猫の部屋の中で
笙
第1話
事件は、正月休みも明けた1月中旬の土曜日、二人で初詣に行った後に起きた。
その日は藤田の要望で、朝早くから聞いたこともないような小さな神社に行った。ご利益があると、SNSで人気に火がついたらしい。それを友人の早川が教えてくれたのだそうだ。
早川のせいで遠出しなければいけないことになり、青山は内心苦々しく思った。しかし藤田が行きたいというなら仕方がない。
行った先は確かに若いカップルや友達同士のグループで混んでいて、お賽銭を投げるのも長蛇の列だ。藤田は気を遣ったのか、並ばずに帰ろうとしたが、「せっかく来たんだし」と言って二人でお参りした。
藤田は人混みで疲れたようだった。賑わう神社の敷地から一歩離れると、昼前の静かな古い住宅地が広がる。駅に向かう帰り道を、二人で並んで歩いた。
「今日も、帰ってから勉強するの?」
「……はい」
やっぱり疲れない近場のほうがよかったんじゃないか。昼はどこか外で食べて、夜は宅配で頼んでもいいかもしれない。
藤田は家事をすること自体は好きなようだった。いい気分転換になるそうだ。でも今日みたいに疲れているなら、家事はさせずに休ませるべきだろう。今日明日は、自分が家のことをしようと青山は歩きながら考えた。
「初詣くらいいいかなと思ったんですけど、この時間、やっぱり勉強したほうがよかったかな……」
試験も近づいてきて、プレッシャーを感じているのだろう。今日は久々の外出だった。青山はうつむく藤田を横目でちらちらと見ながら、慎重に言葉を選んだ。
「毎日休まずやってるの、えらいよ。でもひと月のうち半日ぐらいは、まったく勉強のこと考えないで気分転換してもいいんじゃない?」
藤田はこくんとうなずいた。それでも、頭の中から完全に司法試験のことを追い出すのは難しいのだろう。
細い路地にするりと猫が入っていく。それを見て、藤田が白い息を吐きながらつぶやいた。
「……猫になりたい」
次の瞬間、ボスンという音と共に煙が立ち昇り、目の前から藤田が消えた。
「……え?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「ユウトくん……?」
慌てて左右を見るが、近くに誰も歩いてはいない。
「ミャー」
足元から声がする。下を見たら、藤田が着ていた服が地面に落ちていて、その中心で黒い猫がこちらを見上げていたのだった。
青山は呆然として、猫を見た。黄色い目をした黒猫は、トテトテと近づいて青山の靴の上に乗り、前足で脛にしがみついてニャーニャー鳴き始めた。
「え……いや、ユウトくん!? ユウト!」
猫を無視し、青山は大声で呼んで周囲を見回した。
「どこ行ったんだ……」
「ミャー」
猫が返事をするように鳴く。青山はまた下を見た。次いで、藤田の服に目をやる。脱いだというより、塚のような状態でアスファルトの上にこんもりとあった。まるで、着ていた人がそのまま消えてしまったようだ。
だいたいこの猫は、なぜ藤田の服の中にいたのか。
青山はしゃがみこみ、黒猫を見つめた。猫は逃げず、丸い目を潤ませてから弱々しく「ミャー」と鳴く。
「……ユウト?」
その瞬間、猫がパッと飛びつき、狂ったように鳴き始めた。顔を擦り寄せ、離れようとしない。
「え、いや、えー……?」
生まれてこの方、これほど猫に懐かれたことはない。
……まさか、この猫はユウトなのか。
青山はふと遠くを見てから、眉間をつまんで目をつむった。
疲れているのかもしれない。というか、そもそもこの一年弱のことが、夢だったのではないのだろうか。それなら、あまりにいい夢だった。
そこまで思ってから、藤田の服が確かにそこにあることを思い出して、青山の意識は現世に戻ってきた。
「お前、ユウトがどこ行ったか知ってる?」
