<読み切り>支配からの脱出

こへへい

支配からの脱出

寒い。

空気が、と言えば確かに言い様によっては「空気」が寒いのだろうが、ここで言う空気というのは「雰囲気」のことだ。


薄暗く、遠くに位置するであろう明かりが乱反射した光しかないこの牢屋。壁は灰色の岩一色で、用足しと冷たい寝床しかない。


僕は囚われていた。


「なぁ新入り、何か話でもしようや」


正面の牢には、あぐらをかいている薄汚い髭を蓄えた壮年の男。ニタニタとジメシメとした笑顔をこちらに向けている。茶色くカビた服は僕と同じだったが、とても似合っているように思った。


僕もいずれはこうなるのかと思うと総毛立った。現実に目を背けるように、僕は男の目に目を合わせなかった。これを現実だと認めてはならないんだ。


「んだよ、どーせ出られねーんだ、この世界を楽しもうぜ?初めからそうだったと思えば、苦しまなくて済むんだから。俺達は初めから『ジュウジン』なんだってな」


この檻に囚われている者のことを「ジュウジン」と、看守たちは呼んでいる。漢字でどう読むのかは分からないが、囚われているのだから囚人が濁って呼ばれているとかなのだろうと思っている。


「うるさい、僕はお前とは違う」


「違う?同じだよ。俺たちはみんな一緒さ。事実、お前はこの牢獄に囚われたじゃないか。自分の意思で」


「自分の意思で」という言葉に否定できない自分がいる。確かに事実だからだ。だが嬉々として入った訳じゃないんだ。入りたくて入った訳じゃない。こんなことになるなんて思わなかったから。だが「自分の意思」という大義名分を突きつけられると否定しようがない。


僕は何故ここにいる?こんなカビた世界に囚われている?自分の意思で。訳が分からなくなってきた。


だが、こんな現実を認めてはいけない。それだけは分かる。これが永遠に続いてはいけないのだ。


「否定したところでよ、こんなところに助けなんて来ないさ。誰も彼も他人だよ。俺たちがここから出ることがあるならば、自分の力だけで抜け出す他にありはしない」


僕はその通りだと思った。誰も助けてくれないならば、僕は僕の意思で、ここから出なければならない。それに伴う抵抗、環境、以降一人で生きていくというデメリットを考慮して。


「だが無理だな。ここは絶海の孤島に位置すると言われている。俺は見たことがなくて看守から聞いた話なんだがな。だから牢を破ろうとも、決して出ることは許されない。決してな」


絶海の孤島。かどうかは定かではないが、出たところで、出られたところで、それからどうなるかもわからない。


悔しい。今すぐ牢をぶち破って、このぼろ雑巾をビリビリに破いて仕舞いたくなる。だがそんなことは出来ない。この寒々しい世界でもルールは存在する。


といっても常識的な慣習的なものだ。人を傷つけてはいけないとか、迷惑をかけてはいけないとか。そういうルール。この世界であろうとなかろうと変わらない。


故に僕は奴の言葉を聞いたとて、それに抵抗を示そうものならば、この世界のルールが僕に牙を剥くだろう。だから手を出すことができないのだ。


「くそっ」



ジリリリリリリリリ!!



仕事の時間だ。


僕らの仕事は至って単純である。

服を縫ったり、木材を加工したり、金属を加工したり。覚えれば単純で誰でもこなすことができる仕事ばかりだ。


簡単で単純でちょろい仕事でお金が得られるのだから、仕事については文句は言えないだろう。しかし、この単純な仕事というのが長い。朝6:30~夜19:00。休憩時間が1時間。それがこの世界の日常である。


