第12話
教室の空気は相変わらず最悪だった。莉子たちが教室に入った瞬間、賑やかだった教室は一瞬静まり返る。そして真凜たちの様子をみんなが窺うのだ。
莉子の存在をいないもののように扱う真凜たちに逆らいたくない。そんな空気を感じる。
それでも染井は莉子のそばに居続けてくれた。休み時間ごとに莉子の席まで話しかけに来たり、用事を作っては莉子を呼んだ。
昼休みも、前日と同じように染井たちと一緒に食べることで莉子は一人になることを逃れることができた。
――でも。
「女子は体育館、男子はグラウンドだって」
昼休みも残すところあと10分というところで、教室に入ってきた生徒がそう言った。日直が五時間目の体育の場所を確認に言っていたようだった。
染井は心配そうに目の前に座る莉子を見た。
「大丈夫?」
「う、ん。まあ、大丈夫」
「ごめんね」
「なんで染井が謝るの。体育は男女別なんだから仕方ないよ」
そう仕方ないのだ。こればかりは、いくら染井でもどうしようもない。
体育は他の授業とは違い、ペアで何かをすることが多い。準備体操もそうだし、例えばバレーならレシーブのし合いを、卓球ならラリーを二人一組で行う。
真凜たちのグループは幸いにも偶数だったから莉子があぶれることは基本的にはなかった。たまたま誰かが休んでいたりして三人組になることはあったけれど、それでも誰と組むこともできずひとりぼっち、ということはなかったのだ。
けれど。
「それじゃあ、ペアを作れー」
体育教師の呼びかけで、女子たちはペアを作っていく。男子はどうかわからないけれど、女子はこういうときいつもの人と一緒になる。つまり、グループからはじき出され一人あぶれた莉子に入る余地などないのだ。
莉子があぶれたということは、偶数だった真凜たちのグループにも一人あぶれた人がいるのでは、そう思い真凜たちの方へと視線を向ける。
バスケットゴールの下で何かを話しながら集まっている真凜たちは、当たり前のような顔をして二人組と三人組にわかれていた。まるでさいしょからそうだったとでもいうかのように。
結局、一人ぼっちなのか莉子だけだ。そもそも今日はたしか女子の欠席者が一人いたはずだ。そうなれば必然的にもう一人あぶれる人が出るはずだ。なのに、ペアを探している様子の人がどこにもいないところを見ると、もう他で三人組を作ってしまったのかもしれない。
そうこうしている間に、全員がペアになれているか確認するかのように見回っていく体育教師の姿が目に入った。
このままでは莉子が一人でいることを気付かれてしまう。そうなればあの体育教師のことだ。「誰か三橋と組んでやる人はいないのかー」なんてデリカシーのないことをみんなの前で言うに決まっている。そんな惨めなことは避けたい。
なんとか体育教師の視線から逃れるように隅に移動する。このまま具合が悪いことにでもして保健室に行ってしまおうか。そんな考えが頭を過る。誰も莉子を守ってくれないのだ。自分自身で守る他ないだろう。
「俺が居場所になるから」と言った染井だって、この状況ではどうすることもできないのだ。なら、莉子自身が守るしか――。
「三橋さん」
「え?」
誰かが莉子の名前を呼びながら肩をトントンと叩いた。振り返ると、そこには木内の彼女、上野美春の姿があった。
「えっと、何?」
「あのね、三橋さんペアいなかったりする?」
悪気がなければ何を言ってもいい、というものではない。現に、悪意など全く感じさせない上野の言葉は莉子を苛立たせる。「どういう意味?」と言い返しそうになって、木内の顔が浮かんだ。上野に対しては別にいい感情も悪い感情もない。けれど、木内には違う。
染井が真凜たちのグループから莉子を連れ出してくれたとき、木内たちは莉子のことを拒絶しないでくれた。女子のそれとはまた違うけれど、そこにいることを受け入れてくれた。
あの態度にどれほど莉子が救われたか。そんな木内の彼女だ。
莉子は小さく息を吐くと、上野に向き直った。
「そうだけど、どうかした?」
莉子の返事に上野は少しだけ安心したような表情を浮かべた。
「よかったー。私もね一人なの」
「え? でもいつもは……」
「うん、いつもは杏ちゃん――相川さんと組んでるんだけど、今日休みなんだ。だから三橋さんと一緒に組めたらと思って。どうかな?」
そうか、欠席は上野と仲がいい子だったのか。それで莉子に声をかけてくれたようだ。
それなのに莉子ときたら、嫌みを言っているとひねくれて取って、勝手に上野に対して悪い印象を抱きそうになっていた。
ありがとう、そう伝えようとした莉子の声を遮るように真凜の声が聞こえた。
「あ、いたいたー。ねえ、上野さん。今日相川さん休みでしょー? うちらも一人足りなくて、よかったら一緒にしないー?」
真凜は莉子に一切視線を向けることなく上野に話す。まるで莉子などそこに存在していないとでも言うかのように。
「っ……」
