黒木省吾-04

 それから二日、志朗はひっきりなしに移動し、あるいは来客に対応して忙しく過ごした。黒木も出ずっぱりである。とはいえ志朗は午後七時には仕事を切り上げ、食事と睡眠はきちんととっているらしい。

「ここで体調崩したら負けるからね。ボクこの仕事が終わったら痛飲するんじゃ」

「それ死亡フラグじゃないですか?」

「黒木くん折っといて」

「無茶ですよ」

 神谷からも連絡があった。さっそくひかりに電話をして、椿ありさのことを尋ねたのだという。「椿さんのことを相談できる専門家がいる」と説明すると、ひかりは喜んだそうだ。

『色々話してもらっちゃいました。椿さん、ひかりさんに会ったのは小学四年生のときらしいんですけど、最初は彼女のことをいじめてたそうなんです』

 スマートフォンのスピーカーから流れる神谷の声を聞いたとき、黒木は意外に思った。例の「厭な感じ」はともかく、写真に写るふたりは、仲のいい友だち同士にしか見えなかったからだ。

『それが急に様子が変わって、ひかりさんにべったりになったらしいんですよ。そのきっかけっていうのが変な話なんですけど……』

 神谷が語る奇妙な話を、志朗はじっと黙って聞いていた。黒木も口を挟むことはなかった。まるで本か映画の話を聞いているようだと思った。神谷の語る話が、今自分がいる場所と地続きのところで起こっていたということが、にわかには信じられない。

『ひかりさんはずっと、椿さんに入っているもののことを「ナイナイ」って呼んでて――私に何度も謝るんです。ナイナイがごめんなさいって。その、シロさん。私すごくおかしなことをお聞きしてもいいですか?』

「じゃあ、どうぞ」

『その……ナイナイを無力化して、ひかりさんのところに戻してあげることって、できませんか?』

 志朗はきっぱりと「できません」と答えた。

「一般家庭で猛獣を飼うようなもん……というか、それよりも無茶でしょうね。きょうはよくないものの塊だし、話を聞く限りナイナイはだんだん力を増している。それでいて人間の倫理を理解することはできないんです。いくら森宮ひかりが『責任もって飼うから』と言ったかて、無理なものは無理です。だいたい神谷さん、ボクの片棒担いでくださるんでしょ? 今更何を仰るんですか」

 電話の向こうで神谷は押し黙り、少しして『そうですよね』と静かな返事が聞こえた。


 日曜日の夜、志朗は事務所から出ていく黒木に「全部終わったらボクから連絡するから、よろしく」と告げた。

「志朗さん、これから何するんですか?」

「言うてなかったっけ? 『秘密兵器』を作るって。集中したいからスマホ触らないし、インターホンも切るよ」

「作るんですか? 秘密兵器」

「そう。万が一キミから情報が洩れると困るから、細かいことはまだ内緒だけど」

 事務所を出た黒木は神谷に一報を入れた。『結局秘密兵器って秘密のままなんですか』と返事があった。

(そういえば加賀美さん、ずいぶんいやだいやだって言ってたな)

 夜道を歩きながら、黒木は加賀美の小柄な姿を思い出した。ふと振り返ると、マンションの志朗の部屋の明かりはすでに消え、真っ暗になっていた。

 あの部屋の電灯は、黒木や客人のためだけにあるのだということを、黒木は改めて思い出した。志朗に明かりは必要ないのだ。


・・・・・・


 それから十日間、志朗からの連絡はすっぱりと途絶えた。

 黒木にとっては思いがけない休暇だが、とても楽しむような気分ではない。ようやく志朗から黒木に電話がかかってきたのは、十日後の夜のことだった。ひどく疲れた様子だった。

『何でもいいから飯買ってきて。黒木くんの三人分くらい』

 黒木は、近くのコンビニで言われたとおりに食品を買い込み、志朗の部屋に向かった。

「電話の声、やばかったですよ。志朗さん」

「でしょう。ボク疲れると喉にくるからね」

 志朗が玄関のドアを開けた途端、黒木はみたびあの「厭な感じ」に襲われた。神谷に会ったときよりも、もっと強い感覚だった。得体の知れない虫が背中を這っているような、ぞわぞわとした感じが押し寄せてくる。

「黒木くん、中入ってくれる?」

「はぁ……」

「大丈夫だから」 

 渋る黒木を部屋の中に招き入れ、ドアを閉めた志朗は「なんか厭な感じするでしょ」と言った。

「まぁ……します」

「きょうがいるからね。この部屋」

 そう言いながら志朗は灯りを点けた。

 電灯が煌々と室内を照らし出す。にも関わらず、黒木は何かが暗がりに潜んでいるような気配を感じていた。

「ボクが作った」

 志朗の吐き捨てるような声がした。「強いもんには強いもんをぶつけるって、前に言ったでしょ。だからお師匠さんの骨を使って、きょうを作った」

 あのとき「秘密兵器だ」と言って机の上に載せた風呂敷包みの中身が、森宮詠一郎の遺骨だったということを、黒木はこのとき初めて知った。

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