黒木省吾-03
「復讐――ですか」
そう呟くと、神谷は珍しく言葉に詰まった。
「正直、そこまであなたに負わせるのはどうかと思うんです」
志朗はそう言って立ち上がり、「絵の件は大変助かりました。ありがとうございます」と一礼した。神谷は何か言いかけたが、それに被せるように「黒木くん、代わりに払っといてくれる? 後で精算するから」と言うと、白杖を持ってひとりで出口の方に歩いていってしまった。
「ええ!? ええと、すみません神谷さん」
黒木はひとまず立ち上がった。志朗があのまま出入りの激しい駐車場に一人で出て行くのは危険な気がする。
「ああなると志朗さん人の話聞かなくてですね、その、失礼します」
現金を置いて店を出ると、ドアのすぐ外に志朗が立っていた。
「車どこに停めたか忘れたけん、連れてって」と、慣れた調子で黒木の腕に手を置くと、「神谷さん、ついてきてないね」と言った。
「いいんですかね」
再びハンドルをとりながら黒木が尋ねると、後部座席から「いいんじゃない」という声がした。
「お姉さんたちの死は本人の意思によるものではありません。犯人はいますがこれ以上は専門家にお任せください――というのが、ちょうどいい落としどころでしょう。何じゃ、ボクも神谷さんにはちとしゃべり過ぎた感があるわ」
「本人は協力したさそうでしたけどね……」
「ことがことだからね、あんまり他人に噛ませるべきじゃないと思うんだよね。それに神谷さん、ホラー映画で最初に死にそうな感じの人だし」
「それはわかります」
「黒木くんかて、厭になったら抜けてもいいよ」
黒木はぎょっとしてバックミラーを見た。目を閉じている志朗の表情は読みにくい。
改めて「抜けてもいい」と言われると、複雑な思いが胸を満たしてくる。自分がこれから何に加担しようとしているのか――それがたとえ手伝いレベルのことでも、手を貸すべきではないのかもしれない。ただ、複雑というならおそらく志朗の方が複雑だ。
きょうを戻せば歌枝は死ぬことになる。それを自身がやらなければならないのだから。
「――また転職活動するの大変ですから。俺、面接で落とされるんですよ」
黒木はそう言って正面を向いた。後部座席で志朗が「ほんまに? 皆見る目ないなぁ」と言って笑うのが聞こえた。
予定していた客先を回り終え、事務所のあるマンションに戻ったときには、もう夕方の五時を過ぎていた。エントランスに差しかかったとき、志朗が「あ」と声を上げた。
「神谷さん、こっちに来たか……面倒な人じゃなぁ、六時に来客があるのに」
黒木にも、自動ドアの前に立っている神谷の華奢な姿が見えた。やはり目ざとくこちらを見つけ、駆け寄ってくる。
「シロさん! あの後よく考えたんですけど」
「まだ五時間くらいしか経ってませんが……」
完全に逃げるタイミングを逸した志朗が、いかにも気乗りしなさそうな声を出した。
「長さではないんです。私、やっぱり殺人の片棒を担ぎます。担がせてください。晴香と翔馬の仇を討ちたいんです。というか、自分の見てないところでそれをやられるのがいやなんです!」
「あのー、神谷さんてわりと、『深い理由はないけどなんかムッとしたから』とかでトラブル起こす人じゃないですか? せめて一晩寝てからもう一回考えてみたらどうです?」
志朗は完全に「帰ってくれ」という口調である。争いの気配を感じると、黒木はつい落ち着かなくなってしまう。気が弱いのだ。
「いえ、私そういうので考え変わったことないので」
「参ったなこれ。黒木くん止めといてくれる? ボク先に中入っとくわ」
「ええー、ちょっと待ってくださいよ……」
「通常業務でしょ」
「元凶は森宮歌枝って言いましたよねぇ!?」神谷が声を張り上げる。やたらよく通る声である。
「じゃあ私、森宮さんとこに行って自分で殺しますね!」
「はぁ!?」
オートロックを開けようとした志朗が足を止める。そこに神谷が畳みかけた。
「住所も知ってるし、こう見えて腕力あるので十分やれると思います!」
