く拳を突き出す。


 真正面から対峙した門倉さんは樹の拳を常に紙一重で見切っており、一歩踏み込んで樹が拳を放ってくると身体を捻ってギリギリでそれを回避する。


「本っ当にやるじゃないの…?さっきから全力で打ってるんだけど、一発も当たらないわ…ねっ!」


「ほほ、良いパンチです。ご自身の強みも理解しておられますな?」


「ったく、褒めてくれるなら、一発くらい当たりなさい…よっ!」


 何発か放った樹の拳は相変わらず門倉さんの残像を掠めるばかりだが、門倉さんも樹の射程を意識しており、中々反撃の手を出してこない。


「ええ、先程から良いパンチなので、私も結構ギリギリですよ」


「何がギリギリ…よっ!」


 二度三度と果敢に攻め入る樹だったが、中々決め手に欠けるようで、額には汗が浮かび、その表情も徐々に曇っていく。


「お、今のは惜しかったですな?」


 漸く門倉さんの頬に一発良いのが入ったかと思えば、それは門倉さんの誘いの一撃で、上手く首を捻って直撃を避け、衝撃を逃がしている。


 門倉さんは半歩下がると拳を掠めた頬を手で押さえているが、その表情には余裕の笑みを浮かべており、一向に曇る気配がない。


「ったく、何が惜しかったよ。きっちりいなされてて手ごたえ全然なかったじゃない…のっ!」


 と、樹は悪態を吐きながらも、仕切り直しとばかりに門倉さんの顔面目掛けて右足で鋭い蹴りを放つ。


 しかし、門倉さんはそれを待っていたと言わんばかりに大きく開脚し、地面と接触するくらい身を低くしてそれを躱す。


 樹の蹴りは盛大に空を切り、勢いそのままにその場で回転する独楽の様に一回転しそうになるのだが…。


 門倉さんはもちろんそんな隙を見逃すはずもなく、地面に手を着いてバネの様に勢いよく瞬時に立ち上がり樹との距離を詰める。


「樹さまは喧嘩の仕方…ご自身の強みを理解しておりますが、それゆえ慢心がおありのようで。戦闘の場では足をすくわれますよ?」


「なっ!?」


 と、そのまま門倉さんは立ち上がった勢いそのままに、樹の方へ倒れ込む様にしてカウンタ―の掌底を放つ。


「くっ…!」


 門倉さんの放つ掌底は丁度樹の鳩尾辺りにヒットして、樹はその痛みと衝撃に後ろへよろめき、ぎゅっときつく顔を歪ませて苦悶の表情を浮かべていた。


「恵まれた体格故、あまり強者とやりあった事が無かったのですな。恐らく喧嘩は負け知らずだったのでは?」


 と、樹に言葉をかけると、樹はその言葉を聞いて悔しそうに歯を食いしばっていた。


「くっ…ええ、その通りよ…げほっ…今のはキいたわぁ…ごほっ、ごほっ…!」


 鳩尾の辺りを抑えて樹はその場で咳込んでいる。


 俺もようやく背中と胸の息苦しさから解放されて、よろよろとその場から立ち上がろうとすると、門倉さんが構えを解いて言い放つ。


「お二人とも連携はお見事でした。しかし、先程も申し上げた通り少し気が緩んでおりましたからな。今から行くところは無法地帯…それをゆめゆめお忘れなきよう、心がけておきますよう肝に銘じておくように」


 と、門倉さんはそう言い放ち「ふぅ…」と、一息つくと、腕を下ろし構えを解く。


 手で軽く燕尾服に付いている土を払い、身なりを整えると、ニコリと笑みを浮かべて口を開く。


「コン様、もう終わりました故。そのような険しい顔はおやめください。大丈夫です、彼らは強いのでこの程度ではどうということはありませんよ」


 と、門倉さんは俺を見ていた訳ではなく、珍しく先ほどから何も言わずに黙ってこちらの様子を伺っていたコンの方へ語り掛けていたのだった。


「もう…いぢめない?」


 俺は何度か深呼吸を繰り返し、撃たれた胸とぶつけた背中の痛みが引いた辺りで、漸く後ろを振り返ると、そこには不安そうに眉を顰めながら、尻尾をブワっと逆立てて、目を見開き犬歯を覗かせて、今にも門倉さんに飛び掛かろうとしているコンが立っていた。


