春の日の雪だるま

倉谷みこと

春の日の雪だるま

「そのストラップ、かわいいね」


 唐突に、彼はそう言った――。


 五月も半ばのある日の放課後、私は親友の神坂こうさかめぐみと教室でおしゃべりをしていた。二人とも部活動には入っていないので暇なのだ。


 この後どうしようかと、いろいろ話しているうちに最近できたばかりのクレープ屋に行こうということになった。


 いすから立ち上がった瞬間、近くを通り過ぎようとした男子から声をかけられた。


「そのストラップ、かわいいね」


 私の通学バッグについている雪だるまのストラップを見て微笑む男子。


 彼は、今月初めに転入してきた生徒で、名前を吉川よしかわ広樹ひろきという。誰とでも仲良くできる性格なのか、もうクラスメイトと打ち解けている。


「あ……うん、ありがとう」


 私はというと、少しそっけなくそう答えることしかできない。


 別に、男子が苦手というわけではない。ただ、ちょっと人見知りなだけなのだ。


「あ、そうだ! うちら、この後クレープ屋さんに行こうと思ってるんだけど、よかったら吉川君もどう?」


 恵が提案すると、吉川君は嬉々としてうなずいた。


 馴れない人がいると、変に緊張するから嫌なのだけれど、まあしかたがない。


 私達三人は、連れ立って教室を後にした。

 目的地のクレープ屋は、学校の目と鼻の先にある。それだからか、同じ制服を着た学生を多数見かける。そのほとんどが女子生徒だった。


(みんな、甘いものが好きなんだな……)


 素直な感想が浮かぶ。だが、口にはしない。自分も彼女達と同じだからだ。


 私達は列の最後尾に並び、何を食べようかと相談しあう。この時間が楽しかったりする。


 列が進むにつれ、メニュー表が見えてきた。メニューは、王道の甘いクレープから軽食風のものまで様々な種類がある。


 どれにしようか悩みながら並んでいると、順番が回ってきた。私達はそれぞれ注文して、できあがりを待つ。


 次第に、甘い香りが立ちのぼり鼻腔をくすぐる。その美味しそうな香りに、私は内心わくわくしていた。


 しばらくすると、三人分のクレープができあがる。それを受け取った私達は、店の奥へと進んでいく。そこには、四人がけのテーブルが九席ほどある。そのほとんどが、同じ学校の生徒達で埋まっていた。


 空いている場所がないかと視線を巡らせると、一番奥の席が空いていることに気づいた。


 私は、恵と吉川君に声をかけて一番奥へと足を速める。


 なんとか席を確保できた私達は、いすに腰かけてからほぼ同時に息をついた。


 ちなみに、私の正面に吉川君が、右隣に恵が座っている。


「空いてる席、あってよかったね」


 ほっとしたような恵の言葉に、私も吉川君もうなずいた。


 満席になってしまったら、否が応でもテイクアウトせざるを得ないのだ。


 せっかくできたてなのだからと、私達はさっそくそれぞれのクレープを食べ始める。


 一口食べると、バターの香りが口の中に広がり、次いで砂糖の優しい甘さが広がる。スライスアーモンドの食感がアクセントになっていてとても美味しい。


 その美味しさに、自然と表情が緩む。


 ふと二人を見やると、二人とも至福の表情をしていた。


 ちなみに、私はアーモンドシュガーバターで、恵はいちごチョコホイップを選んだ。


「……吉川君の、ボリュームあるね」


 彼が持つクレープを見て、私は正直な感想を口にした。私と恵のそれよりも厚みがある。


「甘いものに目がなくてさ」


 そう言って、吉川君ははにかんだ。


 彼が選んだクレープは、いちごバナナチョコホイップチーズケーキ。生クリームにスライスしたいちごとバナナ、さいころ状のチーズケーキを乗せてチョコレートソースをかけたものだ。この店で一番ボリュームがあるクレープで、食事代わりに買う女子も多い。しかし、私はまだ食べたことがない。


