第67話 浄化の炎と煤払い

 俺は急いで車を走らせ、中央区から住宅街へと向かう。


 途中電話で様子を確認したが、戸締りを終え一階のばあちゃんの部屋に籠り、三人で身を寄せ合ってるとのことだ。


 今の所変わった様子は無く、相変わらず淀みはぽつぽつと点在しており、家の周りを取り囲む様に佇んでいるだけの様子だった。


 俺は問題が起きていない事に安堵した。


 それと運のいい事に、車は実家に辿り着くまでに一度も赤信号に引っ掛かることなく、進むことが出来た。


 俺は目的地付近に到着すると、辺りの様子を車内から伺う。


 しかし、それらしいものは何も見つけられなかった。


 淀みの発生源をもしかしたら確認できるかもしれないと思っていたのだが、居るとしても普通に見慣れたご近所の面々だったり、畑仕事をしているお年寄りだったりと、そんな感じだった。


 良くも悪くも変わらない、そんな日常風景が広がるだけで、特段これと言って気になる事も無かった。


 思ったよりも深刻さを感じる事が出来なくて、肩透かしを食らった様な感じがしたのだが、コンが言うにはそこらに淀みが溢れているととのことで、コン自身も不気味がっているくらいだった。


「コン、俺だ。今家に着いた。鍵を開けるからどんな様子か詳しく聞かせてくれ」


 俺はそう言うと車を駐車場に停めて、カバンの中から鍵を取り出し手早く開錠すると家に入る。


 すると廊下の向こう側にあるばあちゃんの部屋の鍵がガチャと音を立てて開き、見慣れた金髪の毛並みを持つ幼女がこちらへダダダダと駆け寄って来ると、頭から思いっ切り飛び込んできた。


「おっそい!遅いのじゃ!じゃが…良く帰って来たのじゃ…!」


 と、悪態をついてはいるが、俺に飛びついたままの姿勢で小さな手が服の裾をぎゅっと強く握りしめて離さない。


 それとフサフサの耳と尻尾がぴこぴこと小刻みに揺れ動き、ぐりぐりとおでこを押し付けてくるコン。


 俺は苦笑しながら、コンの頭に手を乗せて軽く撫でる。


「すまん、遅くなった…で、どういう状況だ?」


 と、撫でてやると、すりすりと手に頭を押し付けてくるコン。


「その前に…おぬし、臭いぞ…?風呂には入ったのか?」


 と、コンが鼻をつまんで手を放し、こちらを怪訝そうな目で見つめている。


 完全にジト目というやつだ。


 先程まではあんなに甘えていたコンだったが、一瞬で掌を返したかの様な態度を取る。


 いや、一応今朝シャワーは浴びたのだが…。


「そんなに臭いか…?」


 と。若干ショックを受けたのだが、俺もいい歳したアラサーのオッサンだ…。


 もしかしたら、自分では気づかない加齢臭がしている可能性も否定はできない。


 くんくんと、鼻をならして自分の腕や脇の匂いを嗅いでみたが、実際に臭いと感じる程の臭気は確認できなかった。


 むしろ先程身体を洗ったボディーソープの匂いがするくらいで、石鹸の匂いだ…程度にしか感じられなかったのだが…。


 俺が匂いを確認していると、コンはスンスンと鼻を鳴らして再び近づいて来る。


「落ち込んでおる場合か!スンスン…ここ、ここじゃ!ここから匂って来るのじゃ!」


 と、コンが鼻を近づけたのはズボンのポケットの辺り。


「ん?ポケット…?」


 と、俺が手を突っ込んで中を探ると焦って忘れていたが、車の上に乗っていたA4サイズの警告文が書かれたコピー用紙がくしゃくしゃに丸まって入っていた。


「これか…?」


 と、恐る恐るコンにそれを差し出すと、コンは思いっ切り咽てしまった。


「けほっ、けほっ…うえっ、何てモノを持ち歩いておるのじゃ…お主、それを早く寄越すのじゃ…く、臭すぎて、鼻が曲がりそうじゃ…うえっ!」


 と、小さな手を差し出すコン。


 俺がそれを手渡すと、コンは親指と人差し指で丸めた紙の端っこをちょこんとつまんで、目いっぱい腕を伸ばし、なるべく顔から遠ざけた状態で土間にそれを放る。


「おい、ちゃんと捨てないと駄目じゃないか…!」


 と、俺がコンが投げ捨てた紙を拾おうとすると、コンはきつく言い放つ。


「いいから、見ておれ!」


 ぴしゃりと言い放つコンの言葉に、俺は動きを止めてその場に立ち尽くす。


「どれだけ酷い匂いか、お主にも分かる様に可視化してやるのじゃ…」


 不思議に思い、コンの様子を伺うと、コンは胸の前で小指と薬指を組み、人差し指と親指の腹を合わせて三角形を作った状態で、目をつむり、眉間に皺を寄せてぶつぶつと何かを唱えていた。


 コンが短く言葉を紡ぐと、玄関に放り出された丸めたA4用紙の周囲には、最初は薄っすらとだが、目を凝らすと段々黒くべっとりとした粘液状の物が絡みついているのが見て取れた。


 しかも酷く異臭を放っており、確かにコンの言う通り、これは臭いという他無いだろう。


 例えるならば、下水道の匂いと言えば通じるだろうか?