もう疲れた人間であることを受け入れて、青山は思い切って猫に訊いた。猫はがっくりと項垂れた。しかしすぐに藤田のリュックに飛びつくと、サイドポケットに入れていたペットボトルのキャップの部分を咥えて、引きずり出そうとした。
「なんだ? 喉乾いてるのか?」
青山はキャップを開けて、地面に向けてミネラルウォーターをこぼした。しかし猫はそれを舐めるのではなく、右の前足を水溜まりにつけると、スタンプのように足を地面に押し始めた。青山はそれをしばらくぼけっと見ていた。
「フ、ジ、タ、デ、ス……?」
乾いたアスファルトに肉球で書かれた文字を見て、青山は驚愕した。
そもそも、「藤田」なんてこの猫の前で一言も発していない。というか、猫に字が書けるのか。言葉がわかるのか。
「ユウト……?」
猫に向かってつぶやくと、「ミャー!」と鳴いて再び腕の中に飛び込もうとする。青山は思わず抱き上げ、立ち上がった。
そういえば、藤田はついさっき、「猫になりたい」と言っていたではないか。
青山は蒼白になり、その場でよろめいた。
左手で猫を抱いたまま藤田の服をかき集め、持ち主のいないリュックを肩にかける。再び神社に走って戻った。しかし鳥居のところで「ごめんなさい、ペットは境内にお連れできません」と、参拝客の列を整理する神社の人に言われてしまった。
青山は息を切らせたまま、呆然と鳥居を見上げた。
どうしたらいいのかわからなかったが、とりあえず猫を連れてタクシーで自宅まで戻った。エントランスから少し離れたところで下ろしてもらうと、青山は藤田のリュックに入れた猫に話しかけた。
「ユウト、ここペット禁止なんだよ。だから、ちょっと我慢な」
「ミャー」
ジッパーをなるべく開けて、怖くないようにしてやり、リュックの底をつかむようにしてそっと持ち上げる。胸のところで大事に抱えた。
細心の注意を払いながらエントランスに入ると、こういう時に限って、二組の親子連れがエレベーターを待っていた。
イライラを笑顔で隠し、先に行ってもらう。ようやく来たもう一台のエレベーターに飛びこむと、青山はリュックを覗いた。
暗い中、まぁるい満月のような目をした猫がこちらを見ている。
「大丈夫、もうすぐ家だからね」
「ミャー」
青山は思わず「しっ」と言って人差し指を顔の前に立てた。どこで誰が聞いているかわからないのだから、不意に鳴かれるのは困る。
家に入り、リュックを下ろしてジッパーを開けた。おとなしくしていた黒猫の脇に手を入れて抱き上げると、ゴロゴロと喉を鳴らす。
脇に手を入れたまま、ぶら下げてみた。ぷらーんと体が伸びる。また「ミャー」と鳴いた。
「かわいいな」
思わず言ってから、これは本当に藤田なのかとまた疑念が湧き出る。まさか人が猫になるなんて、そんなことあるのか。
「お前がユウトだって、何かで証明できるのかなあ」
青山は猫を床に下ろすと、ふと思いついて「コーヒー豆の場所、わかるか」と訊いた。
猫はひらりと身をひねると、キッチンの棚の前に行き、「ミャー」と鳴いた。
青山は驚いた。しかし他の家でも、コーヒー豆をキッチンに置く場合は多いだろう。とりあえず、この猫が人の言葉をよく理解しているということは確実だ。
「ハサミは?」
猫は走ってダイニングに戻ると、ローキャビネットにひょいと飛び乗り、一番上の引き出しを手でちょんと叩いた。人間だって、知らない家のハサミの位置などわからない。かなり難易度が高いと思われたが、これもなんなくクリアした。
青山はまさかと思いつつ、最後の問いを発した。
「ローション」
猫は、ピッと弾かれたように顔を上げた。「ミャー」と少し低い声で鳴き、青山の寝室へと走っていく。そしてベッドの脇にある本棚の、下から三段目に飛び乗った。あのとき用のローションは、文庫本の奥にあるのだ。
その場所を知るのは、世界中で藤田しかいない。
青山は思わず駆け寄り、黒猫を目の高さまで抱き上げた。
「お前、やっぱりユウトか!」
