第22話

 

 紅葉は、よし。と一つ声をかけて、私の背中から、腕を解いた。

 温かさを惜しみながら、私も離れる。

 紅葉はポケットから携帯電話を取り出して、白井さんを呼びつけるらしかった。


「あ、白井?黒田と一緒?そう。二人ともちょっと第二家庭科室まで来て?うん、大至急。化粧道具持って。うん。え?あー。ちょっと、化粧めためたになってしもて。髪の毛は多分大丈夫やと思うけど、一応。うん。あ?そやろ?せやから、早う。な?このままミスコン間に合いませんでした。じゃ締まらんやろ?だから、な、うん。つべこべ言わんと早う来い。あ、黒田に、よろしゅう言っといて」


 電話口の冗談みたいなやり取りを済ませた紅葉の様子をぼんやりと眺めて、紅葉の制服の胸のあたりが、白く汚れてしまっている事に気が付く。

 私が、化粧を施されたまま、顔を擦り付けてしまったせいに違いなかった。


「制服」

「ん?ああ、安心して。紫苑の制服は、ちゃんと白井が持ってるから」

「いや、うちのじゃなくて、紅葉の」

「あ、私か。クリーニング出せば大丈夫でしょ」


 大雑把に言った紅葉は、手早く制服の上を脱いで、Tシャツ姿になった。

 クソ。こいつ本当に胸デカいな。


「で、うちの制服が見当たらないんやけど。今、なんて言うた?」

「紫苑の制服は白井が預かっている」

「誘拐犯風に言うな。なんで、そないな事したん?」

「紫苑が逃げられない様に」

「鍵も?」

「どっちも要らなかったけど」


 いやー。余計な事したなー。

 なんて、笑いながら、紅葉は言った。


「ま、そんな事より。靴です。靴を選びます。上履きじゃ流石に格好悪い。どれにする?私はこのパステルブルーの奴なんか似合いそうかなって思うけど」


 さらっと流す気か?まあいいですけど。

 あと靴は、その淡いオレンジみたいな奴が良い。

 オレンジは、紅葉の色だから。




 白井さんが騒がしく駆けつけて、ほんの少し遅れて黒田さんもやってきた。

 私は三人に囲まれながら化粧を直され、髪の毛を直され、履きなれない踵の高い靴を履かされた。

 殆ど初めて履く踵の高い靴は(紅葉はそんなに高くないと言うが、慣れないと転びそうで怖い)、紅葉の助けがないと、満足に歩ける気もしなかった。

 時間に余裕は無いらしく、第二家庭科室の片付けを白井さんと黒田さんにお願いした紅葉は、私の手を引いて、ミスコンの会場である講堂へと向かう。

 廊下に出て、気が付く。


「紅葉が、小っちゃい」

「ああ、踵あるから、その分?」

「はー。とうとう紅葉の身長を追い越してしまった」

「いや、踵の分な?私の方が、背は高いし」

「数センチでしょ」

「数センチでも、私の方が背が高い」

「認めたくないのは分かるが。だがまあ、今は、私の方が上だ」

「一人で歩く?」

「急に手を離すな!転ぶぞ!」

「それ、転ぶ側の台詞じゃない」

「ちゃんと、捕まえててよ」

「はいはい。ステージではちゃんと歩けるように、今のうちに慣れてよ?」

「無理をおっしゃる」

「出来る出来る。紫苑なら大丈夫」


 ああ、信頼が、重い。

 支えが無ければ、転んでしまいそう。

 なんて、そんな冗談みたいなことを話しながら、二人で廊下を歩いた。

 不意に、すごく背の低かった、小学校の担任の先生の事を、思い出した。




 講堂では、既にミスコンが始まっていた。

 講堂の照明は殆ど消されていて、ステージを照らす灯りだけが、講堂全体をぼんやりと照らしている。

 気味の悪い、暗さだった。

 ステージ上の出場者たちを照らしているのは、二つのスポットライトと、ステージ周辺の僅かな照明だけ。

 普段は、校長や、他の先生方が話をする為に立つ場所なのに、今はそこに先生方の姿は無い。

 制服のまま気乗りしない風でステージに立つ人。ネタに走った装いの人。クラス展示の宣伝をする為だけに居る人。気合十分な装いで、堂々と立っている人。

 出場者の振る舞いは、様々だった。

 今は、司会者が、出場者の一人一人にインタビューをして回っているらしかった。

 その様子を、大勢の観客が眺めている。

 紅葉に手を引かれて、観客たちの後ろから講堂の壁沿いに、ステージ横に備え付けられた準備室に向かう。

 運営委員らしい人に、ドタキャンされるかと思った。なんて事を言われて、紅葉は適当に謝って、私がどのようにステージに合流すればよいかの確認をしている。

 準備室からは、ステージ上が、良く見えた。

 観客は、見えない。ひらひらした幕が、準備室を覗かれない位置に下げられている。

 どのくらいの観客が、居るのだろう。

 クラス展示をしている学生もいる。展示を見て回る学外の人も居るだろう。

 その内で、ミスコンを見に来る人は、どのくらいいるのだろう。

 どのくらいなら、私は、耐えられるだろう。

 十で済まないのは、観客の後ろを歩いてきた私には、充分に分かっていた。

 百で済まないだろう事も間違いが無い。

 千人は、流石に居ない。

 そんなに大きな講堂ではないし、この学校の生徒全員を合わせたって、千人も居るわけがない。

 田舎の、特別大きくない高校の、大した規模ではないミスコンだ。

 怖がる必要はない。

 だって私は、昔、人前で演劇もやっていたし、テレビドラマや映画にだって、出た事がある。

 もっと大きな舞台で、満員の観客の前で、仕事をした事だってある。

 それに比べれば、こんなの、全然。

 大したことない。


「--」


 紅葉の声が、遠くから聞こえた。

 実際は、すぐ傍にいる筈なのに、やけに遠い声に聞こえた。

 上手く聞き取れなくて、怖くなった。