 幾多の排泄物や汚物が混交としており、腐敗した汚水が放つ独特のツンとした刺激臭。


 もっと言えば、人間の吐瀉物の様な…饐えた匂い…。


 酸っぱい様な、甘い様な、とにかく不快…という文字をこれでもかと顔に浮かべるレベルの臭気がそこからは漂っており、今すぐにでも鼻を摘まんで、物理的にこの匂いをシャットアウトしたくなる様なそんな刺激臭が辺りを覆い尽くす。


「うえっ…これは…相当酷い匂いだな…」


 俺は顔を顰め、大げさに鼻を摘まむ。


「そのドロっとした黒いの…それが淀みじゃ。付着しておる物は少量ではあるが、悪意を持ってその紙には間違いなく付けられておったからな…」


 コンは手を組んだまま、再び続ける。


「祓え給え、清め給え…清き炎の御業にて、この地に溜まりし淀みを浄化し給え…!」


 そして詠唱が終わると数舜の後、その粘液状の黒い液体を覆い尽くす様に輝度の高い青白い炎が煌々と燃え上がる。


「うわ、大丈夫かこれ?」


「安心せい。ワシら土地神が使う浄化の炎じゃ。物は燃えたりせぬから大丈夫じゃ」


 聖なる輝き…とでも言えば良いのか、俺にはその炎がそう見えた。


 見ていると心が落ち着き安心するような、そんな輝きを放つ炎はボッと音を立てて、ゆっくりと淀みを浄化していく。


 炎に抱かれて徐々に小さくなっていく淀みは、最後の抵抗とばかりに紙にしがみつくようにべっとりこびりついていたが、それもあっけなく炎が燃やし尽くしてしまった。


 あれ程ドス黒く淀んでいた物を燃やしたにも関わらず、立ち込める煙は白く、そのまま天に立ち上るかの如く、ゆらゆらと一つの筋を形成して、くうへと霧散していった。


「ふむ、終ったのじゃ」


 コンがそう言うと、青白い炎は綺麗さっぱり消え去っており、残っていたのはA4の紙切れ。


 くしゃくしゃに丸まってはいるが、紙に焦げた様子等は一切無く、さっきまで燃えていたとは思えない程、綺麗に原型を止めていた。


「い、今のは…?」


「うむ、こびりついた穢れを祓う…まあお炊き上げみたいなものじゃ。悪意を持って付着しておる物にはそれ相応の因果が発生するからの…。ワシは今その悪意とおぬしの因果を断ち切り、災いを振り払ったのじゃ!」


 したり顔で腕を組み、堂々と説明しているコンだったが、何が何だかさっぱりだった。


「つまり、どういうことだってばよ?」


「だーかーらー…うー…説明が難しい…のじゃが…。ほれ、呪物とか呪いってあるじゃろ?相応の念を込められた物というのは本当にそういう風に働いてしまいうのじゃ」


 コンは小首を傾げて「うーうー…」と頭を抱えて唸っている。


 まあ念を込めた道具と言えば、付喪神的な考え方なのだろうか?


 日本の昔話では長年使い込んだ傘や提灯が化けて人を脅かす妖怪になることもあるわけだし、現代では煤払いといえば年末の大掃除の事を指すが、昔の人が行っていた煤払いというのは実際は年末に一斉に行う厄払い的な意味合いを持っており、それを神様的な感覚として行うと浄化である…と、そう言う感じなのだろうか?と、俺は解釈した。


 俺はぱっと浮かんだ考えをコンに伝える。


「それはつまり…付喪神に惑わされない様に払う的なやつか?」


「おお!それじゃそれ!まあ、悪い物を持っていると相応に悪い事が起きるのじゃ。ワシはそれが起こらんようにそれを浄化して、ただの紙切れの状態に戻した…ということじゃなのじゃ!」


 と、コンは耳をぴくぴくと小刻みに揺らして得意げに語る。


 だが、浄化作業はいいとして…。


「ああ、だがそれはいいとして…コン今状況はどうなってるんだ?淀みの反応はどうなった?」


 俺がそう尋ねると、コンは歯切れ悪く答える。


「その…なんじゃ、お主が帰って来ると同時に、その…気配が、消えた…のじゃ…」


「え?」


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