「ミャッ!」
腕に包むと、黒猫は頭をすりすりと胸にこすりつけてくる。猫は飼ったことがなかったが、これが藤田だと思うと、たまらなくかわいい。だが同時に、これからどうするんだという気持ちがぐるぐると渦巻いたのだった。
それから青山は、猫になった藤田のために奮闘した。
まず昼ごはんを用意しなければいけない。だが、いくら現在猫とはいえ、藤田にキャットフードを食べさせるのは抵抗があった。
青山はインターネットで得た知識と照らし合わせながら冷蔵庫とにらめっこし、結局白身魚(タラを買ってきた)と野菜・白米を煮た塩気のないごはんを作った。猫まんまなら大丈夫だろうという、ベタな発想である。
自炊はしばらくしていなかったので、自分の家のキッチンながらとにかく勝手がわからない。その間、藤田猫はぐるぐると心配そうに足元を回り、カウンターに登ってきたりする。
「危ないから来ちゃダメ。大丈夫だって」
青山は猫を抱っこしてソファーに連れていくと「ここでいい子にしてるんだよ」と言い含めてキッチンに戻った。藤田だとしても、今は猫でもあり、つい小さい子に話すような口調になってしまう。
黒猫は少しの間おとなしくしていたが、突然ぴゅーっとリビングを突っ切っていった。
「あっ、こら、どこ行くんだ!」
心配になって後を追いかけると、藤田猫は自室の扉をカリカリやっている。
「爪立てちゃダメだって!」
青山はドアを開けてやった。猫は中に入ると、机の上にあった判例集を咥えて降りようとする。青山は本と猫を抱え上げると、リビングに連れていった。猫になっても司法試験の勉強をしようというのか。本当に藤田は真面目だ。
その間に鍋が沸騰し、吹きこぼれそうになっている。藤田猫がそれに気がつき、パッと腕からすり抜けてキッチンに向かった。後を追いかけた青山が、慌てて火を止める。
どっと疲れながら、猫まんまをお皿に盛ってテーブルに置いた。だが猫の姿だと、椅子の上に座っても、テーブルが高すぎる。
「ここ、おいで」
青山は膝を叩いた。藤田猫は腿の上に乗ると、青山の腹に顔を擦り寄せてうれしそうに「ミャー」と鳴いた。
猫舌というくらいだから、熱いものは苦手かもしれない。青山はスプーンに乗せた猫まんまにふーふーと息を吹きかけて念入りに冷ますと、猫の口元に持っていった。はぐはぐと藤田猫が食べる。
「おいしい?」
恐る恐る訊いたが、藤田猫はまた「ミャー」と満足そうな返事をして、舌でペロリと口の周りを舐めた。
かわいい。
青山は自分が食べる分はそっちのけで、餌づけの楽しさを味わった。見れば見るほど、綺麗な猫だ。艶のある漆黒の毛並み、優美な体のライン、黄色く輝く丸い目、立体的な口元。猫には詳しくはないが、間違いなく美猫だ。やはり藤田に間違いない。
猫の姿なら、写真コンテストに勝手に出しても怒られないだろう。いや、この際SNSを始めるのもいいかもしれない。
まだ手をつけていなかった冬のボーナスでデジタル一眼レフを買おうかと、青山は真剣に考えていた。
食べ終わると、藤田猫はぴょんと膝から降りて、ソファーの上に置いていた判例集の前に行った。前足で、器用にページをめくっていく。青山はその様子を興味深く見ていた。だが猫は近眼だったはずだ。
案の定、藤田猫はしばらく猫背でじっとページを見つめてから、猫が顔を洗う動作で何度も目元をこする。それから大きく口を開いて、「ウミャァウミャァ」と泣くように喚きはじめた。
「ちょっ……ユウト、静かにしろ! 猫が本読めるわけないだろ!」
青山はソファーに座り、本を広げた。藤田猫がまた膝の上に座る。
「猫って近眼らしいぞ。ネットに書いてあったんだ」
黒猫は金色の目をまんまるにすると、耳をしょげさせた。思わず青山は頭を撫でて、慰めた。
「じゃあ、ほら、俺が読んであげるよ」
青山は判例集を朗読しはじめた。何をきっかけに藤田が戻るかわからないし、とりあえずいろいろ試してみる必要はある。
