晩秋-05
気が済むまで涙を流すと、ようやく気持ちが落ち着いてきた。それと同時に私の中に湧き上がってきたのは、森宮ひかりに対する恐怖心だった。
いくら義兄がどうしようもない人間でも、やっぱりあれはおかしい。彼だって人前では好人物を装うくらいの常識は持ち合わせていたはずだし、再婚するならするでもう少しやり方があるだろう。あれではいくらなんでも様子が変だ。
森宮ひかり。
奇妙な気持ちだった。晴香と翔馬の心中の影に誰かがいるとすれば、それはおそらく森宮歌枝だったはずだ。なのにあらゆる物事は彼女ではなく、ひかりを中心に回っている気がしてならない。
森宮ひかりは確かにかわいい子だったけれど、普通の女の子だったと思う。義兄は「あの子のことを好きになったでしょ」と決めつけていたけれど、少なくとも私はまだ、彼女のことを好きでも嫌いでもない。
私は今日持っていたバッグの中から、森宮ひかりにもらった写真を取り出した。紺色のブレザーを着た彼女が、椿ありさという女の子とふたりで並んで写っている。
改めて見ると、確かにひかりは顔立ちの整ったきれいな子ではあるけれど、どこか影がある。こうして写真を撮られることも、いまいち慣れていない感じがする。
でも、やっぱり普通の女の子だ。私が単純なだけかもしれないけれど、見た限り「事件の黒幕」という雰囲気ではない。
(わたしのこと、嫌いですよね)
彼女にそう言われたときの声を思い出す。必死に訴えるような声だった。どうしてこの子は「自分のことを嫌いな人」を探していたのだろう? そんな相手、あえて会いたくもないだろうに。なのに、どうしてあんなに一所懸命私を追いかけてきたのだろう。
私は写真を眺める視線を、森宮ひかりから椿ありさの方へと移す。
この子もきれいな子だ。華やかでぱっと目立つ。こうして並んでいると、ひかりとは全然タイプが違う気がする。
森宮ひかりは、どうして彼女を避けてほしいと私に頼んだのだろう? 私は本当は、椿ありさに会うべきなのだろうか? それともひかりとの約束を守って、会わずにいるべきなのだろうか?
(どうしよう。こんなこと相談できる人いないよね……)
頭を抱えていると、私のことを心配しているらしいコウメが、足元でキューンと鳴いた。こんな話を屈託なくできる相手はこの子くらいだ。アドバイスは一切期待できないが。
「そうだ」
私はバッグから、森宮ひかりの連絡先が書かれたメモを取り出した。何であれ、この番号をちゃんと控えておかなければ。いずれ連絡すると約束したのに、あれこれ考えていたせいで、登録するのをすっかり忘れてしまった。
連絡先の登録を終えたとき、またスマートフォンが電話の着信を告げた。今日はよく電話がかかってくる日だ。
画面には「シロさん事務所の黒木さん」とある。
「あっ」
確かにシロさんの助手の黒木さんとは、連絡先を交換してある。でも、シロさんはもう私の件に関わらないはずではなかっただろうか? 疑問に思いながらも電話に出てみると、いつだったか聞いた低い声が『もしもし、神谷さんですか?』と呼びかけてきた。
「はい、神谷です。ご無沙汰してます」
『夜分に突然すみません。その……』
電話の向こうの黒木さんも、何だか慌てているように思える。
『夏に神谷さんがいらした件ですが、その、志朗がお話を聞きたいと申しております』
「はい?」
驚いてスマートフォンを取り落しそうになった。あの取り付く島もなかったシロさんが? 今更どうして?
『本当に急で申し訳ありません、神谷さん。ええと、色々ありまして……できればご都合のいい時に、事務所までいらしていただけませんか? 遠いところ申し訳ないのですが……』
いちいち謝ろうとする黒木さんを制して、私は「明日行ってもいいですか?」と尋ねた。明日も平日だけど、まだ有給休暇は残っている。職場には悪いけれど格別忙しいというわけでもなし、何とかもう一日休むことができるだろう。第一、出勤しても気になって仕事になりそうにない。
電話を切ると、興奮で手が震えていた。このタイミングで黒木さんから連絡があったということ自体、私には意味がある気がした。たとえこれがまったくの偶然だったとしても――いや、それだけに何か運命的なものを感じる。
行かなければ。もう一度、シロさんのところへ。
翌日、再び県境をふたつ越え、今度は昨日とは別の電車に揺られて、私はシロさんの事務所を訪れた。オートロックを解除してもらい、エレベーターで部屋のある階へと向かう。
「お待ちしていました」
そう言いながら出てきた黒木さんは、以前と変わらず強面の巨漢だった。
「呼び出しておいてすみません、ちょっと今取り込んでまして……」
そう言って頭を掻く。見かけによらず遠慮がちなところも変わらない。その背後から「まったく、おばちゃんは情けないよ!」という、聞き覚えのある女性の声がした。
「あれ、加賀美さん?」
私がそう呟くと、黒木さんは決まり悪そうに「はぁ」と言ってうなずいた。
応接セットのソファには、相変わらず普通のおばさんにしか見えない加賀美さんと、白髪頭で両目を閉じたシロさんが、テーブルを挟んで向い合せに座っていた。シロさんはしょんぼりと俯き、反対に加賀美さんは腕組みをしてそっくり返っている。
「そんなことで詠一郎さんのとこを飛び出したなんてアンタ、バカだねぇほんとに……」
どうやら加賀美さんに叱られているらしいシロさんは、「はい」「おっしゃるとおりです」などと言いながら、ペコペコ頭を下げている。
「あたしゃ何と言ってやったらいいのか……あらっ、神谷さん!」
加賀美さんが私に気づいて声をかけてきた。
「あなたもダメよ、この人を信用しちゃ! しょうもない男なんだから!」
「はぁ……?」
せっかく訪ねてきた霊能者を、ほかの霊能者に「信用するな」と言われてしまった……ここに来たのは果たして正解だったのか? 私は無性にコウメが恋しくなった。
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