第21話
その日の休み時間は、どうやら木内と何かあったらしい美春が、一緒に過ごしたくないからか莉子と杏を誘ってトイレや購買に向かうなど教室にいないことが多かった。
必然的に、莉子も悠真と過ごす時間が減る。寂しいけれど、少しだけホッとしていた。
そして迎えた昼休み。普段なら机をくっつけるまではしないまでも、悠真たちと話をしながらみんなで昼ご飯を食べていた。けれど――。
「ねえ、りこちん。今日はさ外で食べない?」
「外?」
思わず視線を窓の向こうに向ける。朝はあんなにも寒かったのに、昼に近づくにつれ随分と気温が上がりまるで小春日和のような気候だった。窓際に座る生徒が居眠りをして、教師から怒られていたのは三時間目のことだったっけ。
どこかポカポカとした空気に、ここのところは寒さに負けて教室で食べる人が多かったけれど、今日は随分と空席が目立っていた。もしかしたらみんな陽気に誘われて外で昼ご飯を食べているのかもしれない。
莉子は悠真へと視線を向ける。悠真たちはすでに昼ご飯を食べ始めていて、今から莉子たちが外に行ったとしても一緒に来るようには思わなかった。
「ね?」
「うん、そうしよっか」
杏にも声をかけ、三人で中庭へと向かう。予想した通り、渡り廊下や中庭のベンチにはたくさんの生徒がいた。莉子たちも開いていたベンチに座ると弁当を広げる。
卵焼きを口に入れ、塩っ辛さを思い出し「うっ」となりながらお茶と一緒に飲み干しため息を吐いた。
「「はぁ……」」
そのため息が、誰かのものと重なった。誰のため息か、なんて聞かなくてもわかっている。
隣に座る美春を見ると、弁当に手を付けることなくもう一度深いため息を吐いた。反対側の隣から杏も心配そうに美春を窺っていた。
心配する気持ちと、どこまで深入りしていいのかわからない気持ちがせめぎ合う。聞いても、いいのだろうか。聞いて欲しいから莉子と杏を誘って外に出たのだろうか。それともそんなことこれっぽっちも思っていなくてただ木内と顔を合わせたくなかっただけなのか。今の莉子には判断がつかない。判断がつくほどの時間を美春と過ごしていない。
けれど。
「あの、さ」
莉子はおずおずと口を開いた。
「何か、あったんだよね?」
本当はこんなふうに尋ねていいのか、声をかけた今もわからない。迷惑だと、お節介だと思われるかもしれない。莉子ぐらいの関係性で声をかけてくるなと思われるかもしれない。
それでも、莉子は声をかけたかった。美春が心配だったから。莉子が辛いときに、きっかけは悠真に頼まれたからとはいえ、そばにいてくれた美春が辛い思いをしているのであれば力になりたかった。ううん、力になるなんて
「何もできないかもしれないけど、話を聞くぐらいは、できるよ?」
莉子の言葉に、杏も頷く。美春はビクッと肩を振るわせ、それから困ったような泣きそうな顔で笑った。
「ありがと」
美春は膝の上に置いた弁当を食べないまま蓋を閉め、それからため息を吐いた。
「あの、ね。うちね猫を飼ってたの」
「チロちゃん、だよね」
「チロちゃん?」
「そう。スコティッシュ・フォールドのチロちゃん。可愛いんだよ」
杏の言葉に莉子はスコティッシュ・フォールドを頭の中で思い浮かべながら頷く。けれど、今の美春の言葉、何かが引っかかる。
「……飼って、いた?」
「あ……」
莉子が疑問を口にすると、杏も気付いたのか口を押さえた。暗い表情を浮かべながら、美春は笑おうとしたように見えた。けれど、表情は悲しみに覆われ、その目には薄らと涙が浮かんでいるのが見えた。
「二日前に、ね。私がちっちゃな頃からいたから、もうおばあちゃん猫なのはわかってたの。でも……」
こういうとき、なんて言っていいのかわからず莉子は黙り込む。そんな莉子の隣で杏がそっと美春の肩を抱くのが見えた。美春はりこの腕の中で、肩を小さく振るわせながら俯いていた。
「ごめ、んね。あり、がと」
手のひらで涙を拭うと、力なく笑った。その目が真っ赤になっているのが見えて、莉子は胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。
「悲しいときはね笑わなくていいんで、しょ?」
「あ……」
莉子の言葉に、美春は目を見開いて、それから瞳に大粒の涙があふれ出した。肩を振るわせ、声を押し殺すようにして美春は泣く。
「そう、ちゃんが、ね……」
泣きじゃくりながら美春は話し始めた。
「チロが死んじゃったって、私が言ったら……」
「言ったら?」
「『生き物だから死ぬのは仕方がないよ』って」
「酷い……」
杏は口元を押さえて、木内の言葉を批判する。莉子も追随するべきだとわかってはいる。けれど、木内が何の考えもなくそんなことを言う人間ではないと、付き合いの短い莉子でもわかる。
ならきっと、莉子よりももっと付き合いの長い美春がそれをわからないわけがない。今はわからなくても、冷静になればわかるはずだ。
何も言えずにいる莉子に、美春は寂しそうに笑った。
「りこちん、そうちゃんの言うとおりだって顔してる」
「それ、は」
言い当てられてしまい何も言えなくなる。そうだ、美春の言うとおりだ。けれど、今それを言うべきじゃないことぐらいは莉子にもわかる。今は杏のしたように酷いと言って美春に同調し慰めるべきだと。
