第63話 ほろ酔い気分と探偵事務所

 店を出る頃には時刻はもう二十三時頃を回っていた。


 騒がしい繁華街もピーク時に比べると心なしか落ち着いており、道行く人も心なしか酒を嗜んで、頬を赤らめた人がちらほらと散見された。


 俺と樹はそんなに飲んでいなかったが、久々に飲んだアルコールによって、ほろ酔い気分で裏通りから表に歩いて行くと、火照る身体に夜風が心地よかったのだが、流石に徒歩で戻るのも大変なので、そこでタクシーを拾って一度俺の事務所へと向かった。


 八雲探偵事務所。


 ここが俺の今の根城である。


 中央区の繁華街にある三階建ての雑居ビルの最上階にあるこの部屋は、オーナーさんの好意により、格安で借り受けることが出来た。


 その代わりといっては何だが、ビル全体の管理業務…主に月一回の清掃や蛍光灯の交換等の雑務を任されていて、一階と二階にはテナントなんてものは入っておらず空き物件なので倉庫になっている。


 当然上の階に上がるのにエレベーター等という気の利いた物はないので、毎回三階までの長い道のりを微妙に角度のキツイ階段で上がらなければならない。


 築年数も四十年を超えているらしく、それなりに老朽化しているのでいつ取り壊してもおかしくない物件なのだが、見た目のボロさとは裏腹にしっかりと鉄筋を使っている為建物自体は丈夫な造りになっている。


「しっかし…相変わらずぼろっちいわねえ…引っ越したら?」


「仕方ねーだろ、安いとこがここしかないんだから…他は家賃が一桁以上変わるんだよ…我慢しろ。コーヒーで良いか?」


「ええ、ありがとうそれでいいわ」


 と、事務所に着くなり早々に樹はそう言って、入口入ってすぐに置いてある安い合皮のソファにドカッと腰掛け足を組む。


 対面にも同じソファと、その間には強化ガラスのテーブルが置いてある。


 事務所の間取りは大体2LDKのボロ事務所だが、男一人が住む分には広すぎるくらいである。


 入口向かって右手奥にトイレと風呂場があり、古い建物だがトイレと風呂は別になっており、そこはオーナーの拘りらしい。


 右手手前には捜査資料等の備品を置いてある。


 こちらはパーテーションで仕切りをしてあるだけだが、奥の方には棚にびっしりと書類が詰まっている。


 基本的に顧客情報等はPCで管理してはいるが、それでもまだ全てをデータに移行することは出来ず、いくつかの情報は紙のままだ。


 正直必要な書類を探すのが億劫になる時もあるが、基本的に優秀な助手が俺の代わりに探してくれるのだ。


 まあ、その助手も今は長期休暇を取っており、海外に居るので仕事が入ったら自分で書類を探す必要があるのだが…。


 まあ、それはいいとして…。


 左手奥には俺の私室兼寝室があり、その手前の方にはキッチンがある。


 キッチンとはいってもそこまで広いものではなく、二口焜炉と電子レンジとヤカンと後は冷蔵庫が置いてある程度でキッチンは殆ど使う事はないのだが。


 基本的に自炊は面倒だと思っているので、身体に悪いと分かっていても外食で済ます事が殆どだ。


 後は極稀にカップ麺にお湯を注ぐ為にやかんに火をかけるくらいか。


 俺は備え付けの冷蔵庫から缶コーヒーを一本取り出し、樹の方に投げ渡す。


「ん、さんきゅ」


 と、樹は缶を受け取るとプルタブを開け、中身を一口飲むと一息つく。


「はぁ…まあいいわ。とりあえず情報の整理をしましょうか?」


 と、そう言うと前のめりになり膝の上に肘をついて腕を組み、そこに顎を乗っけて俺が座るのを待っていた。


「ああ、そうだな」


 俺もそう言って、冷蔵庫から一本コーヒーを取り出し、エアコンを起動させてからガラステーブルを挟んで樹と対面する形で席に着く。


「まず、さっきの会話からして、彼らが何かきな臭い事をしているのは確かよね。政さんの息子さん…政次さんが半グレ集団に加入してから、稼ぎが増えたって言ってたけど…何かあるのかしら?」


 樹が口を開くと、俺は腕を組み少し考え込む素振りを見せる。


「まあ…政次さんが加入した事で稼ぎが増えたってことは、それなりに何か恩恵があったってことだろ?」


「ええ、そうね…まあ彼らの仕事といったら…アレよねえ?」


 樹は腕を組んで右手の人差し指だけ伸ばし問いかけてくる。


 この場合のアレとは恐らく…。


「ああ、多分薬物の売買だろうな」


 俺がそう言うと樹はコクリと頷き肯定して続ける。


「そうよね。政次さんが独自の仕入れルートを持っていたとか、販売ルートを持っていたとか、そういったノウハウを持っていたのかは疑問だけど、とにかく彼らの収入が増加したのは確かよね」


