二学期-04

 学校の裏手に高台の公園があって、景色はきれいだけど、あまりに坂がきついのでほとんど人がいない。それを知っていて、たった一人でやってきてしまった。

 高いところから見る夕暮れの空はきれいだった。風が冷たい。いつの間にか秋が終わりかけている。

 私のカバンの中には、途中にあるホームセンターで買った梱包用の丈夫な紐が入っている。昔おてんばだったおかげで、今でも木登りはけっこう得意だ。適当な枝にのぼって紐を括りつけ、そこから飛び降りたら首ぐらい吊れるだろう。たぶん。

 学校も家も、転校生のことがあったのでピリピリしている。その点この公園ならめったに人がこない。誰かに見つかって、自殺を途中で止められるなんてことはないと思う。それに街からちょっと離れているのもいい。ひかりに見られずに死ぬことができる。

 私が死んだら、ひかりはまたいやな気持ちになるかもしれない。でも、死んでしまえばこれ以上迷惑をかけることはないし、ひかりは優しいから、きっといつか許してくれると思う。

 ひかりには悪いと思うけれど、今がすごく辛いのだ。ひかりにも会えなくて、おまけになんの役にも立てない、迷惑なままで生きているのが、どうしようもなく辛い。

 私は遊歩道をそれて、木立の中に入ろうとした。

「ちょっと!」

 そのとき、だれかが私に声をかけた。

「あのー、キミ! ごめんね! ちょっといい!?」

 そう言いながら近づいてきた男のひとは、絶対に私の知らないひとだった。私の親よりも若そうなのに白髪頭だし、白杖を持って両目を閉じている。こんなに特徴のあるひとに会っていれば、さすがに覚えているはずだ。

 びっくりしたので、死のうとしていた気持ちが、ちょっとの間頭から飛んでいってしまった。

「えーと、私ですか?」

「そうそう。ちょっとすみません」

 白杖を持ってるし、両目をがっつり閉じているしで、全然目が見えないはずのその男のひとは、でもちゃんと見えているみたいにこっちにどんどん近づいてくる。変質者かな。いやだな……たった今まで死のうとしていたのに、こういうときはこわがってしまうし、身構えてしまうのが不思議だ。

「ちょっと鍵を落としちゃってね。この辺りにあると思うんだけど、探すの手伝ってもらえませんか? このくらいの、カードキーなんだけど」

 ニコニコしながらそう言われて、身構えていた体から力が抜けた。そうか、目が見えないから自分では見つけられないんだ。なんとなくだけど悪いひとではなさそうだし、最悪、走って逃げたら振り切れると思う。目が見えないのがお芝居だったら詰むけど……でも、どうせ死ぬつもりだったんだしどうなってもいいか。それより早くここから帰ってもらわないと困る。

「いいですよ」

「悪いねー。たぶんここからあの辺だと思うんだけど」

 男のひとに言われたあたりを探すと、カードキーはすぐに見つかった。

「これですか?」

 手に持って差し出すと、男のひとの指先は、二回ほど空を切ってからそれにさわった。

「ああ、これこれ! ありがとう」

 カードキーの端をつまんで受け取る。ああよかった、と他人事だけど私もほっとする。そのときそのひとが突然、

「動くな」

 と言った。

 そう言っただけなのに、急に体が動かなくなった。何というか、私自身が動けないというよりは、持っていた荷物が急に重くなって身動きがとれない、みたいな感じがする。

 男のひとはのんびりとカードキーをコートのポケットにしまって、空になった右手をこちらに伸ばしてくる。

「あの」

「動くな、はい動かない、そのままそのまま、動かないで、そのまま、動くな」

 なんとかしぼり出した私の声にかぶせるように、その人はぶつぶつとくり返す。指の長い大きな手が私の左肩にふれる。静電気のような、ぱちん! という痛みが一瞬走った。そのひとはポンポンと私の肩をはらった。それからゴミでも取るみたいに何かをつまみあげて、その辺にポイッと捨てる。何度も、何度もそれを繰り返す。

 いつの間にか私は、その男のひとのことがこわくなくなっていた。ただ珍しいものでも見るみたいに、そのひとが私の肩からなにかを取っては捨てるのを眺めていた。

「はい、よし」

 そう言われて最後にポンッと肩を叩かれた。

 どういうわけか、ここ何日か沈んでいたのがうそみたいに、すっきりした気分になっていた。

「あの、ありがとうございました」

 なぜかお礼を言ってしまった。自分でも変だなと思ったけれど、男のひとはそれが普通のことみたいに「どういたしまして」とあっさり答えた。

「あの……今何してくれたんですか?」

 もうちょっとマシな聞き方があったような気がする……でも敬語とかとっさに出てこないし、男のひともそんなことは気にしてないみたいで、

「簡単にいうと、よくないものがついていたので取ったんです」

 と教えてくれた。ものすごく簡単だった。

「よくないものに影響を受けていると、それにつられて別のよくないものも寄ってくるんですよ。ゴミにハエがたかってくるみたいな感じでね……まだゴミ自体の撤去が終わってないから、これは応急処置だけどね。ところでお嬢さん、学生さん? ずいぶん若い子みたいなんで」

 制服姿だからすぐにわかりそうなものだけど――と思ってから、そうか、このひと私の制服が見えないんだと気付いた。

「あっ、はい。中学生です」

「じゃあ、もしかして藤見が丘中の生徒さん?」

 男のひとはコートのポケットを探って、一枚の写真を取り出した。

「もしかしてこの子たち、キミの友だちだったりしない?」

 写真に写っていたのは、どちらも知っている顔だった。ありさとひかり――椿さんと森宮さんだ。


・・・・・・


 しばらくして男のひとと別れると、私は公園の遊歩道を街の方に向かって歩き出した。

 その頃にはもう、どうして死のうとまで思いつめていたのか、全然わからなくなっていた。

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