しかし声に出して読んでいるのに、どうにも眠くなってくる。しかも、猫とはいえずっと足の上にいられると重い。
ふと下を見ると、くるりと丸くなった藤田猫は寝ていた。
その後も、トイレから風呂までとにかく大変だった。
青山は、白身魚を買いに行った際に猫用のトイレシートも購入し、藤田の部屋に設置していた。しかし小はそれでよくても、大は嫌だったらしい。とはいえ便器でしようとして落ちそうになったから、段ボールで子ども用の便座のようなものを作ってあげた。青山は手先が元来器用なのである。
風呂も、「一緒に入ろう」と言ったのだが、猫になったら急に嫌になったのか、呼んでもカーテンレールの上から降りてこない。そもそもどうやって登ったのか。青山は「ユウト、おいで」と根気よく呼んだ。
「お湯に浸かるの嫌なら、体拭くだけにしよう」
その言葉で、猫はやっと降りてきた。洗面所に連れて行き、熱いタオルで体や足を拭いていく。その間、藤田猫はおとなしくしていた。腹からお尻を拭いている時、青山はふとつぶやいた。
「あ、猫のタマってかわいいな」
ふわふわの毛に覆われた二つの丸みを指で弄ぶと、しっぽがぴんと立った。
「ニャッ」
藤田猫が振り返って、怒りの声を上げる。
「ごめん……って、あっ」
ぴゅーっと走ってどこかに行ってしまった。歯磨きがまだなのに。
猫は歯磨きしなくても大丈夫なのだろうか。青山は藤田の歯ブラシを持って、ウロウロと部屋の中を探し回った。
「おーい」
藤田の部屋、リビング、キッチン、トイレと見て回ったが、どこにもいない。家の中にそれほど物はないはずなのに、どこに隠れたのか。
「ユウト〜ごめん、もう触らないから」
あそこなんてもう何度も触られているくせに、しかも尻の中までいじらせているくせに、そんなに怒らなくてもいいのではないか。
念のために自分の部屋を見るが、やはりいない。部屋の中には、スーパーでもらってきた段ボールで作りかけのキャットタワーがある。その途中に設置した箱の中も見てみたが、やはり空だ。
青山は諦めて歯ブラシを洗面所に置きにいき、自分も風呂と歯磨きをさっさと済ませて寝ることにした。
寝室に入ると、さっきまで姿の見えなかった藤田猫が枕の上で丸くなっている。グレーのシーツにびっしりとつく、黒い
「あっ、ユウト、どこに行ってたんだよ!」
「ミャー」
「ミャーじゃわからないって」
青山はベッドに入り、腹ばいになった。藤田猫は眠そうな目をパチパチと瞬くと、前足でクローゼットの方を指した。
「クローゼットにいたの?」
「ミャー」
青山はじっと黒猫を見つめた。猫は、やはりしゃべれないのだろうか。
「青山さん、って言ってごらん」
「ミャミャミャミャミャン」
ダメだ、全然わからない。音節が多いから難しいのかもしれない。
「じゃあ、紘一は? こーいち」
「ミャーミャミャ」
やはりわからなかった。青山は藤田猫を両手でつかむと、その柔らかい腹に顔を埋めた。かわいい。でも藤田が猫のまま戻らなかったらどうしよう。
小さい前足が頭をぺたぺた触る感触がある。青山は顔を離し、その前足を優しく握った。手のひら……いや、前足の裏には、愛らしい肉球がある。青山はそのぷにぷにとしたベビーピンクに、軽く口づけた。
「もう、ユウトと、できないんだな……」
このベッドで過ごした日々。藤田の伸びやかな肢体を存分に愛した時間。朝、恥ずかしそうに笑う顔。
青山の胸がグッと詰まった。まんまるの黄色い瞳が、心配そうに青山を見つめている。
「……ユウトのエッチな動画、撮っとけばよかったっ……イテッ」
心情を吐露した途端、猫パンチをお見舞いされた。
「ちょっ、ごめ、ごめんって。冗談だよ」
何度もパンチしてくる。本音だったのだが、とりあえず謝った。またどこかに隠れられたら困る。
「だって、お前がこのまま戻らなかったらって……」
