名無しのナイナイ

神谷実咲-01

「――師匠からもらったんだから、いいでしょ。神谷さん、これが勝算です。前回はなかった秘密兵器です」

 そう言った志朗貞明しろう さだあきの顔は、視力が完全に失われているにも関わらず、神谷実咲かみや みさきの方をぴたりと向いていた。


「秘密兵器? って何なんですか?」

 神谷が尋ねると、それに被せるようにして加賀美春英かがみ はるえが大声を出した。

「ああヤダヤダ! おやめなさいよそういうことは」

「やめろって言われてもねぇ」と言いながら、志朗が包みの上に手を置く。

「しょうがないでしょ。だったら加賀美さんが手伝ってくれるんですか?」

「冗談じゃないわよ」

 加賀美は間髪入れずに答えた。

「じゃあ加賀美さん、今回はお力をお借りできないんですか?」

 神谷が尋ねると、加賀美は「そりゃ自分のとこの神社がありますもの」と事も無げに答えた。

「それにあたしだって自分の命は惜しいですからね。あれをもう一度なんて冗談じゃないわ。それじゃ、あたしはここいらで失礼しますよ」

 加賀美はぱっとソファから立ち上がり、「頑張んなさいよ」と言って、向かいに座っている志朗の肩を叩いた。

「シロさん、あんたねぇ、なんとなく厭な感じがしてるわよ」

「やめてくださいよ加賀美さん。加賀美さんのそういうの当たるんだから」

「だから言うのよ! ほんとに気をつけなさいよ。神谷さんと黒木さんもね。そうだ、うちの神社のお札あげる」

 そう言うと加賀美はバッグの中から折りたたんだ紙の束を取り出して、近くに立っていた黒木省吾くろき しょうごに押し付けるように渡した。

「それじゃ失礼するわね。全部終わったら連絡ちょうだい」

「しますよ。お世話になりました」

 志朗もソファから立ち上がると、玄関に向かう加賀美の丸い背中に向かって頭を下げた。

 神谷は玄関まで加賀美を追いかけた。彼女の姿を見失うのが不安で仕方なかった。志朗ひとりに任せておいて本当に大丈夫なのか、やはり確信が持てない。

 加賀美は靴を履いて神谷の顔を見ると、自分の娘を見るような顔で微笑んだ。

「きれいなお嬢さんが、そんなこわい顔するもんじゃないわよ」

「あの……」

「大丈夫よ。シロさんって、あんなフラフラしてる風ですけどね。お師匠さんの遺言ならちゃんと果たすひとよ」

 内緒よと前置きして、加賀美は声を落とした。「つい昨日が詠一郎えいいちろうさんのお葬式だったんだけどね、シロさん大泣きしたのよ。立ってられないくらい泣いたの」

 神谷は思わず、今しがた出てきた応接室の方を振り返った。曇りガラスのはまったドアの向こうは、今は見ることができない。

「想像つかないでしょ。でもホントよ。シロさんにとって、詠一郎さんは特別な人だったのよ」

 そう言うと、加賀美は「それじゃお元気で」と神谷の肩を叩いた。そして玄関を開け、表に出て行った。

 振り向くと、鍵を閉めにやってきたらしい志朗と鉢合わせた。

「あのオバチャン、あれでひそひそ話のつもりかいな。丸聞こえじゃ」

 志朗はそう言うと、玄関の鍵を閉めながら照れくさそうに耳を掻いた。それから神谷に声をかける。

「それじゃ神谷さん、改めてお話を伺ってもよろしいですか」


 姉と甥の死から始まり、昨日森宮歌枝を訪ねたこと、そして森宮ひかりに会ったこと、義兄からの電話――神谷は思いつくかぎりのことを、なるべく順序だてて話した。

 時折相槌や質問を挟みながら聞いていた志朗は、神谷の話が終わると巻物を広げるでもなく、しばらく黙ってなにか考え込んでいた。が、急に顔を上げると一方的にこう告げた。

「すみません。これからボクはやらなきゃならないことばかりですけん、神谷さんには一旦お引取り願います。もし用事があれば、今日か明日のうちにお願いします。ボクは明日までに仕事を少し先まで片付けないと。その後はしばらくお会いしたり連絡できなくなると思うんですが、ご承知ください」

「しばらくって、どれくらいですか?」

 驚いた神谷が尋ねると、志朗は「ちょっとわかりかねます」と首を捻った。

「一週間か十日か――もうちょっとかかるかもしれません。できるようになったら、こちらから神谷さんに連絡しますので、ご心配なく」

 そう言いながら、神谷を事務所から追い出すように帰してしまった。

 志朗のところを出た神谷には、残念ながらこれといって行くところもない。朝一でやってきたから、時刻はまだ午前中だ。せっかく県境をふたつも越えてきたのに、さっさと家に帰るにはあまりに早い。

(森宮ひかりは――まだ学校か)

 顔を見て話しておきたい気もするが、ひかりの住む街までは距離もあるし、時間も合わない。少し迷った上で、神谷は近い場所を目指すことにした。

 晴香と翔馬が生前通っていた、そして椿ありさと交流があったらしい児童館である。

 スマートフォンの地図アプリを起動し、姉の住所を手がかりにそれらしき施設を割り出した神谷は、バス停に向かって歩き出した。そのときようやく「秘密兵器とは何なのか」と聞くのを忘れたことに気づいた。

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