スパゲティやら揚げ物やらカレーやらの晩飯を摂りながら、僕はこの日常について思い返していた。刑務所の飯は不味いというが、ここの飯は旨いらしい。


飯はうまい。労働後だからだろうな。とても美味しいのだ。この時間だけが至福の一時と言えよう。


そう、僕の幸せはこの時間しかないのだ。あとは労働と睡眠だけ。ずっとそれが続いていく。



あの男の言っていることは、正しいのかもしれない。



この世界が僕の全てなのかもしれない。僕の人生は初めからここにあり、ここで生まれ、ここで死ぬのかもしれない。


そう思えたならば、どれだけ楽だろうか。


飯を食べ終え、元の牢で就寝時間を待っていると、



「急患だ!医務室へ運べ!」



檻の外で騒がしい声が響いていた。窓なんてあったものではなく、外の声は筒抜けどころかスカスカだなのだ。


また一人倒れた。


この世界では高頻度にこうして人が倒れる。繰り返される変哲もない日常に耐えかねて、発生したストレスによって体が悲鳴をあげる。


いや、実際は悲鳴を上げることはない。じわじわと、まるでカエルがじっくりとゆっくりと茹でられるように、体がストレスで茹で上がり、心が蝕まれていく。


そして気づけば取り返しのつかない状態になるのである。


目の前の、壁のシミのような男がずっと口々するものだから頭に染み付いた知識だ。


「キヒヒヒ、適応できなきゃあんなことになっちまう。俺はあんたにはそうなってほしくないのさ、キヒヒヒ」


「何回もうるさい、そろそろ頭がおかしくなるからやめてくれ」


「そりゃ拒否反応、っていうよりかは初期費用みたいなもんでさぁ、どんな物事でも初めが一番辛いもんだ。眠りから覚めたとき、布団から出るのが辛いとか、引っ越しの始めの時に、家具とかを運ばなきゃなんねーみてーにな。だが走り出せば楽になる。腰をおろせばもう立ち上がる気持ちなんて持たなくて済むんだから」


得意気に、ニヤニヤと音かは掠れた呼吸音を漏らしていた。僕はその顔を一瞥する。そして、絶対にこんな奴にはなってやるものか。そう言い聞かせるしかできなかった。


僕もいずれは...。



ウゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーー!!!



「なな、なななななんだぁ!?」


バタバタと、目の前のゴキブリが巣をつつかれた(ゴキブリに巣なんてあるかは知らないか)かのうよに、目をギョロギョロして手足を慌てふためかせた。


それもそのはず、突然この牢屋を全て響かせるほどの衝撃が起こったからだ。今鳴り響いているのはそのサイレンだろう。まるで空襲だ。


僕は檻に精一杯顔を押し付けて周りの状況を確認しようと努めた。だが一方向の道の左右に檻が連なっている構造のため、視界に広がるのは檻ばかり。まるで外の様子なんて見えはしない。


だが、戦争でも起きたような衝撃は一度では終わらず、一発目の後もドドドドドドドドと、だんだんと響きが大きくなっていく。


まさか、こっちに向かってきているのか?


「閉門せよ!賊を逃がすな!そしてジュウジンを一人足りとも逃がすな!」


看守達が慌ただしい。外の世界が今どうなっているのか知りたい。知らなければならない。


僕はこの騒ぎに乗じて、この世界から出られるかもしれない。だから隙を窺わなければならない。全神経を尖らせていた。


小汚ない声を受信した。


「おい新入り!顔出さねーで早く引っ込んどけ!死にたいのかよ!」


「うるさいって言ってるだろう!これに乗じて僕はここを出るんだ!」


「ここを...出る?それからどーするんだよ!生きられるかも分からない未知なる未来をお前はどうやって生きるんだ!ここにいれば衣食住が約束されるんだぞ?自殺したいのかよ!」


ゾワッと「未知」や「未来」という言葉が、冷たく意識に浸透した。


そうだ、これからどうやって生きるんだよ。ここを出て、その先の未来に一体何が待っているっていうんだよ。


いや、違う!この先の未来が真っ暗かどうかはわからない。だけど、現状より悪くなると思うのか?今は抜け出すべきだ!そうに決まっている!


