夏-07

『やぁやぁ黒木くん。美女との会食はいかがでしたか?』

 志朗の声はおどけた調子だったが、からかうだけの目的で電話をかけてきたようには思えなかった。神谷とふたりで会っていたことを、なぜ志朗が知っているのかはわからないが、今更問い詰めないことにする。彼が異様な勘の鋭さを発揮するのは、今に始まったことではない。

「何のことですか?」

 試しに問い返すと、案の定『いやだなぁ、神谷さんと何か話をしたんでしょう』と言われた。

「志朗さん、神谷さんが美女かどうか知らないでしょ。顔が見えないんだから」

『まぁボクとキミとじゃ美女の定義が違うかもしれないけど、大体わかるもんですよ。で、どう? 話したでしょ』

 おそらく志朗は何もかもお見通しなのだろう。そう思った黒木は大人しく、神谷と会っていたことを認めた。

 電話の向こうから、志朗の『やっぱりね』という声が聞こえた。

『いやぁ、さっきマンションの管理人に聞いてね。志朗さんとこのでかい人がきれいな女性に逆ナンされてたって』

「なんだ、そんなことだったんですか……」

『ははは。彼女、相当思いつめてた感じだったからね。ボクがあまりにそっけなかったものだから、黒木くんに頼ろうとしたんでしょ。気の毒だねぇ』

 志朗が超自然的な能力を発揮したのではなかったことになぜかほっとしながら、黒木は「彼女の依頼、やっぱり受けないつもりですか」と尋ねた。

『受けないよ。おっそろしいもの。よろしいかね黒木くん。あれはボクのような雑魚が立ち向かっていいようなものじゃない。大体キミもわかってるでしょ。神谷さんに会ったとき、何だかイヤな感じがしたんじゃないの?』

 あまりにも的確に言い当てられて、黒木は言い淀んだ。神谷に対して感じた「厭な感じ」のことは、まだ誰にも、一言も打ち明けていないのだ。

『ほら、図星でしょ。やっぱり黒木くんも、一年もボクのところに通っていると、何かしら感覚が鋭くなるんだろうね。門前の小僧なんとやらというヤツじゃ』

「でも志朗さん、どうしてあんなにすぐ神谷さんを追い返したんですか? ろくに話も聞いていないのに……」

『それでもわかるよ。微かだけど、彼女から「きょう」の気配がしたからね』

「きょう?」

『なんというか、厄みたいなもんよ。そうか、黒木くんには何も説明してないからね。とにかく彼女が持ってきた案件にはまずいものが絡んでる。加賀美さんがどうしてボクなんか紹介したのかわからないけど、あれは本来もっと強いよみごに回すべきものなんですよ。たとえばボクの師匠とかね』

「じゃあ、志朗さんからそのお師匠さんとか、他のよみごの方に話を持ってくというのは」

『それができたら苦労せんのよ。何しろボク、師匠のとこを追い出されてるからね。これでも色々あったんで』

 黒木は一度口をつぐんだ。

 彼は以前志朗から、よみごは本来ごく一部の地域で活動する人々だと聞いたことがある。その地が果たして日本のどこにあるのかは明らかでないが、少なくとも今、彼らが暮らしているこの街でないことは確かだ。黒木が知る限り、志朗は本拠地に戻ることも、他のよみごと連絡をとっていたこともない。追い出されたというのも、まるっきり嘘ではなさそうだ。

 ダメ元だな、と思いながらも、黒木は一度閉じた口を開いた。

「あの、実は神谷さんに色々事情を伺っちゃいまして……」

『わかるわかる。せめてそれをボクに伝えなけりゃ、黒木くんの気が済まんということでしょ』

 志朗はまたもお見通しという風に言った。

『ただ残念ですが黒木くん、ボクは小物だからね。ハードボイルドな映画の主人公じゃない。出会ったばかりのヒロインの依頼に応えて、自分の命を張るのは無理ですよ。彼女にどんな事情があるにせよ、ボクは引き受けない。じゃ、おやすみ』

 一方的に言うと、電話は切れた。黒木はスマートフォンの画面を見ながら溜息をついた。

(とても嬉しそうに笑っていたそうです)

 神谷の声が、黒木の脳裏にこだましていた。苦痛の中にいたはずの神谷の姉が、どうして「嬉しそうに笑っていた」のか――考えれば考えるほど気が滅入った。

 ベッドに寝転がると、黒木はこれまで志朗の事務所を訪れた人たちを思い出そうとした。一度きりの客もいれば、まるでメンテナンスを受けるように定期的に訪れる者もいる。志朗は巻物を「読み」、「何にもありません」と答えることもあれば、何かを「とる」こともある。

 口の中でぶつぶつと呟きながら、客の肩や頭のてっぺんから何かをつまみ取るような仕草をするのだ。つまんだものはその辺に放りだす。志朗によれば「それでいい」のだそうだ。

 神谷の姉と甥の死に関わっているものは、少なくともああやって簡単につまみとることができないものなのだろう。黒木は体を起こし、スマートフォンの画面に神谷の連絡先を表示させながら、彼女に何と話すべきか鬱々と考えていた。

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