第二章 あの日と同じ青空の下で
第5話
カーテンの隙間から差し込む光が眩しくて莉子は目を開けた。光を遮るように手のひらで目を覆う。真っ暗に戻った世界で、昨日のことを思い出し気が重くなるのを感じた。
「学校、行きたくないな」
昨日の朝も同じことを思い、それでもなんとか自分を奮い立たせることができた。あれはまだ染井のことだけだったからだ。
でも今日は違う。自分の居場所がないとわかっている場所に行かなければならない。怖い。怖くて怖くて仕方がない。教室に入った莉子にどんな視線が向けられるのか想像に難くない。真凜はきっともう莉子を仲間だと友達だとは思ってくれないだろう。グループからはじき出された莉子を、厄介の種みたいな莉子を自分のグループに入れてくれる子なんておそらくいない。
みんな自分のところに莉子という名の厄災が来ないことを祈っているはずだ。
胃の奥がジクジクと痛い。息苦しくて胸が重い。
それでも身体を起こしてパジャマを脱ぎ制服を着る。朝ご飯は牛乳だけ飲んで、重くて沈んでしまいそうな気持ちを引きずりながら莉子は玄関のドアを開けた。。
「……え?」
外に出たところで塀の向こうに誰かがいるのに気付いた。まさか、そんなこと。慌てて敷地の外に出ると、そこには塀にもたれかかるようにして立つ、染井の姿があった。
「なんで」
「おはよ」
「おはよ……って、じゃなくて。なんでここにいるの? だって染井の家ってうちと反対方向でしょ」
莉子の問いかけに返事をすることなく、染井は手を掴むと歩き出す。莉子はその手に引っ張られる形となり、体勢を崩さないように追いかける。
「ねえ」
「…………」
「染井ってば」
「別に。一緒に学校に行こうと思っただけだよ」
意味がわからない。一緒に学校に行くためにわざわざこの時間に、高校を通りすぎて反対方向にある莉子の家に来たというのか。
冷たい手。少しだけ赤くなった耳。いったい何時からあそこで待っていたのだろう。
「なんで、そんな」
「…………」
「私の、ため?」
莉子が学校に行きたくないと思っているだろうから、一人であの教室に向かうのは不安だったから。もしかして、それで――。
『じゃあ、俺が居場所になってあげるよ』
ふいに昨日の染井の言葉が頭を過る。約束したから、だから……?
「別に。付き合ってるんだから一緒に学校に行ったって変じゃないだろ」
染井はこちらを振り返ることなく言う。まっすぐ前を見ている染井がどんな表情をしているのか見えない。
左手が寒くてスカートのポケットに入れる。染井と繋がっている右手は左手と比べて随分と温かく感じる。
「これじゃあ付き合っているの内緒になんてできないじゃん」
手のひらに伝わる熱が妙に気恥ずかしくて、莉子は憎まれ口を叩く。
莉子の隣で、染井が小さく笑ったのがわかった。
「昨日の一件で学校中に知れ渡ってるんだから今さらだろ?」
「……たしかに」
いや、その知れ渡らせるきっかけは染井が引き起こしたんだろう、そう思うとなんとなく腑に落ちないけれど、染井の言うとおりでそんなことないと否定することすらできない。
「…………」
「…………」
それ以上何も言うことなく無言のまま染井の隣を歩く。染井も何かを喋るわけではなくただ手を繋いだまま歩き続ける。
黙られてしまうと気まずい。だからといって「何か話してよ」と言うのも変な話だ。
いったい染井は、どういうつもりなんだろう。そもそもどうして莉子だったのだろう。
いや、自分のことを好きじゃなくて莉子なら染井が死んだとしても泣かない、泣けないからというのはわかっている。けれど、いくら染井がモテるとはいえ学校中全員が染井のことを好きだというわけじゃない。苦手な人だって好ましく思っていない人だって何人かはいるだろう。その中でどうして莉子だったのか。だいたいなぜ莉子が泣けないことを知っていたのだろう。
そっと隣を歩く染井に視線を向けると、ちょうどこちらを見ていたようで目が合った。
「なに?」
「べ、別になんでもないいよ」
先程の質問を直接染井にぶつけるわけにもいかずごまかすけれど、染井はジッと莉子を見つめる。まるでその視線は『なんでもないわけないでしょ』と言っているかのようだ。
何か、何か言わなければ。
莉子は必死で話題を探す。
