第19話
その日の放課後、莉子は昼休みからずっと考えていたことを決行しようと落ち着かずにいた。まずは、悠真に断りを入れなければいけない。
帰りのホームルームが終わり教室の中が
「ね、悠真くん」
「どうしたの? あ、帰る準備できた? 俺、もうちょっとだから待って――」
「あ、ううん。準備はできたんだけどそうじゃなくて」
首をかしげる悠真に、莉子は呼吸を落ち着かせる。焦らずに、なんでもないふりをして、それで。
「き、今日ねちょっと寄るところがあって」
「寄るところ? いいよ、じゃあそこに行ってから」
「や、えっとそこは付き合わすの申し訳ないから私一人で行くよ」
「でも……」
悠真は少し不服そうな表情を浮かべていた。けれど、すぐのその表情を隠すと笑顔を浮かべた。
「そっか、じゃあ今日は別々に帰る?」
「うん、ごめんね」
「なんで、謝る必要なんてないよ。じゃあ俺も今日は大城たちと遊びに行こうかな」
廊下側の一番前の席で帰る準備をしている大城へと視線を向ける。莉子は先程の悠真の表情のことが心に残りつつも、受け入れてくれたことに安堵のため息を吐く。
これで、悠真が莉子の行き先を知ることはない。
莉子は悠真に「また明日ね」と告げ教室をあとにした。
莉子が向かった先は、県立の図書館だった。県内で一番大きなこの場所なら、鼠動病の本があるのでは、と思ったのだ。
学校の図書室でもよかったのだけれど、莉子の学校の図書室は随分と小さい作りで、歴史の本などは置いているけれど一般書や病気に関する書物は置いていなかったのだ。
とはいえ、ここは逆に広すぎてどこに何があるのかわからない。莉子はカウンター近くにあった検索の機械に『鼠動病』と入力すると検索ボタンをタッチした。……その瞬間、なぜか画面が白くなった。
「え、なんで? 壊れたの?」
「どうされました?」
慌てて画面をタッチする莉子のそばに、いつの間にか司書の女性が立っていた。萩本と書かれた名札を提げた女性は機械を覗き込むと「あー」と頷いた。
「検索結果が多すぎるんですね」
「検索結果が?」
萩本の言葉を繰り返す莉子に笑顔で頷くと、画面の右上を指でタッチして見せた。すると、一番最初のキーワードを入れる画面へと戻った。壊れたわけじゃなかったようで安堵のため息を吐く。
「なぁんだ」
「ビックリしますよね。えっと『鼠動病』について調べたいのですか?」
「あ、えっと、はい。あの、学校の課題で、えっと」
理由なんて聞かれてもいないのに言い訳のような言葉を並べてしまう。けれど、莉子の言葉を気にした様子なんてないように、萩本は機械を操作していくつかの本をピックアップしていく。
本の場所が印刷された紙を何枚か出すと、それを莉子に手渡した。
「ここに書かれている場所にあるのが高校生ぐらいの子でもわかりやすい本になります。案内しますね」
「あ、いえ。自分で探すので大丈夫です」
「そうですか? では、もしわからなければ声をかけて下さい」
萩本に頭を下げると、莉子は一番近いコーナーにある本を探しに向かった。高校生にもわかりやすい、と言っていたけれど、紙に記されていた場所に並んでいた本を見る限り、専門書や分厚そうな本が並んでいた。本当にここにある本で理解ができるのだろうか。
とはいえ、司書が言うのであればきっと間違いないだろう。莉子はとりあえず読んでみよう、と本棚に手を伸ばすと背表紙に触れた。
「本で調べるより、俺に直接聞けばいいんじゃない?」
「……っ!」
あまりにも聞き覚えのある声に振り返る。そこにいたは、大城たちと遊びに行くと言っていたはずの悠真だった。莉子は思わず伸ばしていた手を引っ込める。その拍子に、触れていた本が音を立てて床に落ちた。
それを拾うと、悠真はパラパラと中を確認し莉子に微笑みかけた。
