第62話 行きつけの飲み屋と息子さん(3)

「ねえ、あんたたちもアレに興味あるの?」


 そう言ったのは隣の女性。


 歳は二十代~三十代くらいだろうか?腕にはシルバーのブレスレットを巻いて、髪はロングヘアーにヘアアイロンで巻いたウェーブがかった茶髪で、やや濃いめのファンデーションで気合の入ったばっちりメイクをしており、一直線に引かれた整った眉が印象的で顔立ちは整っている。


 アルコールが入っているせいか、目がトロンとして、少し頬が紅潮していた。


 薄い朱色の口紅をしており、唇ははぷっくりと張り艶が良く、色っぽい雰囲気を醸し出していて、服装は上はグレーの肘の辺りまで袖が伸びたVネックのフェミニンを着ており、下は黒のロングワンピース。


 首元にゴールドの細いチェーンが付いたネックレスをしており、ペンダントトップには小ぶりのピーナッツくらいの大きさのクロスが付いていた。


「えっと…あれ、とは?」


 と、俺が聞き返すと彼女は続ける。


「あら、てっきりあんたたちもそれが目的だと思ったのだけど違った?さっきから見せ付ける様にイチャついてたし、絶対そうだと思ったんだけど…?」


 と、女性は首を傾げてばつが悪そうに顔をしかめるている。


「あー…違ったならごめんなさい、今のナシで!」


 と、話をうやむやにしてそそくさと退散しようとする彼女を樹が引き留める。


「ああ、ごめんなさい、この子まだ慣れてなくてね?実はそうなの、あたしたちも”アレ”が目的だったんだけど、初めてで慣れてなくてね?教えてくれると助かるのだけど…どう?」


 と、樹が一瞬こちらに振り向きながら片目を閉じてウィンクする。


 ”任せてほしい”の合図だろうか?俺は無言で軽く頷き、話を合わせる。


「すみません、そのまだちょっと恥ずかしくて…」


 と、俺がそう言うと彼女の表情は怪訝そうなものから、ちょっとした好奇心を露にして、ぱぁっと明るくなる。


「あ、あ!やっぱそうだよね?何か雰囲気が凄い独特で、気になってたんだ!さっき彼氏と絶対そうだって話してたんだけどやっぱりそうだったんだ!うわー男同士のカップルって初めて見たかもー!?」


 と、ややテンション高めにこちらに話しかけてくる彼女は、どうやら何か勘違いをしてくれたようだが、それはまあ結果オーライということでそのまま話を聞き出そう。


「あの、アレってどうやったらいいのかしら?」


 と、樹が言うと彼女はむふふ…と目を細めてほくそ笑むと、下世話な好奇心を丸出しにして尋ねてくる。


「うわ、待ちきれないって感じだ!やっぱ男の人同士だと体力あるから…”アッチ”も凄そうだわー…。あ、ごめんなさい、私ったら一人で盛り上がっちゃって…」


 と、表情をコロコロと変えて一人でまくし立てる様に喋る彼女は昼間車の中で作戦を考えていた時の花奈みたいだった。


「ええ、手短に頼むわ!もう、久しぶりだから待ちきれなくって…」


 と、樹が右手を口元に当てて、もう左手をぱたぱたと手招きする様に動かしおどけた様に彼女にそう言う。


「きゃー!やっぱり!やっぱり!?うわー、それじゃあ教えてあげなきゃね?あ、でもその前に一応確認なんだけど、どこで情報仕入れたの?」


 と、探りを入れてきた。


 やはりそう簡単に行くわけはない。


 何か上手い切り替えしをしなければ、怪しまれてしまうだろう。


 さて、どうするか…樹が任せろと言っていたので、ここは話を合わせるべく任せてみるか。


 と、俺が思案していると、樹はニコリとほほ笑み、女性の方を見据えると言い放つ。


「ごめんなさい、一応SNSで見かけたんだけど…私たちの方ではこの店としか指定がなかったの。それから先の方はちょっと分からないのだけど…ごめんなさいね慣れてなくて…」


 上手い!


 極力見聞きした事実だけを述べて、先程スマホを確認していた事も伝えていたので、そこから推察して恐らくSNSだろうとアタリを付けた切り返しで、そこまで不自然な点は無いだろう。


 更に自分の持っている情報を駆使して、相手から追加の情報を引き出すべく追撃をかけている。


 聞きようによっては不信感を抱かれる可能性もあるが、うやむやにしてはいない絶妙な返しだと思う。


 現状出来る返しとしては満点に近い回答なのではないだろうか?


