四年二組-05
放課後は、学校の空気みたいなものがいつもとちょっとちがう。教室にはだれもいなくなって、校庭や体育館や、音楽室がにぎやかになる。
人に会わなくていいから、わたしは放課後がすきだ。
その日はちょうど二階のトイレが工事中で、もう夕方だっていうのに下から工事の音がガンガンきこえていた。校舎のなかは音がよくひびく。
わたしはノートを五冊かかえて、教室にもどってきたところだった。わたしのノートを、「幽霊」がまた勝手にもちだして、昇降口にかくしたのだ。さがしていたら、すっかりおそくなってしまった。
教室がちかづいてくると、トイレのまえの廊下にだれかがぺたんとすわっているのが見えた。
わたしは思わずぎょっとしてしまった。それはありさちゃんだった。
なんでこんな時間にトイレの前なんかにいるんだろう? ありさちゃんはクラス委員だから、先生になにか用事をたのまれて、それで一人だけ帰るのがおそくなったのかもしれない。でも、なんであんなところにすわっているのかがわからない。
ありさちゃんも、わたしを見てぎょっとしたみたいだった。立ち上がりかけたとき、広がったスカートの下からじわじわと水たまりが広がるのが見えた。
なにがあったのか、すぐにはわからなかった。でも、ありさちゃんの顔を見ていたらわかってきた。
ありさちゃんは、トイレに間に合わなかったのだ。たぶん、あの幽霊のうわさのせいで。
本当におどろいた。だって、四年生にもなっておもらしするなんて。しかもそんなことを、よりによってありさちゃんがやらかしてしまうなんて、思ってもみなかったのだ。
だってありさちゃんは優等生で、なんでもできて、四年二組の女王さまなのに。いくらおばけのうわさがこわくたって、下のトイレが工事中でつかえないからって、こんな失敗をするなんて、うそみたいだった。
ありさちゃんはまっしろな顔をしていて、まるで死んだ人みたいに見えた。わたしと目が合うとしくしく泣き始めてしまって、わたしはますますおどろいた。わたしをあんなに困らせておいて、自分はこれだけのことで泣くなんて、そんなことあるんだろうか。おどろいた気持ちがあんまり強かったので、わたしはありさちゃんがきらいなことも、ありさちゃんに怒っていたことも、とっさに忘れてしまった。
「ぞうきんとか、いる?」
そうたずねたことに、わたしは自分でびっくりした。ありさちゃんも「えっ?」っていう顔をした。
言ってしまったものはしかたないので、わたしはトイレに入ると、そうじ用のロッカーからバケツやぞうきんをもってきた。
わたしはだまって床をふいた。ありさちゃんはだれもいない教室に入って、体操服に着がえて出てきた。それから、バケツからぞうきんを一枚とりだすと、わたしといっしょにだまって床をふき始めた。
わたしはまだびっくりしていた。あんなにこわい話が好きだったありさちゃんが、おばけがこわくてトイレに入れなかったなんて。びっくりをひきずっているわたしに、ありさちゃんが突然言った。
「だれにも言わないでよ」
えらそうな言い方だったからちょっといらっとしたけど、わたしは「いいよ」とこたえた。
「でも、わたしの机をひっくり返したり、ものをかくしたりする幽霊がいたら、もうやめるように言っといてくれる?」
ありさちゃんはちょっとだまって、「わかった」とこたえた。
運よくだれも三階にこないうちに、わたしたちはそうじを終わらせることができた。バケツを片付けにトイレのなかに入ると、入り口にいるありさちゃんが、
「ひかりちゃんは、なんで幽霊がこわくないの?」
と言った。
わたしはすぐにナイナイのことを思いうかべた。こわくないおばけを知ってるからだよなんて、言ったら信じてもらえるだろうか。わからなかったので、わたしはなにもこたえずに聞き返した。
「ありさちゃんはこわいの?」
どうなんだろ、と思っていたら、ありさちゃんはこくんとうなずいた。
「こわい話すきなのに、幽霊はこわいの?」
わたしがそう聞くと、「それとこれとは別でしょ」と言われた。
わたしはちょっといい気分だった。ありさちゃんは幽霊をこわがっている。それはありさちゃんが、こわくない幽霊を見たことがないからだ。
その点、わたしにはナイナイがいるからよく知っている。ナイナイが幽霊なのかどうかはわたしにもよくわからないけど、とにかくわたしにはとてもやさしい。ちっともこわくない。
わたしはありさちゃんの秘密を知っただけじゃなく、ありさちゃんが知らないことまで知っているんだ。
「実はね、うちにこわくないおばけがいるの」
そう言うと、ありさちゃんはなんともいえない、へんな顔をする。ちょっとおこってるみたいで、でも目はきらきらして楽しそう。
「それ、ほんと?」
ありさちゃんが言う。
その声を聞いて、わたしはようやく、ありさちゃんも「こわくないおばけ」を見てみたいんだ、と気づく。ありさちゃんは、おばけの話はすきだけど、本物のおばけはこわい。でもやっぱり興味はあるんだ。それにもしも「おばけはこわくない」ってことがわかったら、ひとりでもここのトイレを使えるようになる。
どうしよう。そのときわたしは、ふとお母さんのことを思い出した。
もしもわたしが同じクラスの子を家につれていったら、お母さんはきっとよろこぶ。お友だちをつれてくるってことは、学校でうまくやってるって証拠になるから。しかもそれがありさちゃんみたいな、見た目のかわいい女の子だったら、お母さんはもっとよろこぶはずだ。
「……うちに見にくる?」
わたしがそう言うと、ありさちゃんはちょっととまどった。口元がむずむずっと動いて、たぶん「いい」と言いかけた。
でもその言葉はけっきょく出てこなくて、もう少し待ったあとで、ありさちゃんはとうとう大きくうなずいた。
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