 私一人だけが、ここに置き去りにされてしまったのではないか。

 なんて、馬鹿げた事を考えた。

 さっと血の気が引いて、体が、凍り付いてしまったのではないか。

 そんな、有り得ない妄想をした。

 誰かに肩を叩かれた。

 驚いて、凍って固まったみたいに動きが鈍い首を捻って、その人を見る。


「怖い?」


 紅葉だった。

 紅葉以外に、居るはずがない。


「こわい」


 喉が震えて声がかすれたのが分かった。きちんと声になったのか、自分では良く分からない。

 けれど、紅葉には、聞こえたようで、少しだけ安心した


「なんで怖い?」


 そんな事、決まっている。

 もし、私がここで、モデルとしての勤めを、果たせなかったら。

 こんな小さな規模のミスコンすら、何でもない風に果たせないのなら。

 紅葉のモデルとして働く事など、夢のまた夢。

 それは、紅葉の期待を、裏切る事に違いない。

 それが怖い。


「うまく、あるけないかも」


 紅葉が私の横に立って、手を握ってくれた。


「大丈夫、歩ける。ここまで歩いて来たでしょ」

「うまく、うけこたえできないかも」


 紅葉は、ステージを見た。

 私もつられて、それを見る。

 司会者に、先ほど顔を合わせた運営委員の人が、身をかがめながら駆け寄った所が見えた。


「司会から振りが来るから。それに合わせてステージに上がる。立ち位置は、一番手前。後は司会に任せればいい。上手くやる必要はない。何か聞かれたら、答えたいように答えればいい」


 でも、紅葉は、このコンテストで優勝すると言った。

 私はそのために頑張らないと、ならないのではないだろうか。


「私は、紫苑がステージに立ってくれれば、それで満足。どうだ、私の親友は可愛いだろうって、自慢したいだけ。優勝するだろうとは思ってるけど。紫苑に優勝して欲しい訳じゃない」


 褒められて、嬉しい様な。

 期待されていないようで、悲しい様な。

 微妙な気持ちになる言葉だった。


「紫苑は、きっと今が、一番辛いよね。苦しいよね。怖いよね。私のせいで辛い思いさせてごめん。私の為に、今も頑張ってくれて、ありがとう。ステージには一緒に行けないけど、全部見てるから。頑張れ」


 じわと目の裏側から、込み上がるものがあった。


「なきそう」


 不安も、恐怖も、確かにあって。

 人前に出るのが嫌だなと思う気持ちも依然としてあった。


「まだ泣くな、もう化粧直す時間ないから。でも、終わったら、辛かった、怖かった、お前のせいだ馬鹿って言って、泣いていいから」


 けれど、不安な時に頑張れと言って貰えることが、何よりも嬉しかった。


「ほんとう?」

「なんなら、また抱っこしてあげる」

「またふくよごすかも」

「いいよ。私の服の事なんか気にするな、紫苑は自分の服だけ気にしてな」


 互いに、繋いだ手に力がこもった。

 紅葉の手の平は、熱いほどだった。

 熱が、私の体にも移った気がした。


「ねえ、もみじ」

「なに?」

「わたし、髪留めが欲しい」

「何急に」

「綿入れ、直した生地で、髪留め、作って」

「ははっ。実は、もう作ってある」

「なんと」

「色々作った、全部あげる。髪留めも、新しく仕立てた綿入れも、これが終わったら全部、紫苑にあげる」


 司会者の視線が、私を射抜く。

 それだけで、もう覚悟を決める時間が無くなったのだと分かった。

 声がかかったら、一歩を踏み出さなければならない。

 やはり、怖かった。

 紅葉が手を離す。

 それが余計に、心細さを助長した。


「紫苑。ミスコンは、どこでもやってる。次もある。安心して、行ってきな、よっ!」


 紅葉の言葉にかぶさるように、司会者から振りがきた。

 背中に強い衝撃。

 ばちんと、大きな音がして、よろめいた。

 転ばない様に、自然と足が前に出る。

 慣れない靴に何とか言う事を聞かせて、転ぶことは回避した。

 何をするのかと、頭に血が上った。

 熱が一息で、体中に廻ったのが分かった。


「痛ったぁ!何するん!」


 突然の事で、思わず大声で抗議した。

 背中が痛い。いや、痛いと言うより、もう熱い。

 そのくらいのビンタを、背中に頂いたらしかった。


「転ばなかったでしょ?ほら、前向いて。私も客席で見てるよ」

「-----っ」


 腹が立って仕方が無かった。

 転ばなかったのは結果論。

 もしかしたら、転んだかもしれなかった。

 ただでさえ遅れての登場が、いきなり転倒とか、恥ずかし過ぎて、顔から火を噴きそうだ。

 そんなの一生、トラウマになるに違いない。


『あの、大丈夫、ですか?』


 司会のマイク越しの声が、講堂中に響く。

 今そう言うの、本当に恥ずかしいからやめてくれ。

 顔は既に灼熱の様相に違いなく、背中は熱いし、絶対手形ついてるし、留め紐の上からやられたのが、地味に痛くて、余計にムカつく。


「大丈夫です!」


 言ってしまった以上は。

 そうしなければならない。

 有言実行。

 どちらかと言えば、好きな言葉だ。

 だから。

 私は、震える足を黙らせて。

 前のめりになりそうな背中に紅葉を一つ頂いて。

 堂々と、この一歩を踏み出さなければならない。

 一つ、高い所へと。


 紅葉と、共に。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フクキタル【WEB版】 乾縫 @inui_nui_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