けれど、どうしてもそれをすることができない。
「……ごめん」
取り繕うこともできず謝る莉子に、美春は首を振った。
「ううん、いいの。その通りだっていうのは私もわかってるの。わかってる、けど……」
「木内くんに、なんでそんなことを言ったか、聞いた?」
「……聞いてない」
「なら……」
「無理だよ! そんなことして……少しでも、そうちゃんのこと、嫌いになるのが……怖いよ」
美春は涙混じりの声で言う。その手は爪が手のひらに食い込むほどに握りしめられていた。
辛そうな美春を見ていると胸が苦しくなる。喧嘩をしたいわけじゃない。けれど、木内の言った言葉を許せないし許したくない。真意を聞きたいけれど、聞いたことでもっと傷つくのも嫌いになるのも嫌だ。そう叫んでいるようだった。
美春を慰めることもそばにいることもできる。けれど、二人の喧嘩を終わらせられるのは他でもない。美春と木内だけなのだ。
「それでも話、した方がいいと思う。ちゃんと木内くんに思ってること伝えるべきだよ」
「…………」
「こんなふうに拒絶するんじゃなくて、会話した方がいいよ」
「ふふっ」
お節介かも知れない。でも、こんなすれ違いで美春と木内に駄目になって欲しくない。心の底から、そう思うから。
けれど、莉子の言葉に美春は笑った。全く笑うところじゃないのに、小さく、でもはっきりと。
「その言葉、そっくりそのままりこちんに返すよ」
「え……?」
「今日、はるくんのこと避けてるでしょ?」
「それ、は」
気付かれていないわけがないと思っていた。けれど、こんなにもまっすぐ言われるとも思っていなかった。
言葉に詰まった莉子に美春はさらに話を続ける。
「りこちん、変わったよね」
「私が、変わった?」
「うん、変わった。前ならきっとさっきみたいなとき当たり障りない言葉を言って杏の言葉に話を合わせてたでしょ? でも、ちゃんと自分の思ってることを自分の言葉で伝えてくれた。それって私のこと想ってくれてるからだよね」
「それ、は……」
たしかに、前までの莉子ならそうだったかもしれない。人の顔色を窺って、反応を先読みして相手の欲しい言葉を投げかけていた。
変わった、のだろうか。でも、だとしたら、それは。
「はるくんのおかげ、でしょ?」
美春の言葉に、莉子は素直に頷いた。
そうだ、莉子が変わったとしたらそれは悠真のおかげだ。悠真と出会い、一緒の時間を過ごすうちに莉子を取り巻く環境が変わった。莉子を想ってくれる人ができた。全部、悠真が与えてくれた。
「このままはるくんと話しないままでいいの?」
「よくない、けど……」
よくはない。そんなこと莉子だってわかっている。けれど、美春は知らないのだ。莉子がそばにいることで悠真の余命が減ってしまう可能性があることを。知っていればこんなこと言えない。
莉子のせいで悠真の命が減ってしまうのだけは、嫌だ。それを防ぐためなら、多少心が痛くて辛くて苦しくて寂しいぐらい……。
「よくないって思っているのは、りこちんだけじゃないみたいだよ」
美春の言葉と、莉子の頭上に影が落ちるのが同時だった。顔を上げるとそこには悠真の姿があった。
反射的に思わず顔を背けてしまう。
「莉子」
悠真に名前を呼ばれるけれど、そちらを振り返ることができない。俯いたままジッと膝の上に載せた弁当箱を見つめていた。
「ね、莉子。少し話しようよ」
悠真は優しく言う。それでも莉子は動けずにいた。返事をしなければいけないのはわかっている。なのにまるで身体が金縛りに遭ったみたいに動かない。喉が締め付けられたように苦しくて声を出すことができない。
美春には『話をしたほうがいい』なんて偉そうなことを言っておいて、いざ自分がその立場になるとこれだ。
今すぐにここを逃げ出してしまいたい衝動に駆られながら、ぎゅっと下唇を噛みしめた。
「りこちん……」
「美春」
「……っ」
莉子の手をそっと握りしめた美春の手がビクッとなったのがわかった。莉子にも、声の主が振り返らなくてもわかった。
「美春、俺たちも話、しよう?」
「そうちゃん……」
美春の声が震えているのがわかった。けれど、莉子の手をギュッと握りしめたかと思うと、美春は顔を上げた。その表情は、何かを決意したかのように見えた。
「うん、話、しよっか」
「美春ちゃん……」
「ね、りこちん。私もりこちんが言ってくれた通りそうちゃんとちゃんと話をしてくる。だから、りこちんもはるくんと話をして?」
「でも……」
「私がそうちゃんに向き合おうと思えたのはりこちんのおかげだよ。だから、私も頑張るから、りこちんも頑張って」
美春の想いがひしひしと伝わってくる。胸の奥があたたかくなる。
悠真と向き合うのは、怖い。このまま全てから目を背けて逃げてしまいたいと今でも思っている。
でも、それでも。
「……うん、わかった」
莉子の答えに、美春は微笑むと立ち上がった。杏に断りを入れ、美春は木内と、莉子は悠真とともに中庭を出た。
無言で歩く莉子の耳には、地面を踏みしめる音だけが妙にうるさく響いていた。
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