後輩に水をかけられた

大宮コウ

後輩に水をかけられた

 カフェでの一幕。男女が別れ話の最中に、コップに入った水をかける、だとか。

 ドラマや漫画を見ていれば、たまにそんな描写があったりする。まあ、創作物の誇張表現だ。実際にあったらそれはそれで面白い。

 などと思っていたものの、まさか自分が水をかけられる側になろうとは思いもしなかった。

 出会い頭に顔面に水をかけてきた相手は、サークルの後輩。別れ話なんて上等なモノではないし、相手とは恋愛関係ですらない。大学構内で見かけたから、声をかけたらいきなりだ。

 季節は冬。もう十二月なのに、大学は節約志向なのか、空調をいまいち効かせていない。

 かけられたものは無色透明。水、だろうか。最初は冷たいと思ったが、驚きのあまり気づかなかったか、いまはほのかに熱さ……いや、温かさを感じる。

 何事かと、周囲にまばらにいる生徒たちがざわめいていた。後輩である彼女は、自分でもあっけにとられたように手元の水筒と、それからこちらを交互に見ていた。

 心の内で、事態を咀嚼したのであろう彼女は、ようやく一言。

「ここでは何ですので、部室棟に行きましょう」


 部室棟には、まばらに学生がいるが、まだ午前、それも講義の直前であるから幸いにも人は少ない。部室は鍵が閉まっていて、誰もいなかった。

 つまりいまは、密室で後輩と二人きり、ということになる。

「……どうぞ」

「ああ、ありがとな」

 差し出されたタオルを受け取り、顔を拭く。服は……まあ暖房をつけたから、そのうち乾くだろう。

 後輩は無言で俯いている。二人きりの部室棟は、いささか広い。気まずい。

 意を決して、話しかける。

「それで……俺、もしかしてなんかお前にやった? そうなら謝りたいんだけど……」

 後輩は、目を大きく開き、しばたたかせる。

「あの……私は何か叱咤されてしかるべきだと思うんですけど」

「いや、お前が理由もなしに、こんなことするはずないだろ?」

 付き合いは半年程度。この後輩は、普段から物静かで輪に積極的に加わる方でもない。人付き合いがいい方では決してない。それでも話しかければ応えてくれるし、こちらが困っていれば手伝ってくれる。悪いやつじゃないと、知っているつもりだった。

 だったのだが。後輩は前のめりになって、こう切り出したのだ。

「センパイって、幽霊とか神様とかって、信じてるほうです?」

 あ、これもしかして深く突っ込まないほうがよかったかも。

 思っても時既に遅し、である。


 ■


 センパイ、この間の休み、何してました? え、近所を歩いてただけ? でもそれしか考えられないですよね……では、講義が終わったらその日の行動をなぞりましょう。ええ、私とセンパイの二人で。では、講義の時間が近いですし私はこれで。

 押し切られる形で、そういうことになった。なったので、今は二人で歩いている。

 先日歩いた場所は、大学と俺の家の中間。自転車を押しながら、後輩と並び歩いて、目的の場所へと向かっていた。

「センパイは、悪いモノに憑かれています。なので、対処の必要があります」

 隣を歩く後輩は、本気で言っているらしい。まあ、予定もないのだから構わない。オカルト的な発言がなければ、ただのいきなり水をかけてくるかわいい後輩なのだ。いっそ役得と思おう。

