幕間

■■■■-03

「ずっとナイナイといっしょに押入れにいたいな」

 そう口ぐせのように言うわりには、ひかりは毎日のように部屋からいなくなる。どうしても出ていかなければならないらしい。

「学校に行かなきゃならないんだ。いやなことがいっぱいあって全然行きたくないけど、行かないとお母さんがすごく怒るの。これ以上わたしに迷惑かける気かって」

 ナイナイにはひかりが悲しんでいることがわかる。あいかわらず寄りそうことしかできないけれど、少しずつ、少しずつ自分が力を取り戻していることもわかる。

 ひかりが「ナイナイ」と名前を呼ぶからだ。

「わたしね、大きくなったら一人ぐらししたいんだ。自分でお金をかせげるようになって、この家を出て、だれにも怒られないでくらすの。そうなったら、ナイナイもいっしょに来てくれる?」

 ナイナイ自身にも、本当にそうできるかはわからない。でもできるのなら、きっとそうするだろう。ナイナイはひかりにじっとよりそいながら、それが伝わるようにと願う。たったひとこと「いっしょに行くよ」と言えたらどんなにいいだろう。

 やっぱりだれかが必要だ。

 自分の体になってくれる、ひかり以外のだれか。


「どこに出るの? おばけ」

「そこの押入れ」

「いっ」

 ある日ナイナイは、ひかりでもお母さんでもない、知らない女の子の声を聞く。

「どういうのが出るの?」

「なんか……影みたいなやつ」

 知らないだれかが、ひかりと話をしている。

 ふすまの外で、ひかりが「ナイナイ」と自分を呼ぶ。ナイナイには声がない。でも体を動かすと、ひかりには伝わったらしい。

「なにそれ、おばけの名前?」

「うん――中、見てみる?」

「うん」

 だれかが中に入ってくる。

 ナイナイはじっと待った。「じゃあ、開けるね」とひかりの声がして、光がさし込んでくる。

「なんにもないじゃん」

 知らない声がして、女の子の顔が押入れの中をのぞく。やっぱりひかりじゃない。知らない子だ。押入れの中が一瞬ぱっと光る。ナイナイはそれが何かを知らないけれど、なんとなくいやなことをされたような気がする。

「暗くないとわかんないよ。中に入って、ここを閉めないと――どうする?」

 ひかりの声がする。ナイナイは待つ。知らない女の子は「じゃあ、入ってみる」と答えて、押入れの中に全身を入れる。

「じゃあ閉めるね」

 押入れの中が暗くなった。

 ナイナイは暗闇のなかで笑う。目も鼻も口もないけれど、たしかに笑っている。このときを待っていたから。ずっとずっとずっとずっと、待っていた。

「なんにもないよ」

 ナイナイは女の子に手をのばす。

「あっ――なんかある、なにこれ」

 ナイナイはその子の顔をぱっと挟み込み、頭の中に手を入れる。そのとたん、女の子の目が飛び出しそうに開かれる。

「ぎいいぃぃぃいーーー」

 頭のてっぺんからしぼり出すみたいな悲鳴が、女の子の口から飛び出す。

「いやー! あけて! あけて! あけて! 出して! おかあさん! おかあさん!」

 どんなに女の子があばれても、その子の手はナイナイをつかむことはできない。でも、ナイナイはその子をつかむことができる。ばたばたと動くその子の全身を包むようにして、ナイナイは頭の中身を「食べ」始める。

 頭の中身を食べると、その子が何を考えているのか、ナイナイにはよくわかる。ナイナイにしか聞こえないその子の声が(なまいきなんだよ)と言っている。

(貧乏なくせに、お父さんいないくせに、友だちひとりもいないくせに、あたしのこと上から目線で見るからむかつくんだよ。あたしは勉強もスポーツもできるし、お金持ちだしパパもママもいるし、友だちもいっぱいいるし、だからあたしの方がえらいの。ひかりちゃんがあたしに逆らったのが悪いんだよ。悪いことしたら悪いことが起こるんだって、おぼえてもらわなきゃ)

 その子はひかりの机をひっくり返したことがある。ひかりの教科書を捨てたり、ノートを隠したり、ほかの子たちに無視させたりしたことがある。この子がひかりのことをきらっていたことが、ナイナイにはよくわかる。

 ナイナイは頭の中を食べながら、どんどん頭の中に入っていく。

 貧乏で、お父さんがいなくて、友だちがいないから、ひかりはきらわれてしまったのかな。そう思うとナイナイは悲しい。自分の好きなひかりが、だれかに嫌われていることが悲しくてしかたがない。ひかりもきっと悲しかっただろう。

 でも、もう大丈夫。

 もう女の子の声は聞こえなくなってしまった。

「大丈夫」

 ナイナイがそう考えると、女の子の口から声が出る。

「大丈夫、あたしが助けてあげる。貧乏でお父さんがいなくて友だちがいないの、あたしが全部なくしてあげるからね」

 そう言うとナイナイは自分のもののように手を動かして、押入れを開ける。

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