第66話 包囲網と緊急コール

 事務所の駐車場に俺の車は止めてあるのだが、ボンネットに見慣れないA4サイズの紙切れが一枚ぽつんと置かれていた。


 俺は嫌な予感がしたのだが、躊躇せずにそれをめくって手に取り確認すると、紙切れから果物が腐る直前の様な甘くて豊潤な匂いがしたのだが、香水か何かかかっているのだろうか?


 匂いに気を取られたが肝心な文面はというと、ワードで打ち込み印刷したのかシンプルな物でこう書かれていた。


【余計な詮索はするな。これ以上詮索するなら容赦しない。これは警告だ次は無い】


 とのことらしい。


「こりゃ…まいったな…」


 自然に口から声が出てしまう。


 俺は手にした紙切れを凝視したまま、空いている左手を後頭部に当てると、二、三回ぽりぽりと掻く。


 俺の予想通りというか、やはり昨日誰か居たのは間違いないし、それがきっと半グレ組織の一員で、偵察に来ていたのだろう。


 俺の職業を知られてしまったのは正直マイナスだ。


 監視の目がある以上、恐らく今の俺の行動も誰かに見られている可能性も考慮しなければならない。


 となると、今実家に戻るのは流石にまずいか…。


 俺個人ならまだ対応出来る可能性もあるが、流石に母さんやばあちゃんに迷惑をかけるわけにはいかない。


 コンには悪いがそのまま家に居てもらう方が安全ではある。


 どうすべきか…。


 とりあえず、実家に帰るのは無しだな。


 ここは譲れない。


 となると、今日の予定だが…久那妓さんの所に行って仙狐水晶と半ぐれ組織についてちょっと聞いてみるってのはアリ…なのか…?


 しかし、今は思念の昇華作業で恐らく手一杯の可能性は高い。


「うーむ…困ったな…」


 と、一人ぼやいていると、ピロンと軽い電子音が木霊しスマホに着信があった。


「誰だよこんな時に…」


 と、画面を見ると母さんから電話だった。


 俺は車に乗り込み、エンジンをかけてエアコンを全開にしてから電話にでる。


「はい、もしもs…」


「おっそーーーーーーーーーーーい!何をしておるのじゃ!はよ帰ってくるのじゃ!待ちくたびれたのじゃ!」


 と、俺が言い切る前に受話器から聞こえてくるのは子供特有の甲高い声。


 だが不思議と嫌なものではなく、俺はその声を聞いてどこか安堵してしまっていた。


 だが、口調から察するに随分と焦っている様だ。


 まだ離れて一日も経っていないはずなのだが、随分と懐かしく思えてしまった。


「ああ、悪いその件なんだが…」


 と、俺が言葉を紡ぐ前にまたしても受話器の向こうのケモミミ幼女は続ける。


「なんだか変なのじゃ!家の周りに濃い淀みが集まってるのじゃ…!一つや二つじゃなくて…十……いや、もっとじゃ!」


「何だって!?」


 見通しが甘かった。


 実家の方まではバレていないと高を括っていたのだが、どうやらバレてしまっているらしい。


 警告だとは言っていたが、既にそこまで手が伸びているということか…。


 何故バレた、いや…今はそんなことはどうでもいい。


 今は一秒でも早くコン達の安全を確保することが優先だ。


 俺は居ても経ってもいられなくなり、手にした紙切れをくしゃりと丸めてポケットに突っ込むと車を動かす。


 アクセルを踏み込むとマフラーから排気ガスを吐き出す音が、ブオンと聞こえてくる。


 俺はスピーカーモードにしてスマホをスタンドに立てかけて、車を走らせる。


「コン、淀みの気配はどんな感じだ!?すぐに動きそうか?」


「…まだ、こちらに向かって来る様子は無い…のか?家の周りを取り囲む様に淀みが溢れておる…のじゃが…」


 と、俺がそう尋ねるとコンは少し黙り、何とも歯切れの悪い回答をする。


「どういうことだ…?」


「わからぬ…分からぬが…とにかく不気味な感じじゃ…。明確にこちらを認識しておる様子じゃが…攻めてくる様子は今の所感じられぬ…というか、ただこちらをジーっと見ている様な…そんな感じなのじゃ…」


 コンの声のトーンが一段階下がると、真剣な様子でコンはそう告げる。


 俺はそれを聞いて警告の意味が分かった。


 相手はいつでもこちらの大事な物を攻撃できる、これ以上関わる様なら容赦はしない…とは、ばあちゃんや母さんを人質に取った様なものだ。


 くそっ…こうならない為に慎重に行動していたというのに…迂闊だった…。


 自分の軽率さ加減に嫌気が刺すが、今はそれ所ではない。


 俺はコンに指示を出す。


「いいかコン?とりあえず、戸締りをしっかりして今は家から一歩も出るな!俺もすぐに向かうから、三人一緒の部屋で鍵をかけてじっとしてるんだ!いいな!?」


 と、俺はそう言うや否や車のアクセルを踏み込む。


 はやる気持ちを抑えつつ、多少運転も荒っぽくなってしまったが、交差点を抜けて何とか実家を目指す。


「コン、電話は繋いだままにして、何かあったらすぐに知らせろ!いいな!?」


「う、うむ…わかったのじゃ!とーこ、ハル!すまぬが今から家に鍵をかけてわしと一緒の部屋におってくれ!できれば部屋に鍵がかかる所が良い…頼む、時間がない、急ぐのじゃ!」


 と、コンはしどろもどろになりながらも、一生懸命俺の指示を母さんたちに伝えると、受話器の向こうから母さんの声が聞こえてくる。


「どうしたの?随分と急な話だけど…何かあったの?」


 と、母さんがそう言うが、今は説明している時間すら惜しい。


「母さんごめん、緊急事態なんだ。今はとりあえずコンの言う通り、急いで戸締りをして、コンの言う通りにしてくれるか?」


「……分かったわ。とにかく戸締りをすればいいのね?」


 と、俺がそう言うと、母さんは少し間を置き、了承してくれた。


 コンの必死の説得と俺の言葉を信じてくれたのか。


 まあ、何にせよありがたい。


 とりあえず、今は一刻も早く向かうしかない。


 俺は家族の無事を祈りつつ、懸命に車を走らせたのだった。


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