「何おっしゃるんですか神谷さん……」
「私おかしなこと言ってますか? おかしいですか? 姉と甥には未来があったのに、それを根こそぎ奪われて恨んだらおかしいんですか? 法律で裁けない殺人なら、個人的に復讐する以外に何かありますか? ひかりさんの母親でもシロさんのセフレでも関係ないです。私の敵です!」
「神谷さん、とりあえずご近所の手前まずいので落ち着いてください」
「落ち着いてますが!? まぁ私逮捕されるでしょうけど、両親もいつかきっとわかってくれると思います。私の性格をよくわかってくれてるはずなので。ていうかシロさんだって、本当は誰かの助けが必要なんじゃないですか!?」
「ボクでしたら大丈夫です。お帰りください」
「じゃあ私、森宮さんのおうちに行きますね!」
「黒木くん何とかして」
「やっぱり俺ですか!?」
顔見知りの住人が、三人の方をチラチラ見ながら自動ドアの向こうに消える。ここから移動した方がいいのではないだろうか――たとえば事務所の中とかに。いや、それでは相手の思うツボなのか。黒木が迷っている間にも、志朗と神谷のほとんど口論に近い会話は続いていた。
「とにかく神谷さんはお帰りください。ご自宅に」
「私絶対役に立つと思いますけど!? ていうか私いた方がよくないですか? 普通に必要でしょ? だってシロさん、どうやって女子中学生に接触するんです?」
「――はい?」
「椿さんの中にいるものを消さなきゃならないんでしょ? だったらまず、椿さんに近づかなきゃですよね。不審者扱いされたらどうしますか? はっきり言いますけど、シロさんかなり目立ちますからね!」
「はい?」
珍しく志朗の目がちょっと開いたのを、黒木は確かに見た。
「自分では見えないからわからないかもしれないけど、シロさん総白髪だし白杖だしめちゃくちゃ特徴がわかりやすいんですよ! 今時は男性が女の子に話しかけたってだけで即不審者扱いされてもおかしくないんですから! 一回不審者情報回ったら詰みですよ詰み!」
「不審者て……」
「あー、あと黒木さんも目立ちます! 大きいし顔恐いから!」
黒木のところにも思わぬ流れ弾が飛んできた。「大きい」も「顔が恐い」も慣れっこだが、不審者情報の流れでくると刺さるものがある。
「さっきファミレスで待ち合わせた時も相当目立ってましたからね! 私にもすぐわかったし! いいですかお二人とも。私がいたら全員警察のお世話にならずに済むかもしれないんです。私、子供とか女性とかに警戒されにくい感じなので。さっきも児童館に普通に入れましたし」
「い――……」
志朗は顔をしかめて眉間を揉んでいたが、やがて深い溜息をつくと、「――本当に担ぐんですか?」と尋ねた。
「担ぎます」神谷は間髪入れずに答えた。
「そうですか……」と、志朗はもう一度溜息をつく。
「じゃあとりあえず、森宮ひかりさんに椿さんのことを聞いてもらってもいいですか? ただ、椿さんには気づかれないように頼みます。くれぐれも無理のないように」
神谷は凛々しい表情を浮かべると、「わかりました!」と元気よく答えた。
「では、今日は失礼します! 家が遠いので!」
「お気をつけて……」
意気揚々と遠ざかっていく神谷を見送ってから、ようやく志朗と黒木はマンションの中に入った。
「なん……何なんあの人」
「凄いですね神谷さん」
「はー……まぁ神谷さんの言う通りかもしれん……実際椿ありさには近づかなきゃならないわけだし、ボク十五年ぐらい自分の外見見てないからな……」
「あの、全然おかしいとかではないかと」
「ありがとね黒木くん……まぁその、担ぐのはなるべく片棒の端っこの方にしてもらうわ。この件に関しては絶対失敗できないからね、人手は有難いかもしれん。そういうことにしとこ」
師匠の遺言じゃけ、と志朗が呟いたとき、ようやくエレベーターが到着した。
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