黒木省吾-06
『寝過ごした――黒木くん、また車出してくれる?』
志朗から黒木に電話があったのは、木曜日の午後二時過ぎだった。
「わかりました。今度はどこに行くんですか?」
『椿ありさが住んでる街に行きたい』
いよいよ来た。黒木は思わず唾を飲んだ。
マンションの入り口に立っていた志朗は、長さのあるボディバッグの他に、大きなナイロンのバッグを肩から提げていた。生地が丸く膨らんでいる。きょうの入った骨壺だ、と黒木は直感した。それを裏付けるかのように、志朗が近づくとまたあの厭な感じが漂ってきた。
「神谷さんに手伝ってもらわなくていいんですか? 今日から何日か休暇取ったって言ってましたけど」
「あの人やる気あるね……まぁでも、きょうを使っておびき出せると思う。協力させずに済むならその方がいいだろうし」
志朗は後部座席に座ると、バッグを膝の上に置いた。
車は椿ありさや森宮歌枝、ひかりたちが暮らす街へと走った。口数は少ない。志朗が何を考えているのか、黒木にはわからない。
目的の街に入り、少し走ったところで、志朗が「ちょっと停めて」と言った。
「今すごいのが通った。きょうの塊みたいになってるのが」
左手に続く緑の遊歩道は公園に続くらしい。入り口に車を停めさせると、志朗は早足で中に入っていく。
「ひとりで大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫。黒木くんまで来ると、さすがに目立つから」
神谷に言われたことが気になるのだろう。正直、黒木にも実感がある。自分と志朗のコンビは悪目立ちするのだ。あまりに遅かったら追いかけようと決めて、黒木は路肩に車を停めた。
志朗がバッグを肩にかけて出て行く。厭な気配が遠ざかり、車内の空気が軽くなった。志朗は遊歩道の入り口あたりで少し立ち止まり、白杖で路面を何度か叩いた後で足早に歩き始めた。とても目が見えていないとは思えない速さで遠ざかっていく。
しばらく静観することにして、黒木は窓の外を眺めた。静かで、のどかな街だと思った。
しばらく待つと志朗が戻ってきた。
「さっきの、椿ありさと同じ中学校の子だった。たまたま写真持っててよかった」
ふたたび車に乗り込んできた志朗は、なんとなくほっとしたような表情をしていた。
「彼女、神谷さんがつけてたきょうの気配と同じ気配がしてたね。元々影響があったところに、自殺騒ぎのせいでマイナス思考になって、さらに小さいきょうが集まってた。ああいうの寄ってくるからね……もう他の同級生なんかにも影響が出てるのと違うかな。また自殺者が出ても寝覚めが悪いし、早めに片付けましょう」
近隣ではその公園が周りに遮蔽物が少なく、見晴らしもいいらしい。加えて人気も少なく、志朗は「じゃあここで『よむ』か」と決めた。
近くのコインパーキングに車を停めると、二人は遊歩道を歩いて公園に向かった。上り坂は若干傾斜がきつく、加えて今の時期は風が冷たい。この公園に人気がないのもうなずけると黒木は思った。
「荷物持ちましょうか?」
「いや、大丈夫」
五分ほど歩くと、ようやく開けた場所に出た。離れたところに滑り台とブランコが並んでいるが、それを使う子供の姿はない。他にはベンチがいくつかと、東屋があるだけだった。
東屋には木のテーブルと、二人がけのベンチがふたつ設置されている。テーブルの上に載っていた落ち葉を落とし、ウェットティッシュで上を拭くと、志朗はボディバッグから取り出した巻物をそこに広げた。
「じゃあ、やるか」
志朗はそう言うと、両手を巻物の上に掲げて「よみ」始めた。
黒木は遊歩道の方を確認したが、相変わらず人の姿はない。志朗の手が巻物の上を泳ぐように動く。
「――強いな?」
ふいに志朗が呟いた。
「何でこんな強くなった? 左腕一本のはずなのにこいつ……誰なん?」
冷たい風が吹いた。
志朗が手慣れた手つきで巻物を巻き、テーブルの端によせた。
「――よんだ。やっぱり椿ありさで間違いない。でっかいクマじゃ。ボクがよんだのも気づかれた。こっちに来ると思う。ただ……」
黒木は自分の鼓動が速くなっているのに気づいた。志朗は何かぶつぶつ言いながらナイロンのバッグをテーブルに乗せ、中身を取り出した。黒木が思っていたとおり、中身は森宮詠一郎の骨壺だった。
「あの、志朗さん、どうしました?」
黒木は焦ったような志朗の様子が気になって仕方がない。志朗がぐっと唇を噛む。
「何であれ気づかれたんなら開戦じゃ。それじゃ師匠、削ってきてくださいよ」
そう言って、志朗が壺の蓋を開けた。
その時ほんの一瞬、黒木は真っ黒な人影がその場に現れたのを見た。
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