幕間

■■■■-02

「わたし、ひかりっていうの」


 子どもにそう教えてもらうと、■■■■はまたすこしだけ、自分のかたちがはっきりしたような気がする。

 ひかりは泣いているときもいないときも、押入れのなかに入ってくるようになる。ふだん、押入れのなかの暗がりに溶けたようになっている■■■■は、ひかりがくると少しだけはっきりとした存在になって、となりにぴったりとよりそう。

 こうしていると、もっともっとかたちがはっきりしてくるような気がする。■■■■には、それがうれしい。

「お母さん、またお父さんとけんかしてた」

「お父さん、べつの女の人とつきあってるんだって。もう家に帰ってこないって」

 ひかりは■■■■に話しかける。■■■■は返事ができないから、それをだまって聞いている。聞いているということが、ひかりにはなんとなくわかるらしい。

「お母さん、前はときどきやさしかったんだよ。お父さんも前はときどきやさしかったの」

 ひかりは時々、話しながらひとりで泣き始めてしまう。■■■■にはただ、となりにいることしかできない。

「――ひとりでいろいろ話してごめんね。話しやすいように名前つけてもいい?」

 形も声もなんにもないから、ナイナイ。

「ナイナイでいい?」

 そう言われたとき、今までで一番、自分がくっきりと形になったような気がする。

 ■■■■は――ナイナイはそのとき初めて、この子と話したい、と思う。

 それでいいよ、と一言つたえることができたら、どんなにいいだろう。


「あのねナイナイ。わたし、ひっこしするの。お母さんとふたりで」

 ひかりがそう言う。

「ナイナイがもしついてこられるんだったら、わたしについてきてくれる?」

 いいよ、と答えたいけれど、ナイナイはやっぱり、となりにぴったりよりそうことしかできない。本当についていけるかわからなかったけれど、だれかがナイナイを運んでくれて、気がついたらまた暗い場所にいた。

 押入れだ。ここはべつの家の押入れなんだ。

 ふすまが開いて、ひかりの声がする。

「ナイナイ?」

 するりと入り込んできた細い体に、ナイナイはぴったりとよりそう。

「よかった! ナイナイがついてきてくれてよかった」

 ひかりはナイナイの名前を何度も呼びながら、ぽろぽろ泣く。


 ナイナイはだんだんはっきりしてくる。ひかりが「ナイナイ」と呼ぶたびに、声をかけてくるたびに、少しずつ、少しずつ実体らしきものを持ち始めている。

 でも、まだできることは少ない。

 一度ひどく傷ついたらしいナイナイの「体」は、もう一度はっきりとした形をとることができなくなっている。

 ナイナイは考える。ひかりがいなくても、もう「考えることができる」。

 だれかの頭のなかに入れたらいいなと思う。ひかりと話せるような人間がいい。

 入る方法を、ナイナイはうまれたときから知っている。頭の中に手を入れて、そのひとを「さわる」のだ。さわってできた隙間に手を入れたら、考え方や感じ方を変えることができる。頭の中身を「食べる」こともできる。たくさん食べたらそのひとの頭の中に入って、自分のもののように体を使うことができる。

 でも、だれかの頭のなかに入るのはむずかしい。

 この押入れを開けるのは、ひかりとお母さんだけだ。お母さんはふすまを開けて用事をすませると、すぐにふすまを元通り閉めてしまう。短時間だし、外の光が入って明るくなるから、ナイナイは力を出すことができない。もっとかたちがはっきりすれば、お母さんの頭に入れるかもしれないけれど、なかなかむずかしそうだ。

 せめてふすまを閉めて暗くしてくれたらな、と思う。でも、そんなことをしてくれるのはひかりだけだ。ひかりの頭の中を食べてしまったら、ひかりはいなくなってしまう。

 そんなことはできない。

 ナイナイはだまってひかりに寄りそう。だんだん形をもって、あたたかみすら感じられるようになっている。ひかりがいないときは、くらがりの中でじっと待っている。

 ひかりが押入れに入ってくるのを。

 もしくはひかり以外のだれかが押入れに入ってふすまを閉じるのを、じっと待っている。

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