「興味持ってくれたの?」
「別に、そういうわけじゃ……!」
動揺から思わず声を荒らげてしまう莉子に、悠真は「しっ」と自分自身の唇に人差し指を当てた。
「ここ図書館だから」
「あっ……」
「外、行こうか」
悠真の言葉に、莉子は静かに頷いた。
二人並んで図書館の外に出る。もうすぐ12月も終わりを迎えるということもあって、外は冷たい風が吹きすさぶ。今年ももう終わりが近づいている。
悠真が言っていた三ヶ月まであと二ヶ月もない。その時が来たら、悠真はどうなってしまうのだろう。
「それで? 何が知りたい?」
改めてそう言われると何を聞いたらいいかわからない。そもそも莉子は、テレビで軽くやっていた以上の鼠動病についての情報を持っていないのだ。
「――鼠動病って何?」
必死に考えて絞り出した質問は、なんとも間抜けなものだった。けれど悠真は気を悪くした様子もなく、頷くと近くのベンチに座った。その隣に莉子も座る。足下を落ち葉が風に乗り舞っていく。
「鼠動病は診断されたらあとはもう死を待つだけ。それは知ってる?」
莉子は静かに頷く。隣に座る悠真の顔を見ることができない。今、いったいどんな表情をしているのだろう。辛そうだったらどうしよう。悲しそうだったら。莉子が聞いたせいで苦しそうだったら、どうすれば……。
けれど、隣から聞こえて来た声は落ち着いたものだった。
「鼠動病、通称『鼠の心臓』患者は、本来なら決められていないはずの一生分の鼓動の数が23億回と決められている。それだけじゃなくて、人よりも鼓動の早さが何倍も早くて、普通の人なら73年はかかるであろう23億回の鼓動を、半分以下の年数で終えるんだ」
「半分以下……」
「そ。その日が来たら突然鼓動が止まり、苦しまずに逝くらしいよ」
淡々と悠真は鼠動病について莉子に語る。その態度に、思わず莉子は尋ねていた。
「怖くは、ないの?」
尋ねてから、なんて馬鹿なことを聞いたのかと自己嫌悪に陥る。怖くないわけがない。鼓動が止まるということは死ぬということなのだから。
何か言わなければ。そう思っている間に、悠真は小さく微笑むと口を開いた。
「怖くないよ」
「どうして」
「どうしてだろ。……莉子がいてくれるからかな」
悠真の視線がまっすぐに莉子を捉える。心臓の音がうるさく鳴り響く。まるで全身が心臓になってしまったみたいだ。
そんな自分をごまかすように、莉子は悠真から視線を逸らした。
「バカじゃないの。私のことなんて好きじゃないくせに」
精一杯の虚勢を張る莉子に、悠真は優しく微笑んだ。
「そう、好きじゃない」
「……っ」
自分が言ったくせに、自分が言わせたくせに、言われた言葉で傷つくなんて。
でも……。
莉子は、自身を見つめる悠真の瞳をそっと見返す。その目は、悠真の言葉とは裏腹に莉子を好きだとそう語っているように見えた。
そんなわけない、気のせいだ。そう思うのに、見つめれば見つめるほどその瞳は莉子への想いを語りかけてくる。
なのに、言葉では莉子を拒絶する。
「そういう莉子だって俺のことなんか好きじゃないでしょ」
「……好きじゃ、ない」
一言一句違わぬ言葉で莉子は返す。その言葉に『好きだよ』という気持ちを込めて。
莉子の返事に、悠真は少し意外そうに目を見開いたあと、ふっと微笑んだ。
「知ってる」
その知っているは、どういう意味?
そう尋ねたいのに、尋ねられない。
尋ねてしまえば、きっともう今までのようにはいられない気がして。
悠真の言っていた三ヶ月まで、あと二ヶ月もない。
長いようで短いその時間をどう過ごせばいいのか、莉子はまだわからないままでいた。
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