第22話
悠真に連れられるまま、莉子は後ろをついていく。いくつかの階段を上って向かった先は屋上だった。
先に着いた悠真は屋上に繋がるドアを開けたまま待ってくれている。莉子はおずおずとドアをくぐり屋上へと出た。昼休みも終わりが近づき、人気のない屋上。バタンという音を立ててドアが閉まる。
その瞬間、まるで世界に二人だけになってしまったような、そんな不思議な感覚に陥った。
「莉子」
「……っ」
背後から、悠真が莉子の名前を呼んだ。その声はいつものように優しくて、けれどいつもよりも少しだけ硬く感じた。
「なんで俺のこと避けたのか、聞いてもいい?」
「別、に。避けてなんて」
この期に及んでこんなことを言っても無駄だとわかっている。なのに、口は勝手に
「悠真くんの気のせいじゃない?」
「気のせい? 朝、俺のことを置いて行ったのも?」
「あれ、は。ちょっと用があって」
しどろもどろになりそうなのを必死にごまかす。用って何だったのって聞かれたらなんて答えよう。買いたい物があった、とか? 母親に頼まれたことがあった、とか? 必死に言い訳を考える莉子の目の前で、悠真は口元だけで笑った。
「用ってなに? 弟くんには週番だって言ったみたいだけど、今週の当番、莉子じゃないよね」
「なんで……」
「俺が外で待ってたら弟くんが出てきて教えてくれたよ。『お姉ちゃんなら週番だって言って朝早く出て行きましたよ』って。夕雨くん、だっけ。賢そうな弟さんだね」
夕雨に嘘をついてまで莉子が家を早く出たことを悠真に知られている。週番だと嘘をついたこともバレているから、用があったんだと今さら言うのもおかしい。
どうしたらいいのだろう。八方塞がりとはまさにこういうことを言うのかもしれない。
何か話をそらせられないだろうか。辺りを見回すけれど、冬晴れと言っていいぐらいの真っ青な空が広がっているだけだ。運動場や中庭からはみんなの楽しそうな声が響いている。
きっと友達や好きな人と楽しく過ごしているのだろう。なのにどうして莉子は、好きな人と一緒にいるはずの今をこんな苦しい気持ちで立ち尽くしているのだろう。
「莉子」
背を向けた莉子の正面に回ると悠真は莉子の手をそっと握りしめた。その指先からは悲しくなるぐらいの早さで脈打つ心臓の音が伝わってくる。
これはいつも通りの早さなのだろうか。それとも莉子のせいで、また早くなってしまっているのだろうか。
「隠してること、あるよね?」
悠真の言葉に莉子は肩を振るわせた。さっきまでの賑やかな声が嘘みたいに聞こえなくなり、耳の奥でキンという不快な音が鳴り響く。
疑問文で尋ねられているはずなのに、まるで断定されているかのようなその言葉に、莉子は大人しく頷いた。もう隠しきれない。
「私、ね。あのときの約束、ちゃんと守りたかった」
「約束?」
「偽物の彼女になるって約束、あれをきちんと守りたかった。悠真くんが私を守ってくれるって約束をきちんと守ってくれたように、私も悠真くんとの約束を守りたかった。でも、ダメみたい」
莉子は自分の手に触れた悠真の手を、そっと握り返した。悠真の指先が小さく震えた。その瞳は、不安そうに揺れている。
「それは、つまり、もう俺とは付き合えないって、こと?」
ああ、そういうふうに受け取られてしまうのか。
可愛い、と言ったら悠真は怒るだろうか。莉子は小さく笑ってしまいそうになるのを必死で堪えた。けれど、悠真には気付かれてしまったようで「何?」と不機嫌そうに言われてしまう。
「うん、もう悠真くんとは付き合えない」
「なん――」
「私、約束守れなかったみたい。『俺のこと好きにならないで』って言われてたのに、どうしようもないぐらい好きになっちゃった」
「莉子……」
驚いたように目を見開いたあと、悠真はわかりやすいぐらいに喜び、けれど次の瞬間その表情を隠すかのように、目を逸らした。