 とか割り切れたらいいのだが、流石にこうも巻き込まれると困惑の方が先立つ。そんな俺の内心を察してか、彼女は歩きながら、問うてくる。

「センパイは、心当たりとかないですか? 物音がしたり、勝手に動いたり」

「いやあ、そんな敏感に生きてないからな……」

「……まあ、憑かれたのは昨日か一昨日かのことみたいですからね。鈍感なセンパイが気づくようなことが起きていなくても無理はないと言いますか、幸いといいますか」

「あ、そういえば学校向かってるときに、近くに植木鉢が落ちてきたな……」

「……いや、それですよ、それ」

「大学に向かってるとき、なんか転んで車に轢かれかけた気もする……でも偶然だろ」

「十分それですって! 普通に生きててそんな死にかけたりすることありませんって!」

 珍しく声を荒げる後輩。言われてみると、そんな気がしてくる。

 とりあえず、後輩が俺のことを騙そうとかしているのではなく、心配してだということが伝わった。その心配の由来が、まあ、オカルトについてであっても。

「にしても……オカルトとか、そっち系に興味があるのは知らなかったな」

「別に興味があるって訳じゃないですよ、見えるだけです」

「見えるって、霊とか? あと気になってたんだけど、水ぶっかけてきたのもそれに関係してんのか?」

「そんなものです。水は……塩とか混ぜたものです。除霊水ですね」

「なんか水素水みたいで嫌な言い方だな……というか塩撒けばいいとか聞くけど、塩水でも効果あるん?」

「特別製ですので。一応、効き目があれば大学では何も起こらなかったと思いますが」

「……で、その除霊水でも駄目なのか?」

「いえ、単なる気休めです。気休めで済んでいるうちに、原因を確認する必要があるので、素直に着いて来てくれて助かりました」

 助かりました、という後輩の目は一方で疑うような視線だった。

「というか……自然に受け入れてますよね。こんな話、普通信じませんって。センパイ、割と変ですよね」

「いや、嫌われてないんだったら、まあ水ぶっかけられた理由も納得できるっていうか」

「……まあ、センパイがいいならいいんですけど」

 後輩は、どうにも納得していない様子。

 仕方ない。これを言うのは多少恥ずかしいけれど、せっかく後輩が秘密にしていたオカルト趣味を話してくれたのだ。こちらも腹を割ろう。

「俺さ、幽霊がいたらいいなあって思うんだよ」

 死生観について語るのは、正直恥ずかしい。少なくとも、俺はそう思っていて、だからこそ他人に言うことはない。

 死について語るということは、生について語ると言うこと。適当な話はできても、そういう話をするのは、なんというか、本気マジっぽすぎる。

 軽々と人に語るようなモノではない。分かっていて、俺は口から恥を垂れ流し続ける。

「死ぬのは怖い……っていうけど、それって何もなくなるのが怖いってことじゃん? それだったら、死後の世界とかあった方が嬉しいだろ? それに、死んだらいろんな人に会える訳だし……そういう総合的なことを踏まえて、俺は結構肯定派なわけで……」

 頭に浮かぶままに陳述していれば、次第に後輩は笑いをかみ殺していた。その表情は、普段の仏頂面よりよっぽどいい。打ち明けたのは正解だったみたいで、恥を晒した甲斐があったというものだ。