「えっと、その……今日、いい天気だね」
「は?」
必死に絞り出した言葉に、染井は虚を突かれたような顔をしたあと噴き出した。
「っ……あはは、なんだそれ。法事で話題に困った親戚かよ」
「どういうことよ」
「最近、うちの法事で同じようなことを言ってた人がいたなって話。もうちょっと頑張れよな、それじゃあ俺のこと見つめてたってバレバレだよ」
「なっ、みっ見つめてなんて!」
慌てて否定をする莉子の声なんてもう染井の耳には届いていないようで「まあでも」と言いながら空を見上げる。つられるようにして莉子も顔を上げると、そこには雲一つない青空が広がっていた。
適当に言ったにしては本当にいい天気だった。こんな日に――。
「こんな日に学校に行くなんてもったいないよな」
考えていたことを染めが口に出しドキッとする。そんな動揺を気取られないように「そうだね」と素っ気なく返事をした。
染井は少し無言になったあと「よし」と頷いた。
「サボろっか」
「は?」
染井は莉子の腕を掴んだまま、学校とは逆方向に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「待たない」
「じゃあせめて手を離して」
「離したら死にそうな顔して一人学校に行くだろ? だから離さない」
莉子の行動などお見通しだと言わんばかりの染井の言葉に何も言えなくなる。仕方なく染井に手を引かれたまま歩いた。
時折、同じ学校の生徒が真逆の方向に向かって歩く莉子たちを不思議そうに見ている。今の時間はまだ忘れ物でもしたんだと言い訳ができるけれど、これから始業時間を過ぎても制服姿で外にいればきっと補導されてしまうだろう。どうするつもりなのか。
スマホを取りだして何かを打ち込んだあと、再びそれをポケットへと戻した染井に莉子は尋ねた。
「ねえ、今どこに行ってるの?」
「行きつけの古着屋」
「古着屋?」
莉子は思わず聞き返した。
古着屋、と言われて頭の中にはリサイクルショップが思い浮かぶ。ボロボロになった服や本、家具なんかを置いているイメージだった。そんなところが行きつけだなんて、染井は意外と苦労をしている人なのだろうか?
「今、なんか変なこと考えただろ?」
「え? そんなことは」
ごまかそうとする莉子に「顔に出やすすぎでしょ」と染井は笑う。
「古着やっていっても莉子が想像しているような感じじゃないと思うよ」
「そう、なの?」
「まあ行ってみたらわかるよ」
自信満々に言う染井に連れられて、莉子は駅近くにある小さなショップへと向かった。
そこはたしかに莉子のイメージとは全く違っていた。古着屋、と言われなければ普通の服屋としか思わなかっただろう。いろんなブランドやメーカーの服が所狭しと並べられている。
「すみません、開店前なのに開けてもらっちゃって」
「いいよ、いいよ。悠真の頼みだからね」
どうやら来る途中にスマホを操作していたのは、目の前に立つこの人に連絡をしていたようだった。眼鏡をかけた優しそうな男性は「ごゆっくり」と手をひらひらさせると開店準備があるからと奥の事務所へと戻っていく。
染井は手慣れた様子で店内の服を物色し始めた。
莉子はどうしていいかわからず、その隣に並ぶ。
「この辺とかどう? あ、スカートとパンツどっちがいいとかある?」
「え、あ、ううん。どっちでもいいけど」
「そ? じゃあこの辺かなぁ。これとこれならどっちが好き?」
可愛い系のワンピースとパンツの上に合わせる感じのロングのTシャツを染井は差し出した。少し考えて莉子はロングのTシャツを選ぶ。ワンピースは可愛かったけれど、莉子の雰囲気とは少し違う気がした。
莉子の答えに染井は満足そうに頷く。
「うん、俺もそっちだと思った」
「じゃあなんでワンピースも出したのよ」
「似合うかなって」
「え?」
染井の言葉に莉子はパンツを選んでいた手を止めた。染井の方を見た莉子に、優しく笑みを浮かべると染井は口を開く。
「このワンピース着た莉子、きっと可愛いだろうなってそう思って」
「なっ……!」
そんなこと言われると思ってなかった莉子は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じる。
「変なこと言わないでよ!」