まるで、自分にはそんなことを言ってもらえる資格はないのだと、そういうかのように悲しげな表情を浮かべる悠真を、莉子は無性に愛おしく思う。ぎゅっと抱きしめたいと、大好きだよと伝えたい。そう思うのは、おかしいだろうか。
遠くで予鈴の鐘が鳴るのが聞こえる。本当ならもう教室に戻らなければいけない時間だ。けれど、莉子も悠真もその場を動くことはなかった。
「悠真くんのことが、好きです」
「俺は……。俺、だって……」
苦しげな表情を浮かべる悠真の手を握りしめる手に力を込める。大丈夫だよ、わかってるよ、と伝えるために。
「悠真くんのそばにいたい。最期まで、ずっと。だから教えて」
「…………」
「私に言ってないこと……。ううん、隠してること、あるよね?」
「あ……」
手を引こうとするけれど、莉子はその手を離さない。
きっと今までの莉子なら、悠真と出会う前の莉子ならこんなふうに誰かをわかりたいなんて思いもしなかった。誰かに寄り添いたい、誰かのそばにいたい 。そんなこと思いもしなかった。
悠真が、莉子を変えた。
他人のことなんてもうどうでもいいと思っていた。上辺だけの付き合いでいい。深入りしたところで、莉子には何もできない。何もしてあげられない。それどころか、助けることもできず、見殺しにしてしまった莉子に、誰かと向き合う資格なんてないと、そう思っていた。
けれど、今は違う。美春にも、杏にも、そして悠真に――。
向き合ってきちんと話をしたい。わかった上でそばにいたい。もう一度、こんなふうに思えるようになるなんて思わなかった。
きっと悠真と出会わなければ、今もあのときのあの場所から動き出せずにいた。
「話して、欲しい」
「莉子……」
「知りたい。きちんと悠真くんの口から聞きたい。悠真くんと向き合いたいの」
何かを言おうとしたのか、悠真は口を開こうとして、やめた。莉子からも視線を逸らしてしまう。
頑張って伝えたつもりだった。それでも悠真に気持ちが届くことはなかった。
もしかしたら、悠真が莉子を好きだというのも美春の、そして莉子の思い違いだったのかもしれない。だって悠真からは、一度も好きだと言われたことはないのだ。ただの一度も。
勝手に莉子が勘違いをしていただけで、悠真にとって莉子はずっと偽物の、ただ付き合ったことがないまま死ぬのが嫌だと、自分のことで泣かない女の子がいいという理由で付き合っただけの存在だったのかも知れない。
莉子は握りしめていた悠真の手を、そっと離した。悠真が少しだけ驚いたような表情を浮かべて莉子を見る。
莉子は、小さく笑った。
「私じゃ、ダメ、か……」
「……ごめん」
「……っ」
ああ、もう決定的だ。結局、莉子ではダメだった。全ては莉子の勘違いだった。
「そっ……か。うん、わかった」
これ以上、ここにはいたくない。今すぐ、悠真の前から消えてしまいたい。
じゃないと『ならどうして、話がしたい』なんて言って莉子を連れに来たの、と。気持ちがないなら期待させるようなことを言わないで、と。理不尽な想いをぶつけてしまいそうになる。
それらは全部悠真にとって『偽物の彼女』へ向けられた作られた言葉でしかなかったのに。勝手に勘違いして思い込んで期待したのは莉子なのに。悠真は何一つ悪くないのに。
「そろそろ戻らないと五時間目始まってるよね。なんかごめんね、変なこと言っちゃって」
「…………」
「悠真くんはまだ戻らない? じゃあ、私先に戻っとくね。はー、倫理の授業って五時間目に受けるとなんであんなに眠いんだろうね」
必死に笑顔を作り、他愛のない話をしながら悠真に背中を向ける。泣けないことをこれほどまでに感謝したことはない。どれだけ悲しくても辛くても苦しくても、今も莉子の瞳からは一滴足とも涙は流れないのだから。
「それじゃあ――」
「莉子っ」
「……っ」
歩き出そうとした莉子の手首を、悠真が掴んだ。
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