莉子は口をきゅっと結んだ。この状況で莉子を選ぶことに何の得もないことは一目瞭然だ。クラスの中でもリーダー格の真凜たちグループと、そのグループから飛び出しぼっちになった莉子。どちらと一緒にいるのがいいか、なんて小学生でもわかる。
自分を選んでもらえるわけがないし、そもそもこの状況で莉子を選びなんてしたら声をかけてくれた上野に迷惑が掛かる。
やはり保健室に行こう。お腹が痛いとでも言って体育の授業中休ませてもらおう。そう決めて上野からそっと離れようとして莉子の腕を、上野がぎゅっと掴んだ。
「え……」
「ありがと。でもね私、りこちんと組むから大丈夫だよ」
周りにも聞こえるほどの声で上野が言うと、真凜だけではなく体育教師も莉子に視線を向けた。「よかったな」と言わんばかりの表情にそういう顔で見ないで欲しいと苛立つけれど、体育教師は体育教師で莉子のことを心配してくれていたのだろう。
「お、三橋と上野が組むんだな。よーし、全員組む相手がみつかったようだから始めるか」
辺りをざっと見回すと、体育館には体育教師のはりきったような声だけが聞こえた。
さすがに真凜たちもその状態で反対するのは気まずかったのか、視線を逸らすと莉子たちから離れていく。
他のグループが準備体操をし始めたのを見て、上野は莉子に声をかけた。
「それじゃあ、私たちもはじめよっか」
「うん」
背中を上野と合わせて腕を組むと、莉子は身体をかがめる。背後で上野が「あわわわわ」なんて声を出すから思わず笑いそうになる。
次は反対に莉子の足が浮き、上野の背中に乗せられた。
「あの、さ」
「え? どうかした? あ、もしかして背中痛い? 大丈夫?」
真っ青な空を見上げながら莉子が声をかけると、上野は慌てたように言う。後ろに気を取られすぎたのか、その瞬間上野の身体がぐらつき、その場に崩れ落ちそうになる。
「……セ、セーフ」
「や、全然セーフじゃないでしょ」
幸いにも落ちる前のタイミングで莉子が背中から飛び降りたので大惨事は避けられた。あのまま崩れ落ちていれば上野は怪我をしていたかもしれない。上野は「失敗、失敗」と笑っているけれど、莉子は同じように笑うことはできなかった。
「あの、さ」
「どうしたの?」
莉子が立ち尽くしたままでいるのに気付いた美春は、不思議そうに首をかしげる。その表情がなぜか木内と重なっておかしくなる。
長い時間一緒にいると夫婦は似てくる、なんていうけれど付き合っていても似てくるものなのだろうか。で、あれば莉子と染井もそのうち……なんて思って、自分の思考に笑ってしまう。似てくるほど一緒にいることのない期間限定の恋人な上に、そもそも本当の恋人ですらないのだ。似てなんてくることはない。
「三橋さん? 大丈夫? 具合でも悪い?」
「あ、えっと」
いつまでも話し始めない莉子を心配したのか、上野は不安そうに莉子を見る。慌てて意識を目の前の上野に戻した。
「違うの。あの、さっきはありがとう」
「さっき?」
「ほら、真凜の……」
真凜の名前を出すと、上野は「ああ……」と小さく笑う。
「私ね、真凜ちゃん苦手なんだー」
「え?」
立ち尽くして話し続けている莉子たちを、前方から体育教師が睨みつけているのに気付いて上野は莉子の手を取り体操をしているふりをする。
莉子は上野を意外な気持ちで見ていた。真凜のことを好きではない子がいるのをわかっている。それでも、クラスの中で明らかに真凜はリーダー格だ。少し前の言葉で言うとカースト上位、どころかトップに君臨してさえいる。
そんな真凜のことを、いくら真凜のグループを追い出された莉子相手とはいえ、こんな周りに人もいて聞かれてしまいそうなところでハッキリと『苦手』なんて言えるのか。
「だから私が向こうのグループに混ざりたくなかっただけだから気にしないで」
「そう、なんだ」
「まあそれだけって訳じゃないんだけどね」
「それだけじゃないって?」
準備体操も終わり、体育教師が集まるように言う。今日はバトミントンをするとのことでそのまま上野と一緒にラケットを取り、自然と二人で打ち合いを始めることになった。
少し離れたところから真凜たちが莉子を指さしながら何かを言っているのに気付いたけれど、なるべくそちらに意識を向けないようにした。
上野は少しもたつきながら、シャトルを投げる。どうやらバトミントンは得意ではないようで、上手く打てなかったシャトルは莉子のところまで届くことなく落ちた。
えへへ、と恥ずかしそうに笑う上野に、莉子はラケットでシャトルを打った。放物線を描いてシャトルは上野の元へと飛んでいく。上野はそれをなんとか打ち返すと、どうにかラリーが続きだした。
「えっと、なんだっけ」
「だから、それだけじゃないって何が?」
何度かラリーを繰り返したあと、ようやく少し慣れてきたのか上野は口を開く。ただ視線は必死にシャトルを追いかけている。あんなに上ばかり見ていたらそのうち転けるのでは。そんな不安が過るけれど、案外器用に上を見たまま足を動かし続けていた。
「あ、そうそう。『りこちんを宜しく!』ってそうちゃんに言われたの」