「変なことなんて言ってないよ。似合うだろうな、可愛いだろうなって思ったから言っただけで」
「そんなわけないでしょ! こういうのは可愛い子が着るから似合うの。私なんかが着たって似合わないよ!」
否定をする莉子に「そうかな?」と首をかしげると染井は手に持ったままになっていたワンピースを莉子に重ねるようにしてみせた。
「うん、やっぱり可愛い」
「可愛くない!」
「なんで俺が思ったことを莉子が否定するの? 可愛いって思う気持ちは俺の自由でしょ?」
屁理屈だ。
けれどこれ以上言い返してもきっと莉子に染井を言い負かすことはできない。結局「勝手にして」と項垂れながら負けるしかなかった。
そのあと染井も自分の服を選び、莉子のものと合わせて会計をした。二人合わせて700円。破格すぎてこの店の経営が心配になる。
「ねえ、いくらなんでも安すぎない?」
着替えて外に出た莉子は、同じく私服姿になった染井に尋ねる。ちなみに染井は薄手のセーターとデニム姿だ。黒のセーターがよく似合っていて、近くを歩く社会人のお姉さんが隣にいた人と染井を指さしながら頬を染めているのが見えた。
「あれは学生価格だよ」
「学生価格?」
「そ。俺らぐらいの子どもでも自分の小遣いの範囲で好きな服を選べるようにって、ケンちゃん。あ、さっきの店長が」
「そうなんだ」
たしかにあの値段であれば莉子たちの小遣いでも十分に服を買うことができる。例えば莉子であれば一ヶ月の小遣いは3000円だ。服を買おうとするとよくて二着。プチプラ以外のものを買おうとすれば一着買ったらマイナスになる、なんてこともあるぐらいだ。
親と一緒に買い物に行けば金額を気にせず買えるだろうけれど、その場合莉子だけの意思ではなく母親の好みも混ざってしまう。自分の気に入った服と母親が選んだ服が異なったときに、自分の好みだけを押し通せる子ばかりではないのだ。
「さて、それじゃあ行きますか」
「どこに行くの?」
学校ではないことはわかっているけれど、染井がどこに向かう気なのか莉子にはわからなかった。
「どうしようかな」
「え? まさかノープラン?」
「もちろん。プラン決めてサボる奴なんていると思う?」
いると思う? と聞かれたところで、そもそも莉子は学校をサボるのが初めてなのだ。何がスタンダードかなんてわからない。
隣に並ぶ染井の姿を、そして自分の姿を見る。古着屋に入るのもこんなふうに学校をサボるのも、悪いことをしているようでドキドキする。
「でもさこんな天気のいい日に学校で授業を受けるなんて馬鹿らしいでしょ」
「あ……」
『こんな天気がいいんだもん。教室に篭もって勉強なんてしてられないよ』
かつての友人が同じようなことを言って笑っていたのを思い出す。あのとき、莉子はその背中を追いかけることはできなかった。けれどもしもあのとき一緒にサボっていれば何か変わってはいたのだろうか。
「ねえ」
「え?」
黙り込んでしまった莉子のすぐそばに染井の顔があった。
「わっ」
「なに変な顔してんの?」
「変な顔なんてしてない! ってか、顔近いから!」
覗き込むように莉子の顔を見る染井の身体を押し返す。染井は笑いながら「はいはい」と軽く返事をすると莉子から顔を離した。
思ったよりも近かった距離に心臓がうるさい。急に驚かせないで欲しい。
隣で飄々としている染井はきっと女の子とあんな距離で話すことなんて日常茶飯事なのだろう。けれど、莉子にとっては友人とさえあんなに近くで話したことなんてない。男子ならなおさらだ。
「で、さ。この辺何かないの?」
「何かって?」
「サボってもバレないような場所。具体的に言うと、補導員が来ないところ」
そんなところがあればすでにさぼりスポットにされているか、気付いた誰かがパトロールしているのではないか。そう思うものの、何かあっただろうかと考える。
サボってもバレない、ということはあまり人が来ることなく、さらにこの晴天が満喫できそうな、そんな場所――。
「あ」
「なんかあった?」
「ちょっと歩くけど大丈夫?」
「もちろん」
染井の返事を聞いて莉子は歩き出した。かつての友人と行った思い出の場所へ。
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