青山は大きなため息をついて、藤田猫を抱きしめた。
「もちろん、俺はずっと一緒にいるよ。でも普通、猫は人間より寿命短いじゃん。ユウトが俺より長生きしてくれなかったら、嫌だよ……」
口元をペロと舐められた。
「俺さ、いつかユウトが俺に愛想尽かして出て行っても、しょうがないのかなとは思うけど、とにかくどこかで幸せに生きててくれたらいいんだ。でも、俺より先に死ぬのは、ダメだよ……」
猫相手だからか、普段は心の奥底にしまっている本音がポロポロとこぼれて止まらない。
藤田猫は青山の顔を押さえるように前足を置き、ペロペロと唇を舐めてくる。キスしているつもりなのかもしれない。
「お前がずっと猫になっていたいなら、それでもいいけど……」
藤田猫はぶるぶると顔を左右に振った。
「人間に戻りたいのか?」
「ミャー」
藤田猫は悲しげに鳴き、青山の唇を舐めてくる。涙が出そうになり、青山は目をつむった。口元の毛が当たってこそばゆい。しかしザラザラした舌が突然柔らかい感触に変わり、青山は目を開けた。
全裸の藤田に、ペロペロと唇を舐められている。
「ユ、ユウト!」
ガッと肩をつかんで引き剥がすと、藤田は目をぱちくりとさせた。
自分の手を見て、ぺたぺたと自分の顔を触る。
「あれ……俺、なんか変な夢……見てた」
青山は泣き笑いの表情で、強く藤田を抱きしめた。思い切りキスして、また抱きしめた。
藤田を見ると、顔を赤くして、戸惑ったような嬉しそうな表情を浮かべている。
「青山さん、どうしたんですか……?」
青山はぎゅっと抱きしめながら、藤田の耳元で言った。
「ユウト、俺より先に死ぬなよ」
「え……うん」
藤田は戸惑いながらも、深くうなずいた。
「もしお前が出てったら、俺、猫でも飼おうかな……」
藤田はムッとした表情になった。
「俺、出てったりしません」
「そういや、『猫は家につく』って言うもんなあ」
青山が遠い目になると、藤田は首に腕を回して顔を擦り寄せた。
「夢の中で……俺、猫になってました」
「うん。楽しかった?」
「高いところに登ったりするのは、わりと」
「じゃあ、いい気分転換になったね」
藤田は青山と目を合わせると瞳を潤ませ、視線をそっと外した。
「でも夢の中では、青山さんのこと、うまく呼べなくて……苦しかった。でも……でも、青山さん、いっぱいしゃべりかけてくれて、いい夢だった」
青山は藤田をしっかりと抱きしめながら、黒い髪に指を埋めて何度も頭を撫でた。猫の時、藤田は思い切り甘えてきた。あれが藤田の本音なのかもしれない。自分も、普段は言わないことを口に出したように。
「……じゃあ、紘一って、呼んでごらん。こーいち」
藤田が少し体を離した。青山を見つめながら、まるで愛の告白をする時のような顔で恥じらう。
「…………紘一」
たったこれだけ言うことが、こんなに大変な子なのだ。もっとこっちから話しかけないといけないのだと、青山はようやく気がついた。藤田は、もう少し大人だと思っていた。俺の人間観察力もまだまだだな、と青山は苦笑した。
「……あの、これからずっと、紘一さんって呼んでもいい……? ですか?」
おずおずと、しかしひたむきに訊くその姿に、青山の胸がいっぱいになる。
「もちろん、いいに決まってるだろ」
自分の要望にいつも応えてくれる藤田に、優しく笑いかけた。
「ユウト、ここにいてくれて、ありがとう」
藤田が恥ずかしそうに目を逸らし、また青山と視線を合わせて、コクリとうなずく。
「大好きだよ」
藤田は真っ赤になり、何も言わずにぎゅっと抱きついてきた。青山はその細くしなやかな体を抱きしめながら、今年は若い恋人をとにかく猫可愛がりしようと心に誓った。
猫の部屋の中で 笙 @s_sho
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