夏-05

 この辺りの土地勘がないと神谷が言うので、黒木は彼女を連れて近くの居酒屋に入った。少人数向けの個室があり、真面目な話がしやすいだろうと思ったのだ。相変わらず厭な感覚はあったが、面と向かっていられないほど不愉快というものでもない。

 向い合せに座ったふたりの前に、グラスに入った烏龍茶とお通しが運ばれてくる。店員が去っていった途端、神谷は待っていたとばかりに話し始めた。

「そもそもシロさんにご相談したかったことというのは、私の姉と甥のことなんです。今年の七月に、その」唇が震える。「心中したんです。電車に飛び込んで」

 甥、と聞いて、黒木は神谷が持っていたスニーカーを思い出した。あんなに小さな靴を履いていたのか、と思うと、何とも言い難い気持ちが湧き上がってくる。スニーカーの入った紙袋は、神谷の隣にちょこんと置かれていた。

「それは――ご愁傷様です」

 黒木はそう言って頭を下げた。神谷は「ありがとうございます」と小さな声で応えて、話を続けた。

「こういうことは、他人からはわからないものかもしれませんけど、でも姉は自殺するようなひとではなかったんです。マイペースで、何があってもへこたれなくって……姉が結婚したときなんか相当風当りが強くて、相当辛い思いをしたはずなんですけど、本人は全然そんな様子はなくって、いつも平気な顔をしてたんです。最近は両親との関係もよくなってきて、家庭も思ったよりうまくいってるみたいだし、ほんと、自殺する理由なんか全然見当たらなかったんです」

 一気にそう言うと、神谷は烏龍茶を一口飲んでから、「私とは昔から仲がよくって」と付け加えた。

「私も姉の結婚については正直どうかと思ったんですけど、でも放っておけなくて、ずっと連絡をとってたんです。産まれてみたら甥は本当にかわいかったし、しょっちゅう写真も送ってもらって……なんで」

 テーブルの上で、彼女はぎゅっとこぶしを握りしめた。「本当に何で心中なんてしたのか、わからないんです。それにおかしなこともあって」

 一旦口を閉じるともう一口烏龍茶を飲んで、また話し始める。

「加賀美さんは姉が以前お世話になった方で、葬儀にも来てくださいました。見た目は普通の、優しそうなおばさんという感じの方なんですけど、一部では結構有名な方だそうで――で、その方がシロさんを紹介してくださったんです」

 なるほど、とうなずいてはみせたものの、黒木は「加賀美」という女性のこともよく知らない。志朗と付き合いがあるということ、霊能者ではあるがよみごではないということくらいしかわからない。志朗もまた、わざわざ彼女を黒木に紹介しようとはしなかった。「優しそうな普通のおばさん」という特徴すら、今初めて知ったのだ。

「加賀美さんも、姉と甥の死は普通のものではないとおっしゃっていました。それから、これはよみごが何とかすべきものだとも。加賀美さんはよみごではないから、一時的に遠ざけることはできても、本当に解決することはできないんだそうです。『よみご』という人たちについては、そのとき初めて知りました」

「それでは、加賀美さんはその……心中の原因になったもののことを、知っていたということでしょうか?」

 黒木が尋ねると、神谷はうなずいた。「その様子でした。でも私にはあまり教えてくれなかったんです。とにかくよみごがどうにかすべきだ、と言って。あの、私一応よみごについても調べたんですけど、よくわからなくて」

 黒木も心苦しいほど、「よみご」については知らないのである。ウェブ検索などしたこともあるが、よほどマイナーなものなのだろう、それらしい情報はまるで見当たらなかった。図書館にも赴いたが、それらしい棚を探し、司書に聞いても、資料を見つけることは出来ずじまいだった。

「神谷さんには申し訳ないんですが、さっきお話しした通り、俺もよみごのことについてはよく知らないんです。本当に雑用に雇われているだけでして――」

 ただ、と言いかけて黒木は口をつぐむ。いくら神谷が相手でも、志朗のことを軽々しく話してしまっていいものかどうか。

 よみごの専門は「凶事」である。凶事を予言し、場合によってはそれを退けることができる。

 神谷の姉と甥に起こったことは、明らかに凶事の類だ。加えて加賀美がそう言うならば、やはりこの件は志朗に持ち込まれるべきものである可能性が高い。だが、

(普段ウサギやシカしか捕らない狩人に、でっかいクマを退治してこいって言うようなものでしょう?)

 志朗は電話口でそう言っていた。そのことを思い出すと、黒木はじわりと不安を覚えた。

 志朗の言葉を借りるなら、神谷が持ってきた依頼は「でっかいクマ」なのだ。

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