「ああ、そうだな…」


 樹は人差し指をピンと立てて、こちらに向けると更に続ける。


「あと気になる事と言えば…龍司…っていう名前は初耳よね。奴らの態度から察するに上司かもしくは幹部の一人と考えられるわね」


 俺は一度缶コーヒーを煽ると、中身をチビチビ啜ってから答える。


「ずずっ…!ああ…一応機嫌を伺う様な相手ってことはつまりそう言うことだろうな…。恐らく元締めとか親玉の可能性は高いと思う」


 俺がそう言うと樹は首を傾げて腕を組み、目を閉じて続けた。


「でも、となると変よね…?」


「と、言うと?」


「変、というか関連性が見えないというか…何で半グレ集団である彼等はあの社から仙狐水晶を盗んだのかしら…?」


「うーん…そこなんだよな…」


 それは俺も考えていたのだが、誰が盗んだかはっきりしてはいるが、何故盗んだのかという動機は全くもって見当たらなかった。


「実物に価値はあるのかしら?」


「まあ、それなりに価値はあるんじゃないか?盗まれた物は代替品とはいえ、歴史的な価値はあると思うのだが…その辺は持ち主に確認してみないと何とも言えないな」


 水晶の画像は一応ネットで確認したが、明治の初期に交換されたとすると、大体百五十年前くらいの物ってことで、それなりに値は張るんじゃなかろうか?前にテレビで明治時代の工芸品に三百万の値段が付いている事に驚いた事がある。


 あくまで推測ではあるが仙狐水晶も物の状態にもよっては、それに髄する価値はあるだろうから少なく見積もっても百万円くらいはするんじゃなかろうか?


 というか、あんな山奥にひっそりと貴重品を放置するなよ…と、言いたくもなるが、そこは取り返してから持ち主に進言するしかないだろう。


「まあ、仮に価値があったとしてそれとこれと何の関係があるのかしら…?」


「うーん…売っ払ったとしてそれなりに纏まった資金が手に入ってそれで薬を仕入れたとかそんな感じなんじゃなかろうか?」


 俺は現実的に一番有力である仮説を樹に話してみたが、樹はいまいちピンとこない様子だった。


「まあ、普通に考えるとそうよね…でも、売ったとしたら変よ?コンちゃんはまだあそこに物があるかもって言ってたわよね?」


「あー…確かに…」


 別の淀みの可能性も否定できないが、かなり濃い淀みがあったとコンが言っている以上、そこに物がある可能性は高いだろう。


「盗品を手元に置いとくにしてもそれはリスクでしかないわけだし…私ならさっさと換金してそれこそ、足のつきにくい暗号通貨やネットバンクにでもぶち込んでおく方が便利だと思うのだけど…」


「ふむ…」


「まあそのリスクを犯してまで、手元に残しておきたい何かがあるっていうのなら話は変わってくるのだけど…その何かってのが分からないわね…」


 樹は言い終えると残っていたコーヒーをグイっと一気に飲み干し、机に空の缶を置く。


「そこなんだよな…まあ、付加価値については一度持ち主に聞いてみるか、久那妓さんに確認するのが良いかもしれないな。俺らはまあ久那妓さんから仙狐水晶には制御装置の役割があるってことを聞いているから、その重要性ってのも理解できてる訳だけど…」


 俺は前のめりになり、膝の上に肘を乗せて手を組み、そこに顎を乗せるとまっすぐ樹を見据えて言う。


「そうねえ…彼らが何らかの方法でそれを知りえたとしても、ただの人間にそれを活用する術を思いつくかしらね?」


「悪意に触れて悪意を増幅させるってのが仙狐水晶の特徴だとして…仙狐水晶を入手した事で出来る悪事なんてのはある…のか?」


「うーん…その辺はやっぱり価値の面も含めて久那妓さんに確認を取るのが良いと思うわ…」


「ふぅ…やっぱそうなるか…」


 樹は肩を竦めて両手を広げると、お手上げといったジェスチャーをする。


 俺も一度深呼吸をすると、緊張していた身体が弛緩していくの感じた。


「ま、何にせよもう一度夜桜山に登る必要があるかもね。仙狐水晶の価値だけを確かめるなら地主さんにでも確認すれば良いのだけど、仙狐水晶を使った悪事については久那妓さんの方が詳しいだろうから、そっちから直接聞いた方がいいわね」


 と、樹はそう言うと、立ち上がろうとする。


 その際にテーブルに足をぶつけると、ガンッという鈍い音が木霊したのだが、俺と樹の緊張は急激に高まったのだった。


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