だが、未来は今よりも悪いかもしれない。


僕は

気づけば地面を見ていた。この騒ぎに乗じることなく、ただ飛んでるく火の粉に当たらないように、何事も平穏なように、腰をおろして。


ダメだ。僕は、立ち上がることが出来ない。

気づいてしまったから。いざという時、僕はこうして膝に力が入らなくなる。そうやっていつも過ごしてきたんだ。


だから、

僕は今ここにいる。


だっだっだっだっ

と、何かが駆ける音がした。それはだんだんとこちらに近づいてくるのがわかった。


そうか、この騒ぎに乗じて脱出する事がないように、



「見つけた!」



声が聞こえた。檻越しだった。だが埃っぽい声ではない。なんだろう、この山から湧き出ている水ように、透き通った声は。


見上げると、看守の服とも、僕たちジュウジンの服とも違う。深緑のマント、ズボンもそんな感じだ。目立たないためなのだろうか?頭には布を巻いている。さすらう旅人のような装いだった。


それよりも、

目が、綺麗だった。



「腐りかけのバナナって、カレーに入れると味に深みが出てうまいんだ。お前の目も、まだ煮込めば味が出そうじゃないか」


「お前は...」


見上げることしか出来ない。いや、見ることも難しい。見るも無惨な、理想と現実。僕はこんな理想にはなれそうにもない。


「さ、出ようぜ」


「え」


かちゃかちゃと、マスターキーを使って男は檻に付けられた錠を外した。キィィィィ...。と、いとも容易くその扉は開かれた。


「何で...」


「話は後だ、落ち着いてカレーでも食って駄弁ろうぜ、ここを出てな」


希望の手が差し伸べられた。いるんだ。助けというのは存在したんだ。


「お、おい!兄ちゃん!俺のも開けてくれよ!」


正面にいたおっさんが、檻を両手で掴み、醜く男にすがっていた。その目は餌を待つ犬のようだ(犬に失礼だ)。


「あん?つっても二人は流石に厳しいよなぁ、ま、別に良いだろう。二人が限度だな」


かちゃかちゃと、そそくさとおっさんの檻も錠で開けた。

それを見て、何だか嫌な感じがした。僕だけで善かったのにと。


「さて、二人とも走れるな」


「あぁ、走れる」


「バリバリですぜ!」


バリバリってなんだよ。


「外に出れば仲間が飛んできて助けてくれるはずだ。小型のヘリがあるからな。一人増えたけどいけるか分からんが、まぁ何とかなるだろう」


うんうん、と男は一人で考えうなずいていた。


檻の連なる道を走った。階段を登り、走る看守をやりすごし、走りに走って外へ出た。ここはグラウンドだった。たまにここで運動会等が開かれるようだが、参加せずに済みそうだ。


だが、この場所の周りが見えない。やはりここは本当に、絶海の孤島なのだろうか?


パラパラパラパラパラパラ!


激しく空気を切る音と共に、空からヘリコプターが見えた。そしてヒモが落ちてくる。これに捕まるんだろう。


「早く捕まれ!もうすぐにでも追っ手が来る!」


男が縄の先端を掴んで言う。僕も急いで縄を掴んだ。だがおっさんの掴むスペースがなく、僕の足にしがみついて飛んだ。


外からパンパン!と拳銃の音が聞こえる。たがゆらゆらと揺れて一向に当たらない。


よし、このままいけば逃げ切れ...


る...。



...。



何だ、これは。


足にしがみつくおっさんなんて、気にすることができない。そんなこと考える余地なんてできない。


絶海の孤島なんてなかった。海どころか水一滴なかった。


ここは、この世界は...。牢屋しかない。世界そのものが、檻。

空は青かったはずだ。だが、地上には希望なんてない。全てが檻だった。世界に自由なんて、なかったんだ。


「おいクソリーダー!何二人も連れてきてるんだ!下ろせ!重すぎるぞ!」


ヘリから別の男、僕を助けてくれた男の仲間だろう。そいつがとんでもないことを言い出した。「下ろせ」と。


「さて、俺は二人助けることができたわけだが、今しがた仲間からそういうお達しがあった。どーする?降りる?」


二人に問いかけている。「降りる?」とは違うだろう。「落ちる」だろうが。こんなの。



「俺ぁ残るぜ!こんなところから落ちるなんてまっぴらだ!何でもするから助けてくれよ!」


おっさんは僕の体をよじ登ると、縄を掴んだ!しまった!やられた!