「りこちん……そうちゃん……」
その単語に、ニコニコと笑う木内を思い出す。まさかそんなことを上野に頼んでくれていたとは思わず言葉に詰まる。そんな莉子を気にすることなく上野は話を続ける。
「そうちゃんが言うにははるくんのお願いらしいんだけどね」
「はる、くん?」
聞き覚えのない名前に今度は莉子が首をかしげる番だった。下の名前で呼ぶことのない莉子は、名字でしか男子の名前を覚えていなかった。
「え、三橋さん付き合ってるんでしょ?」
「誰と?」
「はるくんと」
だから上野が驚いたように言うのを聞いて、ようやくそれが染井のことだとわかった。彼氏の名前も知らないだなんておかしいと思われるだろうか。どうごまかしたものかと思ったものの、ヘタに取り繕ってもボロが出そうで、結局莉子は素直に答えることにした。
「あー……。私、染井のこと下の名前で呼んだことなかったから忘れてた」
「ええーー。絶対、下の名前で呼んであげた方がいいよ! その方が彼女って感じするし、はるくんも喜ぶよ」
幸い、彼氏の下の名前を知らないということよりも、彼氏の名前を呼んだことがない、という方が上野にとっては重要だったようで、そちらに話題が移る。深く突っ込まれなかったことにホッとしながら、莉子は飛んできたシャトルを打ち返した。
「そうかな? そんなもん?」
「そうだよー! そうちゃんなんて初めて私が名前呼んだとき、顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込んじゃって。とっても可愛かったんだから」
なんとなくその姿が想像つく。けれど、それは木内だからだ。染井が同じような反応をするとは思えない。そう言う莉子に「そんなことないよ!」と上野は力説する。力みすぎてシャトルが莉子の頭上を越えて体育館の壁にぶつかった。
「ご、ごめん!」
「いいよ。で、そんなことないってなんで言い切れるの?」
「好きな子に名前を呼ばれて嫌がる人なんていないよ」
「好きな子、ねぇ」
実際、本当に好きな子であれば喜んだかも知れないけれど、別に染井は莉子のことがすきなわけではない。なのに、莉子から「悠真」なんて呼ばれれば「慣れ慣れしくするなよ」「お前は本当の彼女なわけじゃないんだぞ」そう思われかねないのではないか。
「それにほら、はるくんは三橋さんを莉子って呼んでるし」
「あー、まあそれはそうなんだけど」
「莉子って呼ばれるのやだ? 嬉しくない?」
「え……」
嬉しいか嬉しくないか、なんて考えたことなかった。染井は当たり前のように「莉子」と呼んでくる。きっと他の人ともそういう距離感なんだと思っていた。
「ちなみに、私はるくんと中学から同じなんだけど」
上野はいたずらっ子のような表情を浮かべて莉子を見た。ああ、その顔。本当に木内とそっくりだ。
「はるくんが女の子を呼び捨てで呼んでるの、初めて見たよ」
「……うそ」
「こんなしょうもないウソつかないよー」
だって、そんなこと。
莉子は頭が上手く働かない。
莉子の足下に、上野が放ったシャトルが落ちた。立ち尽くしたまま拾うことのない莉子の代わりに、上野はそれを拾い莉子に差し出すと「ふふっ」と笑った。
「三橋さん、顔真っ赤だよ」
上野の言葉に慌てて両手で自分の顔を押さえる。赤くなっているかどうかはわからないけれど、頬が熱い。
いったいどうしてしまったんだろう。
「はー、りこちん可愛いなぁ」
「可愛くないよ! ……ってか、今りこちんって言った?」
先程までの『三橋さん』から木内同様『りこちん』呼びに変わっているのに莉子は気付いた。莉子の問いかけに上野は笑う。
「あ、気付かれちゃった。そうちゃんがいつもそう呼んでるから私もつい移っちゃって。今日、何回りこちんって呼びそうになって三橋さんって言い直したか」
そういえば真凜に対して莉子のことを言うときも『りこちん』と言っていた気がする。言い直したのには気付かなかったけれど、普段はそう呼ばれていたのか、と思うと少しだけ胸の奥がふわふわとした気持ちになる。
「ね、私もりこちんって呼んでいい?」
「べ、別にいいけど」
「やった。私もこともみーちゃんか美春って呼んで」
「……気が向いたらね」
みーちゃんと呼ぶのはさすがに気恥ずかしいけれど、気が向いたら『美春』と呼んでみるのもいいかもしれない。
そのあとも上野――美春と他愛のない話をしながらラリーを続けた。気まずい時間になるかと最初は思っていたけれど思ったよりも会話は弾んだ。
――楽しい。
そんな感情がわき上がる。今までずっと真凜たちに固執ししがみついていた。真凜たちといなければ一人になってしまうと思い込んでいた。けれどもしかしたら、莉子がそう思い込んでいただけで、周りを見渡せば違う景色が広がっていたのかも知れない。
美春と過ごす時間は莉子にそんな考えを抱かせた。
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