晩秋-03
森宮家を辞した後、私はタクシーを呼ぶのも億劫になり、とぼとぼと歩いて駅の方向に向かった。
結局重要なことは何も切り出せなかった。こんなことになるなんて情けない――姉や甥に顔向けできない気分だった。森宮歌枝の様子にすっかり驚いてしまったし、くらった肩透かしがあまりに大きすぎた。何よりあのいたいけな森宮ひかりの前で、母親を糾弾することなどできない。
自分の無力さに呆れながら歩いていると、後ろから足音が近づいてきていることに気づいた。
「神谷さん!」
振り返ると、森宮ひかりが走ってきていた。まだ制服を着たままだ。よほど急いで追いかけてきたのだろう、肩で息をしている。
「あの、神谷さんって、父の親戚なんですよね」
睨みつけるような真剣な眼差しだった。私は警戒しながら「そうだけど」と答えた。
「父の親戚っていうか、父の新しい奥さんの親戚ですよね? 神谷さん、知らないひとだから」
「ええ……」
「だったら、わたしのこと嫌いですよね」
「はい?」
嫌い――なのだろうか。正直に言えば、ひかりのことは好きでも嫌いでもない。姉たちを死なせたかもしれない森宮歌枝の娘であることを考えれば、なるほど嫌いと言った方が正しいのかもしれない。とはいえ、呪いを実行した張本人でもないのに、会ったばかりの彼女を憎むことは難しい。
なぜこの子はこんなことを尋ねるのだろう?
「ひかりさんのことは別に嫌いではないけど……あの、どうかした?」
「でも、好きではないですよね?」
「まぁ、会ったばかりですし」
「じゃあ、たまに連絡させてください!」
真剣な眼差しのまま、ひかりは私にそう言った。その後「あっ」と言って口をふさぎ、
「すみません、連絡先聞かれるのとかイヤですよね。ほんとに悪いんですけど、わたしに電話かけてもらえませんか? わたしスマホとか持ってないから家の電話なんですけど。すみません、メールとかもなかなか見られなくって。パソコンは母のだから……あの、とにかくおねがいします!」
まくしたてると、ひかりは深く頭を下げた。
「わたしのことが好きなひとだとダメなんです。おねがいします。あとごめんなさい、もう一個頼みがあって……」
困惑している私を放っておいて、ひかりはブレザーのポケットから一枚の写真を取り出した。ひかりと、彼女と同じ制服を着た女の子が並んで写っている。この子もかわいい。おしゃれで華やかな美少女だ。それだけでなく、なんとなく人を惹きつけるところがある。
「この子、椿ありさって言うんです。この子と関わらないようにしてください」
「はい?」
「この子と会ったり、しゃべったりしないでください」
また「おねがいします!」と言って頭を下げる。
「関わらないで」も何も、椿ありさなんて子はまったく知らない子だ。私はいったい何をお願いされているんだろう? でも、私を見上げた森宮ひかりの目はやっぱり真剣そのものに見える。
ええい、この子の前でつらつら考えても仕方がない。私はもって回ったことが嫌いだ。
「わかった。この子と会ったり、しゃべったりなければいいんだよね。了解です」
「あ、ありがとうございます!」
ひかりはまた頭を下げた。
誰かに知られるとまずいからと言って、ひかりはまた来た方向に走り去っていった。私はぽかんとしてその後ろ姿を見送った。それから道端で、さっきの写真を改めて眺めた。
ふと、椿ありさの顔の上で視線が止まった。何だろう、なんだかモヤモヤする。
私は彼女を知っている。そんな気がする。
歩きながら考えた。元々私は、人の顔を覚えるのが得意な方だ。椿ありさは美形で目立つ女の子だから、もしかするとモデルやタレントの仕事をしていて、それで見覚えがあるのかもしれない――
そう仮説を立ててはみたが、いまいちしっくりこなかった。歩いているうちにいつの間にか駅前まで来てしまい、私はスッキリしないまま電車に乗り込んだ。
平日の帰宅ラッシュ前だから、車内は空いている。シートに腰かけた私は、何の気なしに自分のスマートフォンを取り出した。さっき受け取ったひかりの連絡先を登録しておかなければ。
待ち受け画面は翔馬の写真のままだ。見るたびに胸が苦しくなるけれど、この顔を忘れてしまうのが怖かった。幼児用のすべり台の上で無邪気に笑っている。自宅ではない。児童館だ。
児童館。
その言葉を思い出した途端、頭の中にかかっていた靄が晴れていくような気がした。私はスマホの画面を食い入るように見つめながら、晴香から送られてきた写真をくまなくチェックした。
私が翔馬の写真をSNSにアップしたり、知人に送ったりしないのを知っていたせいで、晴香から送られてきた翔馬の写真には、よその子が無加工のまま写り込んでいるものも多い。翔馬と年の近いお友だちもいれば、児童館で会う年上の子たちもいる……。
「あった」
やっぱり、やけに目を惹く子だから記憶に残っていたのだ。
画面にはジグソーパズルをする翔馬と、それを手伝っていたらしい女の子が表示されていた。ばっちりカメラ目線で微笑んでいる女の子は、ひかりに手渡された写真の子と、おそらく同一人物だ。
椿ありさ。
ひかりに「関わるな」と言われた、まさにその女の子と、晴香は会ったことがあるのだ。
私は自分の手が震えていることに気づく。
理屈ではない。ただ、何か怖ろしい獣の尻尾を踏んでいたことに気づいたような、そんな感じがした。
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