一学期-06
卓球部が活動するフロアを清掃するのは一年生の役目だ。作業を終えると下校時刻ギリギリになっていて、私たちは「またね」とか言いながら手をふって別れる。同じ方向に帰る子はたまたま休みで、私はひとりで校庭を突っ切って校門へと急いだ。
夕方といってももう日が長いから、全然危険な感じはしない。でも、校門の柱の陰から突然ひとが出てきたので、思わず「ひゃあー」とマヌケな声を上げてしまった。
「ばあ! って、ごめんごめん!」
手をあわせて拝むようなポーズをしているのは、ありさだった。
「卓球部が解散するところが見えたから、瑞希がいるかなーと思って」
「びっくりした! あれ、今日は森宮さんと一緒じゃないの?」
「うん、ちょっと用事があってね」
ありさはまるで元々待ち合わせの約束をしていたみたいに、私と並んで歩き出した。
「ねぇねぇ瑞希、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「なに?」
「最近、ひかりってちょっと元気ないと思わない?」
ああ、やっぱりありさも気づいてたんだ。そう思いながら私は「そうかも」とお茶をにごした。
森宮さんはお父さんのことで悩んでいて、でもそれを他人には――特にありさには知られたくないのだ。今日言わないと約束したばかりで、でもこうやって話していると、ついうっかり秘密をもらしてしまう気がして心配になる。だから話題を変えてもらえないかなと思っていたけど、ありさはそうしなかった。
「瑞希も気づいてたんじゃない? 気になるよね。何か理由があるんじゃないかと思って聞いてみたんだけど、ひかり、全然教えてくれないんだ」
そう言ってかわいらしく唇をとがらせる。
「そっか……」
「ねぇ、もしかして瑞希、ひかりから何か聞いてない?」
ぎくっ、としてしまった。あまりにピンポイントを突かれて、心臓が軽くジャンプする。
「えー? 何も聞いてないけど」
とっさにそう返したけれど、うそ臭くなかったかどうか怪しい。ありさは「そうぉ?」と小首をかしげる。
「いやさー、ひかりって、瑞希のこと特別信頼してる気がするんだよね」
「そう? そうかなぁ」
こんな場合でも、そう言われるとうれしい。「お姫さま」の森宮さんに「特別」信頼されている、というのはなんていうか、グッとくるものがある。いつもいっしょにいるありさのお墨付きなら、なおさらうれしい。
「そうだよー。なんかさ、瑞希って聞き上手でしょ? で、余計なことはしゃべらないしさ。この子になら大事なこと話しちゃってもいいかなぁって気がするんだよね。だから、ひかりが何か話してないかなぁと思ったんだけど……」
ふいにぴた、とありさが足を止めた。つられて私も立ち止まる。
突然雲が流れて、辺りが一瞬暗くなった。
ありさがまっすぐに私を見つめている。ガラス玉みたいな大きな瞳が、魔法みたいに輝いている。
「ほんとに何も聞いてない?」
少し低いありさの声が、呪文のように聞こえる。
頭の中に何かがするっと入ってくるような感じがして、ぐらりと視界がゆれる。だれかに脳みその隙間を探られているような気分だ。でも、私の目はありさを見ている。
目が離せない。
雲が切れて、元通りに光がさし始めた。
ありさは私を見ている。真剣な、一歩まちがったら泣き出してしまいそうな顔だ。ああ、とためいきをつきそうになる。この子は本当に森宮さんのことが心配なんだ。森宮さんのことが大好きだから、心配で心配で仕方ないんだ。ありさの気持ちが私の心に直接入ってくるような気がして、ついこっちが泣きたくなってしまう。それくらいこの子は森宮さんのことを想ってるんだ。
いいのだろうか。私なんかが、ありさに、森宮さんのことで隠し事をするなんて。
いくら森宮さんに頼まれたからといって、そんなこと、本当はしてはいけないんじゃないか。
そんなことしたって、森宮さんのためにはならないんじゃないか。むしろ、かえってよくない結果を招いてしまうんじゃないか。
私の中でふたつの声がしていた。「約束を守らなきゃ」という声と、「ありさに協力してもらった方がいい」というもうひとつの声。どちらも私の声だけど、ありさに見つめられているうちに、どんどん二人目の声が大きくなってくる。
「ほんとに何も聞いてない? お願い。あたし、ひかりのこと何でも知りたいの」
ありさがもう一度私に尋ねる。
そのとき、何かがはじけたみたいに、私の両目から予想もしなかった大粒の涙があふれだした。どうしてこうなったのか、どうしていいのかわからない。
「え、ちょ、ちょっと待って、ごめん」
そう言いながら手で顔をこすっていると、ありさは両腕をのばして私をぎゅっと抱きしめた。あたたかくてやわらかくて、いい香りがした。
「よしよし、大丈夫。がんばったね。全部あたしに任せていいんだよ」
そう言いながら、ありさは私の頭をゆっくりとなでた。
「話してくれてありがとね」
「うん」
「ひかりのことは大丈夫だから。あたしがなんとかするから」
「うん」
「瑞希に聞いたって言わないから。あたしと瑞希の秘密にしようね」
「うん」
「あ、もう瑞希の家に着いちゃった。じゃあ、またね!」
「うん、またね」
ありさは手を振って、道の向こうに歩いていく。私も手を振りながら、そのきゃしゃな姿を見送った。
きっと大丈夫だ。約束は守れなかったけど、最初からこうするべきだったんだ。
こうするのが森宮さん――ひかりのためにはいいことなんだ。
とても晴れやかな気持ちだった。私は鼻歌をうたいながら玄関の鍵を開けた。
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