幕間
■■■■-01
■■■■はドアの前に立っている。
ドアは施錠されている。■■■■は鉄製のドアをすり抜け、室内に入る。
狭い玄関、その向こうに廊下が続いている。三和土には靴が二足並べられている。下駄箱の上には塩を盛った皿が置かれている。■■■■がその前を通ると、三角錐の形に盛られた塩は頂点から黒く変色してぐずぐずと溶ける。
短い廊下の向こうにはまたドアがある。■■■■はそのドアもすり抜ける。黒い影が一瞬磨りガラスに映る。
ドアの向こうは十畳ほどのリビングになっている。テレビと向い合せになったソファに座って、女が誰かに電話をかけている。厚手のニットの下の腹は大きく膨らみ、妊娠していることが一目でわかる。
「本当なんだって。誰もいないはずなのに、何かがいるの。何か……子供みたいな、影みたいな何かが来るの。もうおかしくなりそう」
■■■■は女の背後に立つ。彼女はその存在に気づかない。気づかれるときとそうでないときがあって、今は「そうでないとき」なのだ。
「だから、カウンセリングとかそういうものじゃどうにもならないの! 実咲も思ってるんでしょ、私がノイローゼか何かだって……」
女は話し続ける。■■■■は何も言わない。黙って彼女の頭に触れ、その中に手を潜り込ませる。
物理的になにか影響があるわけではない。だがこれがやるべきことなのだと■■■■は知っている。黒い影が凝ったような手を動かし、■■■■は頭の中をかき混ぜる。
壁に貼られたどこかの神社の札が、風もないのに突然はためいて落ちる。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
■■■■はどこか暗い場所にいる。
だれかのところに行かなければならないと思うのだけど、どうしても思い出せないし、なぜか動くこともできない。
前ははっきりと見えていた道しるべのようなものが、今は見えない。前はその「だれか」にちゃんと近づいていたはずなのに、何かに突然さえぎられて、体をぼろぼろに壊されて、気がついたらこの、なんだかわからない暗いところにいる。
そのうち形を保つのもむずかしくなって、■■■■は闇の中にとろりと溶ける。
時間が過ぎていく。そのうち、■■■■はあの女のことも忘れてしまう。自分が何ものだったのかも忘れてしまう。
闇の中に溶けたまま、半分は眠っている。もう半分は辺りの音を聞いている。女の金切り声がする。なぜかとてもなじみのある声だ。子どもの泣き声も聞こえる。
なぜここに返ってきたのだろう。おそらくだれかにむりやり返されたのだ。でもそれがだれなのか、どうしたらいいのか、■■■■にはわからない。
■■■■はそのうち考えることもやめてしまう。だれも自分を見ないし、聞かないし、さわらない。自分がだんだん薄くなっていくのがわかる。
■■■■はとろとろと暗がりでねむる。
子どもの泣く声がする。
おし殺したようなすすり泣きが、すぐ近くできこえる。
なぜかなつかしい気持ちになって、■■■■は泣き声の方にそろそろとうごく。なにかがそこにいる。くらがりの中で身をよせると、びくりとふるえる気配がする。
「だれかいるの?」
おどろいたような子どもの声がする。
■■■■はすこしだけ、ほんのすこしだけ、自分のかたちがはっきりしたような気がする。
子どもによりそって、■■■■はまた、暗いところでねむる。
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