黒木省吾-01

 黒木は駐車場に停めた愛車の運転席で、客先に向かった志朗が戻ってくるのを一人待っていた。

 これからまとまった日数を確保するため、志朗はあちこちの客先に電話をかけ、半ば強引にリスケジュールを取り付けた。今日だけで五ヵ所ほど移動するらしく、黒木が車を出すことになったのだ。全盲の志朗に車の運転はできない。

 大柄な黒木に運転席は少し狭い。一旦車外に出ようかと思ったそのとき、スマートフォンが振動した。神谷実咲からメッセージと画像が送られてきたのだ。

「ありさちゃん」

 彼女の甥が描いたという絵の傍らに書かれた名前を、黒木は思わず口に出していた。先程事務所で神谷が口にしていた名前だ。森宮家と晴香たちを繋ぐかもしれない女の子の名前。森宮ひかりの友人だという。

 黒い丸の写真を見ただけでは、黒木にはそれに意味があるのかよくわからない。スマートフォンをぐるぐる回して見ていると、運転席の窓を叩かれた。

「黒木くん」

 志朗が立っていた。


 黒木のスマートフォンを手に取った志朗は、臭いものでも嗅いだような顔をして、「これ気になるなぁ」と呟いた。

「ありがとう黒木くん。返すわ」

 窓越しに黒木のスマートフォンを手渡すと、志朗は後部座席のドアを開けて車に乗り込んできた。

「次、どこでしたっけ?」

「ちょっと待って。神谷さんに電話する」

 志朗は自分のスマートフォンを取り出すと、先程登録したばかりの神谷の番号を呼び出した。

「もしもし神谷さん、志朗です。今どこですか? そう、じゃあ一時間後に境町駅南口の『グリーンダイナー』で。では」

 駅前の大きなファミリーレストランの名前を告げると、志朗は手短に電話を切った。

「神谷さん、変なもの見つけてくれたなぁ。次のとこ行ったら駅前に行こう」

「今日忙しいですね。了解です」

 行き先を確認後、黒木は車を発進させた。

「なんか厭じゃなぁ」

 後部座席から志朗の声がした。黒木は愛車のハンドルを握りながら、「何がですか」と尋ねた。

「なんというか、ボクの想定と違うことが起きてる気がして厭じゃねぇ。うーん」

 志朗はうんうん言いながら話を続けた。

「今神谷さんが送ってきた写真もよくわからんけど、ほかにも変でね……まず、神谷さんのお姉さんと甥御さんを死なせたきょうが、まだ残っているということ自体が変わってる。これは夏に『よんだ』し、さっき神谷さんに会ったときも気配を感じたから、ほぼ確定でいい」

「きょうが自然に消えることってあるんですか?」

「いや、今回みたいな人工のやつはほぼないね。きょうを消すのを、ボクらは『戻す』と言うけどね。目的を終えたきょうは、術者自らとっとと戻すのが定石なんだよ。もしも他のよみごに戻されたら、術者は大抵死ぬからね」

「へぇ……」

「神谷さんの話じゃ歌枝かえさんは元旦那と再婚したらしいし、当初の目的は達成されてるはずなんだよねぇ。でもまだきょうを出しっぱなしにしてるというのは意外じゃなぁ……まして名前が割れてるわけだから」

「名前?」

「きょうの元になった人間の名前。歌枝さんは自分の左腕を使ってきょうを作ってるから、この場合は『森宮歌枝』、そのまんまじゃね。きょうを戻すときは、きょうに触りながらこの名前を呼んで、『戻れ』と言えばいい」

「名前が割れてるきょうは、他のよみごに戻されるリスクが高いってことですか」

「そういうこと」

 意外に簡単に戻せそうなんだな、と黒木は思ったが、すぐに考え直した。本当に簡単なことなら、志朗がかつて頑なに神谷の依頼を断った理由がなくなってしまう。

「まずきょうに触るのが結構難しくってね」

 志朗は黒木の考えを読み取ったかのように言う。「これは基本よみごにしかできないし、よみごって割ときょうに影響されやすいから」

「そうなんですか!?」

「共鳴しやすいんだよね。普通はこっちが圧倒的に強いからポイッとやれるけど。でも強いやつとやり合おうと思ったら、まずはそいつを弱らせないと手がつけられない」

「どうやって?」

「強いやつには強いやつをぶつけるんじゃ。お師匠さんだったらさっさと自分で殴りに行ったかもしらんけど、ボクはそんなに強くないからなぁ……まぁ、それは一旦おいといて、歌枝さんにはまだきょうを送りつけたい相手がいるか、もしくはきょうがコントロールできなくなっているのだと思う。術者が自分のきょうにやられることもあるからね」

「やられるって……どうなるんですか?」

「きょうって、頭の中をいじるんだよね。それで相手の思考を変えてしまう。晴香さんが何度も自殺未遂をしたり、亡くなったときに笑っていたというのは、きょうに操られていたからだと思う。ボクは自滅説を推すね。ボクの知ってる歌枝さんと神谷さんの会った歌枝さん、キャラが違いすぎる。人格が変わっとる」

 ハンドルを握る黒木の大きな手に、じわじわと汗がにじむ。志朗は半分ひとり言のようにぶつぶつと呟く。

「でもなぁ、なんか違うんじゃ、神谷さんの話……いや、神谷さんが嘘ついてるとかと違くて……まぁ、これはまたにしよう。まずは次のお客さんのとこからじゃ。よみごに用事があるのは神谷さんだけと違うからね」

「今回、まだ『よむ』のはやらないんですか」

 バックミラーの中で、志朗が首を振った。

「二度よんだら多分あっちに気づかれる。準備ができるまではやらない方がいい」

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