 コンの問いかけに門倉さんの表情から一瞬笑みが消え、神妙な顔つきで、コクリと頷き肯定する。


「ええ、もう痛い事は致しませよ。少しばかり腕を見させてもらっただけですので。それと注意喚起、ですな?」


 と、門倉さんはそう言うと、俺の方へ近づいてくると手を差し出してくる。


「ふむ、なら…良いのじゃ」


 と、コンがそう言うと、門倉さんはまた笑みを浮かべ、額を拭う。


「肝が冷えますな。それよりも、大丈夫ですかな?それほど強く当ててはいませんが、内臓系は慣れてないと痛みというよりも衝撃の方が強いですからな」


 と、門倉さんは俺の手を取って、引き上げる。


「いてて…完全にしてやられましたね…完敗です」


「あーもう…ホント二人がかりでも勝てないなんて…自信無くすわぁ~…」


 と、樹もようやく痛みが治まってきたのか、一度深呼吸してからこちらに歩み寄って来る。


「四季っ!樹!大丈夫かのっ!?」


 と、コンがこちらへ不安そうな顔をして近寄ってくると、俺と樹へ交互に視線を向けてくる。


「ああ、凄い威力だったけど大丈夫だ。門倉さんは俺達に危険だから気を引き締めろって教えてくれたんだよ。ちょっとやり方は荒っぽかったけど、もし本当にあのまま侵入していたら、俺は死んでたかもしれないからな」


 ぽんっ、とコンの頭に手を乗せてわしゃわしゃと撫でてやると、コンは嬉しそうに眼を細めて、こちらに額を差し出してくる。


「う、うむ…なら良いのじゃが…そのもうちょい優しく…!」


「ああ、すまんすまん…」


 と、コンを撫でている俺を尻目に樹が眉間に皺を寄せて、神妙な面持ちで門倉さんへ問いかける。


「ねえ、さっきの蹴りといい、今の掌底といい…一体どうやったのかしら?ボクシング経験者から良いパンチ貰ったことはあるけど、あれほどの重さは無かったわ。どんなカラクリなの?」


 樹は右手で掌底を打ち込まれた鳩尾辺りをさすり、門倉さんに問いかける。


「ほほほ、先程のは截拳道ジークンドーと躰道の技の応用です。四季様への蹴りは躰道の卍蹴りをベースにしたもので、樹さまへの掌底は截拳道ジークンドーの打ち方で放ったものですので、コンパクトに見えて威力が乗ります」


 と、門倉さんは樹に放った掌底をその場で空に放ち、もう一度見せてくれた。


「訓練すれば誰でもできますが、体得するまでに少しばかりコツが要ります」


 門倉さんは掌底を放つと、少し離れた位置にいた俺にさえ空を切るビュンという風切り音が聞こえてくる。


 コンパクトに素早く放つその所作はまるで無駄がなく、まさに達人の放つそれだった。


「はぇ~…改めて見ると惚れ惚れしちゃうわぁ…」


 確かに門倉さんの放つ一撃は凄かった。


 放つ際の足の運びや、軌道が常に目標へ向けて真っすぐな事や、身体の軸がブレずにしっかりと目標を捉えている所等、上げるとキリがないのだが、とにかく凄いとしか言いようがなかった。


 素人目に見てもそれは卓越した技術に裏打ちされたものだと分かる。


「恐縮に御座います。樹さまももう少し振りをコンパクトにして、脇を閉めて打たれると放った後の隙を消せるのと、軌道が読みづらくなりますよ」


「あら、そうなの?」


「はい、是非お試し下さい」


 門倉さんはそう言うと、一礼してこちらに向き直り、一度咳払いをしてから言う。


「こほん、ではそろそろ時間ですので参りましょうか。私が先頭を務めますので、ん真ん中に四季様、後方に樹様、コン様は…四季様に着いて来ていただけるとよろしいかと」


「了解、それで行きましょう」


「分かった、じゃあいよいよだな…?」


「しゅっぱつーしんこー…なのじゃ!」


 と、門倉さんによるテストでは散々な結果になっていたのだが、連携の部分を評価されて、何とか気を引き締めてアジトに潜入することが出来る。


 漸く、仙狐水晶を取り返せるかもしれない、と思うとここ数日の出来事を思い出し、自然と握る拳に力が入ったのだった。


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