 ここは下手に何か言うより、樹に一任した方が良さそうだな。


 俺は残っている酒を一口飲むと、彼女は少し考え込む様な素振りを見せたが、最終的には好奇心が勝ったのか、こちらと距離を詰め、俺と樹の横の椅子に腰かけると、俺と樹にギリ聞こえるか聞こえないかくらいの小声で話しかけてくる。


「あの、あまり大きな声では言えないから…」


 と、彼女はそう言ってスマホをを操作するとSNSの画面を見せてくる。


 どうやら、なんとか信用してもらえた様だ。


「ほら、これ見て…?」


 と、そこに表示されていたのは先程花奈が見せてくれたSNSの画面。


 アカウント名は何ともでたらめな名前でビンビン丸とかいうふざけた名前のアカウントだった。


 プロフィール欄を覗いてみると”WD10K~要DM”とだけ書かれており、ぱっと見なんのこっちゃと思ってしまうが、ダイレクトメールでのやり取りを彼女は見せてくれた。


「私は彼氏に教えてもらったんだけど、このアカウントにDM送るとお店の場所と合言葉が送られてくるの。ほら、そこの無口なお兄さんは見てたんじゃないかな?うちの彼氏と店員さんのやり取り」


 と、先程彼女の彼氏である男性が店員としていたやり取りを思い出した。


 ◆


「すみません、子山羊の香草焼きはありますか?」


「申し訳ございません、原料の高騰で本日売り切れでございます。別の温かいスープならお出し出来ますがいかがでしょうか?」


「あー…どうしても食べたいんだけど、少し割高でもいいから出せないかな?」


「かしこまりました、少々お待ちください。厨房に確認してまいりますので…」


「すまんが頼むよ。あ、ここタバコは吸えたっけ?」


「喫煙は外のベンチでなら可能でございます」


「おっけー…じゃあよろしく頼むよ」


「かしこまりました。よろしければ火をお持ちしましょうか?」


「あ、助かるよ。じゃあお願い」


「かしこまりました、すぐにお持ちいたします」


 ◆


 確かこんな感じだったか?細かい所までは覚えていないが、メニューに載っていない子山羊の香草焼きを注文して、それから…。


 と、俺がそのやり取りを思い出していると、彼女は口を開く。


「子山羊の香草焼きってのは言わば合言葉みたいなもので、店員さんとのやりとりが大事なの」


 と、彼女は続ける。


「いい?まず店員さんに子山羊の香草焼きを注文すると、アレがあるかどうか教えてくれるの。売り切れってのは建前ね。高騰しているってのはレートがどのくらいかなのか、温かいって言われたらあるし、冷たい何かを勧められたらその日は無いの」


 なるほど、暗号ってわけだ。


「そんで、割高でもいいから出せないか?っていうのは割高了承って。ここで渋ると出してくれない時もあるから相場より多めに払うくらいの気持ちでいるといいわよ」


 と、彼女はアドバイスしてくれた。


「んで、一連のやり取りが終われば受け渡し。タバコが吸えるか確認するの。そしてたら外って言われたら外だし、店の奥だって言われたら奥だし、その時によって場所は変わるわ。今日は彼は外で受け取りだったからそろそろ戻って来る頃ね」


 ということらしい。


 彼女がそう言い終えると、いつの間にか外に出ていたのか店員が店の中に戻ってきており、少し遅れて彼も戻って来ると、心なしかニッコニコで席に戻ってきた。


「あ、彼が戻ってきた!もっとお話ししたかったけど、多分今日は眠れないだろうから…もう行くわね。それじゃ、あなた達も頑張ってね?」


 と、手をひらひらと振って彼の方へと歩いていく。


「ごめんごめん、お待たせ!さ、行こうか?」


「あ、りょうかーい!それじゃあね~!」


 と、妙にくねくねとしなを作り、彼の腕へと絡みつくと、彼の胸ポケットから一瞬チラッとこちらに見せ付ける様にペン状の何かを覗かせると、そのままお会計を済ませて店を出て行ってしまった。


 彼女を見送った後、樹と顔を見合わせる俺。


 今聞いた話が本当なら、とりあえず試しに一本持ち帰るってのもアリだが、はてさてどうするべきか…。


 そんなことを思案していると、樹が声を掛けてくる。


「で、どうするの?」


 と、今まさに考えていた事をそのまま問いかけられ、答えに詰まっていると、樹の方から提案してきた。


「ねえ、今日の所は情報収集が目的でしょ?彼らがいる前で目立った行動をするのはどうかと思うの。撤退して、後日必要になったら入手しても良いんじゃないかしら?」


 と、提案してくるのだった。


「確かにそうだが…」


 確かに樹の提案にも一理ある。


 後ろの席には半グレ集団の一員が居て、もしここで行動を起こせば顔を覚えられて動き辛くなるかもしれない。


 慎重に行くなら一度撤退して、後日証拠が必要な時に入手すれば良い。


 俺は腕を組み思案していたが、ここは素直に樹の言い分に従う事にした。


「分かった、今日の所は引き上げよう。収穫はあったしもう十分だ」


「ええ、そうしましょう…」


 と、俺がそう言うと、樹が席を立つ。


「ここはあたしが。お昼のお返し」


「分かった、任せるよ」


 と、片目を閉じてそう言うのでお言葉に甘える事にした。


 レジ前に行くと、店員さんがこちらを見据えて深々と一礼すると、手早く会計を済ませる。


「ごちそうさまでした!お料理もお酒も美味しかったです。また来ます!」


「ホント美味しかったわ~、またくるわね~!」


 と、一言ずつ挨拶をすると、店員はにこっとほほ笑みを浮かべてまた一礼してみせた。


「またのお越しをお待ちしております」


 その言葉を背に、俺達は店を後にしたのだった。

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