「私は幽霊が見えるわけではないので、センパイのご期待に添えず申し訳ないです」

 どこか嬉しそうに答える彼女に、俺は口を開く。

「待って、一体何が俺に憑いてんの?」


 ■


 最もそれっぽい、という理由でやってきたのは、近所の森林公園だった。住宅地の隅から繋がり、丘に沿って作られた、自然豊かな一角。

 入り口手前で、後輩は語る。

「あらかじめ調べておいたんですけど、ここは心霊スポットとしての噂がありますね。霊が見えるだとか。なので、まあ、ここです」

「断言するとなると、何か理由とかあるのか? ここで死人が出た、だとか」

「……心霊スポット、と噂されていることが大事なんです。あるかも、と認識されていることがこういうことには重要なんですよ」

「俺、よくここ気晴らしに歩くんだけど……」

「今度から通らないようにしないとですね。次があれば」

「おいやめろ先輩を脅すな。というかそういうオカルト話、どっから仕入れてくるんだ?」

「インターネットで見ました」

「最近のネットはすごいな……」

 公園の中を覗く。もう夕方、木々が高く伸びているから薄暗い。

 いつも通っていたハズなのに、心霊スポットと意識すると、恐ろしい場所にも見えてくる。

「ほら、センパイ、行きますよ」

 しかし後輩は何の気負いもなしに、いつの間にかさっさと進んでいた。

「で、何か見えるのか?」

 ほとんど一本道だから、案内する必要も無い。後輩を先頭に、恐る恐る進みながら尋ねる。

「雰囲気はありますけど、特には。というか、もうセンパイに憑いてるんですからね。うじゃうじゃいてたまるもんですか」

 葉擦れのざわめきもなんのその、進んでいく後輩。

「……そういや、なんでこう、手伝ってくれてるんだ? わざわざオカルト系の話もしてくれて……別に、俺達そこまで仲いいってわけでもなかっただろ? ……うおっ」

 薄気味悪さを誤魔化すために、俺が問いかけると、後輩は足を止めた。つんのめってしまったが、距離を空けていたからぶつからずに済んだ。

「側に目障りなものがいたら、気になるじゃないですか」

「……さいですか」

 彼女はこちらを見ずに、再び歩きだす。俺は後ろに着いていく。

 進んで、進んで、そして公園の入り口の真反対。つまりは出口に辿り着いた。

 後輩は、疑うように見てくる。

「……センパイ、本当にこの道ですか? ちゃんと思い出してくれます?」

「や、つっても、昼に起きて、コンビニ行って、飯食って……これじゃ何もせずに終わるなーってなるじゃん? そんでこの辺を歩いて……あ」

「あってなんですか、あ、って。」

「そういや近道しようとして、脇道入ってたわ……」

 後輩にあきれたような視線を背に、道を戻る。

 一見一直線の道だが、地図上で出てこない道があるのだ。既に日が傾いて暗い。きっと始めて来た後輩は気づかなかったのだろう。

 脇道を進んでいく。人通りが少ないし、元より歩く場所として作られていないのか。落ち葉や枝を踏みながら進む。

「あー……その、これだったりするか?」

 進んだ先には、一つの墓があった。決して豪華でも大仰でもない。こじんまりと、忘れ去られたように片隅にあった。だいぶ昔に作られて、いつしか廃れていったもの、という印象。風雨にさらされ続けたためか、刻まれた文字さえ正確には読み取れない。

 後輩は頷く。

「これですね。これが原因です。センパイも、何か感じませんか?」

「何かって……」

 言われて、異変に気づく。寒い、寒いのだ。肌寒さではない。厚着をしているのに、身体の芯から寒さを感じていた。

「めちゃくちゃ寒い」

「……どうぞ」

 水筒を差し出される。これ除霊水入ってたヤツだ! と、勢いよく煽り飲む。

 ただの水ではない。温かい、口の中に霊験あらたかな味がする。

「うま……これもなんか特別なヤツ? なんか元気出てきたけど」

「普通のあったかいほうじ茶です。大学で買って移しました」

「そっか……」

 霊験あらたかな味は、気のせいだったらしい。いや、寒さは少し和らいだけど。

「いや……でもマジで? 俺、確か軽く落ち葉払っただけなんだけど……それで祟られんの?」

 疑問を呟けば、彼女は大きくため息をつく。

「センパイ、掃除した後、お墓に拝んだんじゃないですか?」

「え? まあ、したかな……たぶん……」

「他人のお墓に手を合わせるのは、基本、よくないことなんですよ。そういうのは、憑いてきてしまいますから」

 祟られて。縁ができて。あるいは、好かれて。

 彼女は動機を推定し、並べて挙げる。

「そういうもんか」

「そういうものなのです」

 彼女は立ち上がり、こちらに向き直って話す。

「では、帰りますか」

「えっ、ちょっと待って待って、祓ったりするんじゃないの?」

「私はできません。見る専です。太刀打ちなんて微塵もできませんしする気もありません」

「ええ……俺、このまま?」

 どうにも後味悪いというか薄気味悪い。先ほどの寒さは、どうにも不可解なもの、道理に寄らないもの……に思えた。いや、元はといえば殺しに来ているらしいし、ちょっと勘弁して欲しい。

「ということですので、センパイ、今年の年末年始にご予定はありますか?」

「え、いや、特にないけど……まあ実家に帰るくらいか。でもこの状態で帰るのもなあ……」

「では私の実家に来て下さい」

「え?」

 ただでさえ、どうしたものかと混乱していた俺に、更に追い打ちをかけてくる。

「なんて? ……いや、この流れだと、関係ある話、だよな?」

「はい。私の親族はこういうのを祓う仕事をしてるので。なので、手っ取り早いです。ついでに私の帰省も併せて一石二鳥です」

「いや、でも流石に人様の集まりに行くのは迷惑じゃ……」

「いいんですよ。今ならセンパイ料金でお安いですよ」

「金取るの!?」

「冗談です」

 心臓に悪い冗談だった。除霊の相場は知らないが、いくらかかるかわかったものではない。

 まあ、実際に呪われているかはさておいて。

 本当に呪われているかは、年末までには流石にわかるだろう。家が燃えたりは勘弁して欲しいけど。

「……まあ、任せるわ。で、いつ行くんだ?」

 答えれば、後輩は目を丸くしていた。

「……センパイ、チョロいですよね」

「チョロいて。人聞きの悪い」

「ではお人好し、ということで。今回の原因も、元はといえばセンパイのお人がよろしいから、ですもんね」

「褒められているように聞こえねえ……」

「ええ、勿論。だから――」


「――だから私たちみたいなのに好かれるんですよ」

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