志朗貞明
過去-01
当時高校生だった志朗は、高校までの距離を原付で片道およそ三十分ほどかけて通っていた。森宮家はその途中にあり、特に歌枝は美人で評判だったからいやでも目に入る。門の外に出てポストを開けている姿を、キレイな人じゃなぁと思いながらいつものように通り過ぎたところ、横合いから突然トラックが突っ込んできた。
次に気がついたときには、辺りが真っ暗になっていた。何かで両目を覆われているようだ。「暗いな」と呟くと、近くでわっと声が上がった。両親と兄姉の声だった。
医師の話によると、外傷のため両目は摘出、つまり志朗の視力は完全に失われており、今後回復する見込みはないという。幸いほかに重篤な怪我はない、命に別状がなくてよかったと言われても慰めにはならない。それどころかまず、気持ちがまったくついていかない。いや急に言われても理解不能なんですけど、と言って志朗は医者と家族の前でけらけらと笑った。
絶望はそれから数時間かけて、ゆっくりと襲ってきた。面会時間が終わり、病室にひとりきりになってから、志朗は何度も自問自答した。
(これ、この先どうするん? 自分)
答えはすぐには出ない。気持ちがどん底まで沈んで、何もかもがひどく億劫だった。
(目が見えなくなったからって人生終わったわけじゃない)と、心の中で自分に言い聞かせてみる。実際、全盲でも自力で生活している人はいるだろう。だから何もかも詰んだわけではない。と心の中で主張してはみても、全然気持ちがついていかないのだ。なにせほんの昨日までは視力に多くを頼って生きていたのだから。
ベッドに寝たまま「えらいことになったな」とぼやいた声も、何だか自分のものではないように聞こえた。
時間もわからなかった。そのときは廊下から足音と、「消灯ですよ」という女性の声が聞こえたから、夜も遅いのだろうと見当をつけた。誰かが病室をノックした。何も返さずにいるとガラガラと(おそらく横開きなのだろう)扉が開いて、少ししてまた閉まった。看護師が見回りにきたらしい、と思った。
志朗は人間が好きだ。家族や友人はもちろん、知らない人も基本的には嫌いではない。他人に話しかけられたら嬉しいし、むしろ機会があれば話しかけにいく方だ。それでも今は、人と話すのがしんどい。考えることがたくさんあるはずなのに、何一つ手につかなくて、何だか頭の中が忙しいなという感覚があって、それで他人とのコミュニケーションがしんどくなってしまう。
(これからあと何年人生あるんだっけ。平均寿命って八十超えてたっけ?)
その人生を何とかやっていかなければならない。その手立てだってきっとあるはずだ。でも今は何もしたくない。そのうち投与された薬のせいか、猛烈な眠気が押し寄せてきた。
昔から夢はカラーで見る。そのときも志朗はフルカラーの夢を見ていた。
夢の中で志朗は、ポストの中を検める森宮歌枝のすらりとした姿を横目で見ながら、原付でその横を通り過ぎた。そのまま何事もなく登校し、下駄箱に手を入れようとして、それが自分の場所ではないことに気づいた。どこを探しても自分の下駄箱が見つからず、いつの間にか昇降口がとてつもなく広くなっている。列をなす下駄箱のどこを見ても自分の場所は見つからなかった。
目が覚めた。じっとりと汗をかいた背中が冷たかった。
誰かが志朗を見下ろしていた。色の薄い影のような
と考えて、志朗は自分の視力が失われていることを、ようやく思い出した。
だが、確かにその影のようなシルエットは、真っ暗な視界の中でなお「見えている」。見えるとしか言いようがないものだった。
それは志朗を見ながら嗤っていた。顔もわからないのに、なぜか嗤っているということがわかった。何もしゃべらないのに、悪意がこぼれだすような笑みだった。志朗は目を閉じようとし、そしてそれらがすでに閉じられていることに気づいた。
(見たくない)
そう思った瞬間、心の中を読んだかのように、歪な笑みを浮かべたものが、ぐいと顔を近づけてきた。意識が途切れた。
次に目を覚ましたときには、「それ」はいなくなっていた。
廊下には人の気配が満ち、「おはようございます」と挨拶を交わす声が聞こえた。志朗は夜が明けたのだと知った。
頭の芯が痛んだ。
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