「ふざけるな!僕が生きるんだ!絶対に!二度とあんな世界に行くものか!」


おっさんの弱々しい腕をひっぺがし、振り払い、落とした。


「なんで...」


灰色の、牢獄の海に落ちた。悲鳴はなかった。ただ一言、悲しい目で懇願していた。僕たちを見上げていた。それでも、


「正解だ。人は足手まといを背負ったとき、自由を失う。真に脱出すべきは人間関係を絶ちきることだ。つっても見た感じ、あれとは苦楽を共にするって中でも無さそうだ」


僕を見下ろす旅人のような男は、下卑た目で落ちるおっさんを見下ろしていた。僕もあんな目をしていたのだろうか?


ふと、僕は男について気になった。


「そういえば、お前は何であそこに来たんだ?まさか僕を助けるためだけに来たってんじゃないよな?」



「その通りだよ、俺はお前をあそこから出すためだけに、仲間を引き連れてここまではるばるやって来たんだ」



...何だって?

僕を出すためだけに、だと?縄を掴む力が強まった。何か、未知なる恐怖が背筋を冷やしていた。


「お前は僕を助けてどうするってんだよ、何が目的なんだ?」


「俺は自由を求めて、今までの人生を送ってきた。あのヘリにいる仲間はその時々に出会った者達だよ」


男はヘリを見上げていた。その表情は窺いしれないが、声色はとても穏やかだった。


「だが、そんな自由が脅かされる事態が生じた。それがこの世界。人々を縛り、自由を縛るこの世界でお前をあのままにするわけにはいかなかった」


「この世界は分かる、こんな檻だらけの世界はとても異常だ。僕は普通に学生をして、普通に就職していただけだったのに、何でこんなことになっている?それに、何で僕を助けなきゃいけないんだよ!」


そう、一番聞きたかったのはそれだ。世界が檻だらけで人々を捕らえているのもまた気になるが、僕をこの男が助けること。それがまるで意味が分からなかったのだ。


「俺はお前なんだよ、だから助けた。自分を自分の力で腐った世界から引っ張り出すのは当たり前だ」


マジかよ、そんなことがあり得るのか?もう一人の自分が助けてくれるなんて。

「自分の力だけで抜け出す他にありはしない」

おっさんの言葉が脳裏を過った。それがこんな形で実現するなんて。てっきり自分で力を振り絞る的な意味かと思っていた。


「過去で囚われた己を救うために、俺達は未来からやってきた。社会という、会社という牢獄に囚われた己を救わないと、俺達の未来が歪んでしまうんだよ」


男の顔を見る。横顔は確かに、洗面台で顔を洗っていた時に見た僕の顔に似ている。だが中身は違う。彼は広い世界を見ていた。これから続く未来の可能性を見据えている。そういう意味では、彼と僕とでは似てもにつかない。


それもそうだが、「会社という牢獄」という言葉を聞いて、僕は囚われていた時の「ジュウジン」という呼び方に合点がいった。これは「囚人」であり「従人」ということなのだ。


「この牢獄だらけの世界もその影響だ。過去に何者かが手を回した結果こうなった。それを戻さなければ、俺達に未来はない」


男は、未来の僕は一瞬だけ険しい表情を出し、気を取り直したように、僕を見下げて笑って見せた。


「さて、次行くぞ次!」


「え、次って?」


「仲間で来たって言ったろ?まずは皆の過去を救い出す!」


ヘリの上を見上げていた。仲間、守るべき者。そうか、だからこの男は強いんだろう。


そして彼は、僕である。


僕はやっと、自身の未来に希望を持つことができた。

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