神谷実咲-02
児童館は保育園と隣り合っており、ガラス張りの玄関から手をつないだ親子連れが出てくるところだった。周囲は住宅街で、近くの幼稚園からは子供たちの声が聞こえてくる。いかにも文教地区という風情の地域である。
ここに当時の晴香たちや、椿ありさのことを知る手かがりがあるかもしれない。そう思いついて訪ねたものの、
(さて、普通に入って大丈夫かな)
今更ながら神谷は尻ごみをした。子供が出入りする施設の職員は、不審者には敏感なものだ。勝手に入っていっていいものか――と、彼女には珍しくためらっていると、後ろから声をかけられた。
「こちらにご用ですか?」
振り向くと、六十代くらいの女性が手に如雨露を持って立っていた。エプロンにはウサギやクマの大きなアップリケがいくつも縫い付けられている。おそらく児童館の関係者だろう。神谷はまず、自分の身元を明かすことにした。正直、警戒されにくい容姿だという自覚はある。
「私、神谷実咲と申します。こちらによく通っていた工藤晴香と翔馬の親戚なんですが、おわかりになりますか?」
「あらっ、しょうくんの」
女性ははっとした表情になって、口元に手を当てた。神谷の顔をまじまじと見て、「言われてみれば、工藤さんによく似てらっしゃるわ」と言った。
「はい。妹なんです」
「まぁー、そうなんですか。お二人ともお元気? 工藤さんと翔馬くん、夏頃から全然見かけなくなったから、どうされたのかと思っていたんです」
消息がわからないことが不安だったのだろう、少し安堵した様子の女性にふたりのことを告げるのは、神谷には勇気が必要だった。一度息を大きく吸い込み、
「あの、実は晴香と翔馬なんですが――亡くなったんです」
そう言うと、女性の手から如雨露が落ちた。
神谷は先ほどの女性(佐々木と名乗った)に連れられて、児童館の階段を上っていた。二階に受付があり、来訪者はそこに名前を書くことになっているらしい。神谷も自分の名前を記入し、念のために身分証も提示した。
賑やかで明るい場所だった。保護者に連れられた小さな子供たちが、プレイマットの上で思い思いに遊んでいる。
「お姉様たちのこと、本当に残念です。ご愁傷様でした」
佐々木は改めてそう言うと、丁寧に頭を下げた。神谷もお辞儀を返した。
「ありがとうございます」
「それで、それを伝えにわざわざ来てくださったのかしら」
「ええと、それもそうなんですけど――」神谷は困惑する。椿ありさのことを今尋ねるのは、あまりに唐突すぎるだろう。
晴香の撮った写真に写っていたありさのことが、神谷にはひどく気がかりだった。森宮ひかり――もしくは森宮家と、晴香たちを改めて繋ぐ接点となりそうな彼女のことを知りたい。とはいえ、怪しまれてはおしまいだ。
とっさに周囲を見渡すと、壁に絵が貼られているのに目が留まった。ここに来た子供たちが描いたのだろう。大人から見てもなかなか達者な風景画があるかと思えば、クレヨンでぐるぐると丸を描いただけのものもある。
「あの、翔馬が描いたものとか、作ったものがこちらに残っていないかと思って。できれば手元に置いておきたいものですから」
何か話のとっかかりになればと思って言うと、佐々木はうなずいた。
「翔馬くんのですね。うん、何かあったような気がするわ。今年の夏ごろの作品なら、まだとっておいたんじゃないかしら……」
佐々木はカウンターの裏に入ると、少しして画用紙の束を抱えて戻ってきた。
「裏に名前が書いてあるのよ。工藤翔馬くんね、工藤クドウ……あったわ」
渡された画用紙には、黒い丸のようなものが描かれていた。黒いクレヨンでぐるぐるとぬりつぶされ、まるで底の見えない穴のようだった。その傍らに小さく文字が書かれている。実咲には見慣れた、晴香の筆跡だった。
『ありさちゃん』
心臓が飛び跳ねた。
「これ、なんのことですか?」
文字を指さすと、佐々木は「ああ、これね」と笑った。
「これね、翔馬くんとよく遊んでくれたお姉さんの名前なのよ。翔馬くん、お絵描きが好きでしょう? だから大好きなお姉さんのお顔を描いたんだけど、何でか真っ黒に塗っちゃって。ありさちゃんはこうって聞かないのよ。子供って面白いわよねぇ。世界がどう見えてるのかしら」
佐々木は微笑んだ。
そうですか、と努めてにこやかに相槌を打ちながら、実咲は絵を持った手が震えそうになるのを堪えた。
翔馬は――確かにお絵描きが好きだった。よくクレヨンを手にして人の顔らしきものを描いていた。神谷も自分の顔を描いてもらったことがある。むろん誰が誰だかわからないような拙いものだが、ちゃんと大きな丸の中に、二つの目と口らしき丸が収まっていて、顔のようなものができていた。
その翔馬が、『ありさちゃん』の顔に関しては、あえて真っ黒に塗りつぶしている。神谷にはこの絵がひどく不吉なものに見えた。
(これ、シロさんに見てもらった方がいいかもしれない)
神谷は佐々木に礼を述べて児童館を出ると、さっそくスマートフォンを取り出した。言葉では伝わりにくいだろうと、まずは絵の写真を撮る。
志朗は画像データを見ることができない。写真を送るなら黒木だ。
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