 かなり甘いと評判で、男子が買っているところを見たことは今までなかった。


「一口食べる?」


 さわやかな笑顔でそう聞かれて、私は慌てて首を横に振った。どうやら、思っていた以上に凝視していたらしい。


 恥ずかしくなった私は、うつむき加減で残りのクレープを食べていた。


 それからのことは、正直なところあまり覚えていない。恥ずかしさと彼の笑顔に胸が苦しくなり、それどころではなかった。


 帰宅してから気づいたことだけれど、どうやら連絡先の交換はしっかりしていたみたいだ。


 翌日からずっと、私は気がつけば吉川君を目で追いかけていた。


 そんなある日の休み時間のこと。


「――美。ねえ、真奈美! 聞いてる?」


「え……? あ、ごめん」


「まったく、もう……。また、吉川君のこと見てたでしょ?」


 恵の呆れたような言葉に、うなずくしかない。


「にやけてたしね。そんなに気になるなら、告っちゃえば?」


「え、そんなこと――!」


「だって、好きなんでしょ?」


「それは……」


 言葉に詰まる。あの日から、彼が気になる存在になっているのは事実だ。けれど、彼のことが好きなのかどうかはわからない。


「もし、吉川君が他の女子とめっちゃ楽しそうに話してたらどう思う?」


「……それはなんか嫌だ」


「でしょ? そんで、毎日目で追ってる。それはもう、恋してるってことでしょ!」


 自信たっぷりに、恵がそう断言する。


「そう……なのかな?」


 今まで浮いた話がなかったのでよくわからず、私は首をかしげるしかない。


「とにかく! 今日の放課後にアタックしてみなって。応援してるから」


 そう言って、恵は自分の席に戻る。


 その直後、予鈴のチャイムが鳴った。


 その後の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。


(恵ってば、無茶言うよ……)


 自分の気持ちもよくわかっていないのに、急に言われても困るというものだ。しかし、ここで悶々と悩んでいても始まらない。


 私は意を決して、机に忍ばせていたスマホに手を伸ばす。


『今日の放課後、話したいことがあるので教室に残っていてください』


 そう入力して手が止まった。先生にバレたわけではない。いざ送信ボタンをタッチしようとして、断られたらどうしようという不安が頭をよぎったからだ。


 送信しようとしては躊躇して、また送信しようとして……そのくり返し。何度目かの躊躇の後、私はやっとチャットの内容を吉川君に送信した。


 期待と不安が入り混じり、なるようになれと開き直るまで相当な時間が経過したような気がする。気がついた時には、もう放課後になっていた。


 教室内を見回すと、クラスメイトはほとんどいない。妙な静けさの中、視線を正面に戻すと、


「真奈美、がんばれ!」


 通り過ぎる恵に声をかけられた。


「あ、恵。待っ……!」


 待ってと言い終わる前に、彼女は教室から出ていく。


 取り残されたような気がして、急に心細くなってきた。


 心を落ち着かせようと深呼吸をくり返していると、


「椎名さん、話したいことって何?」


 後ろから声をかけられた。


 勢いよく振り向くと、吉川君が立っていた。


(吉川君! 残ってくれたんだ……)


 彼が待っていてくれたことに、胸が高鳴る。


「椎名さん?」


「え! あ……えっと……」


 言いたいことは決まっているはずなのに、うまく言葉が出てこない。


 会話の糸口を探すために泳ぐ視線。不安を少しでも解消しようと、私は無意識に通学バッグに手を伸ばす。指先に柔らかい感触が当たった。それは、古ぼけた雪だるまのマスコットだった。


「えっと……そう! これ。この前、かわいいって言ってくれたよね? こういうの好きなの?」


 言いたいことは、これではないのに。


「うん、好きだよ。俺も持ってるし」


 そう言って、彼はバッグのポケットからマスコットストラップを一つ取り出した。


「あ、それ……」


 それは、私が持っているものと同じ雪だるまのマスコットだった。


 その瞬間、ざわざわしていた心がスッと落ち着きを取り戻した。


 私は目を閉じて、一度深呼吸をする。それは、未だ弱気になっている自分に別れを告げる覚悟を決めるため。


 目を開けた私は、彼を正面から見据えて、


「吉川君、あの……私……あなたのことが好きです!」


 勇気を振り絞って告白した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春の日の雪だるま 倉谷みこと @mikoto794

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説