黒木省吾-02

 混み始めたファミリーレストランに黒木たちが到着したとき、神谷はすでに四人がけの席に座っていた。彼女は二人の姿を目ざとく見つけて手を振った。

 それを見た瞬間、黒木はまた何とも言えず厭な感じを覚えた。彼女と初めて出会ったときに感じたものと同じだった。

「黒木くん、やっぱり鋭くなったなぁ」

 黒木の肘に手を置いている志朗が言った。「キミ、よみごの才能あるかもしれんね」

「正直嬉しくないですよ……」

「だろうね」

 二人が席につくと、神谷はさっそく持っていたバッグの中から、丸めた画用紙を取り出した。

「さっき黒木さんに写真を送ったものです。翔馬が――甥が描いた『ありさちゃん』の絵だそうです」

 真剣な顔で言いながら、彼女は早くも画用紙を広げる。画用紙いっぱいに、幼い子供が一所懸命に塗りつぶしたのであろう黒い丸が描かれていた。それを見た途端、黒木の「厭な感じ」は格段に増した。

「普通の人でも、まれにきょうが見えることがあってね」

 と、志朗が急に話し始める。「みんな口を揃えて、真っ黒な影のように見えたという。ボクにもきょうは影みたいにしね」

「どういうことですか?」

「とりあえずそれ、しまってもらっていいですか」

 神谷が元の通りに画用紙を巻き、バッグの中に仕舞ったところで、疲れた顔の店員がメニューを運んできた。誰も食事をとるような気分ではなく、人数分のコーヒーを注文する。店員が去っていくのを待って、志朗が話し始めた。ずいぶんと要領を得ないしゃべり方だった。

「うーん。とりあえず無関係ではないんでしょうね、『ありさちゃん』は……」

「私もずっと椿さんって子のことは気になってるんです。ひかりさん、彼女のことを怖がってた気がして――」

 神谷は手際よく、森宮ひかりから預かったという写真を取り出した。ひかりとありさが並んで写っている写真だ。少なくとも黒木には、ありさの顔は真っ黒な影には見えない。ただ、相変わらず厭な感じはした。

「う―――ん。いやこれ、ボクは初めて当たるケースかもしれん……」

 志朗はテーブルの上に肘をつき、顔を両手で覆って唸っている。神谷が「初めてってどういうことですか?」と尋ねた。

「――何というかなぁ、椿さんという女の子がきょうそのものというか」

「はい?」

「きょうが人間に入って成り代ってしまったという話自体はなくもないんです。ただしかなりのレアケースで、正直そんなことやる奴おるんかいなとボクは思ってたくらいですが」

 店員がコーヒーを運んでくる。志朗は前に置かれたカップを手探りで探し当てると取手をつかみ、しかし口には運ばずに続けた。

「というのは、そんなことしてもほぼ損しかないんですよ。人間の体に入ると物理的な制約を全部受けることになるでしょ。きょうのままだったらドアでも壁でもすり抜けられるし、離れたところにも一瞬で移動できる。そっちの方が便利でしょう」

「じゃあ、椿さんの中にきょうが入っていたとしたら、それは誰かがわざとやったわけじゃなくて、アクシデントってことですか?」

 神谷の質問に、志朗は「ボクはそう思います」と答えて、ようやくコーヒーカップを持ち上げた。

「どうしてこういうことになったのかはボクにもわかりません。これ以上はちゃんと『よむ』必要がある。そのためには準備をしなきゃならないので、やっぱり時間がかかります。ただ神谷さん、神谷さんの件はもう、これで片が付いたのでは?」

「はい?」

 神谷が大きな眼をぱちぱちさせた。

「お姉さんたちの不審死の原因を知りたかったんですよね? 自分たちの意志で自殺したのではなく、椿さんに入っていたものに干渉されたせいだということがわかったんですから、これで目的は達成されたでしょう」

「そうですけど……」

 神谷は不満そうな顔になった。「でも、消化不良ですよ。明らかになにかの途中じゃないですか? ここでドロップアウトはあんまりです」

「あんまりと言うてもなぁ。ご相談は片付いたわけだし、ここで下りた方がええですよ。もうこれは神谷さんの案件というよりはボクの問題ですから、相談料もタダにしときます」

「今更ですよ。ねぇシロさん、お師匠さんに言われたんだったら、これからその、椿さんに入ってるものを消すとか、封印するとかするんでしょう? どうせ一枚噛んだんですから、そこまで関わらせてください。私にできることはあんまりないかもしれないけど、たとえば森宮ひかりさんに、椿ありささんについて聞いておくことなんかはできるでしょ?」

 そう言いながら、神谷はどんどん前のめりになってくる。そういえば猪突猛進型と言ってたな、と黒木は思い出した。

「あのですねぇ、神谷さんはきっとこういうの、馬鹿にせんで聞いてくださるじゃろうと思って言うんですけど」

 志朗はそれまで微妙にそらしていた顔を、神谷の方にまっすぐ向けた。

「確かにボクはこれから、椿さんに入っているものを完全に消すつもりです。そして、それをやると死人が出る」

 神谷が激しくまばたきをする。

「神谷さんは事実を知りたいとは仰ったけど、復讐をしたいとは言わなかったでしょう。これ以上ボクに協力なさるというのは、あなたの案件を超えていると思います。そればかりか、殺人の片棒を担ぐことになる」


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