四年二組-06

 つぎの日の放課後、ありさちゃんは本当にわたしの家に来た。

「うわ、ほんとにおばけ出そう」

 団地の前に立ったありさちゃんはそう言って、それから「まずい」って顔でわたしの方をちらっと見た。トイレのことがあってから、ありさちゃんはわたしにニコニコ笑いかけなくなった。

 実際おばけ屋敷みたいなボロなので、わたしはなんとも思わない。でもナイナイは団地に住んでたおばけじゃなくて、前の家からつれてきたおばけだから、この団地のボロさは関係ないけれど。

 わたしが思っていたとおり、お母さんはありさちゃんを見るとすごくよろこんだ。こんなにうれしそうなお母さんを見たのはひさしぶりだ。

 きっとわたしが「学校でうまくやっている」んだと思ったんだろう。同じクラスの女の子が、それもかわいくてお行儀のいい子があそびにきてくれたんだから。

「ちらかってるけど、どうぞ」

 お母さんはやさしい声でそう言ってから、わたしにこっそり、リビングにはぜったい入れないでよ、とこわい顔をした。

 リビングは昨日、お母さんが怒ってめちゃくちゃにちらかしたから、まだきれいになっていないのだ。落としたものなんかはわたしがもとに戻したけど、切りさいたカーテンはどうにもならない。

「おじゃましまーす」

 ありさちゃんはお母さんの左腕がないのを見て、ちょっとおどろいたみたいだったけど、にっこり笑ってお手本みたいなあいさつをした。くつもきちんとそろえて置いた。

 どっちみちリビングになんか用がない。わたしはありさちゃんを、わたしの部屋までまっすぐつれていった。

 ありさちゃんは、今度は「せま」と言った。でも、お母さんがジュースを持ってきたときはまたにこにこしていた。

「どこに出るの? おばけ」

「そこの押入れ」

 わたしはそう言って、ありさちゃんの後ろを指さした。ありさちゃんは「いっ」と声をあげてとびのいた。

「どういうのが出るの?」

「なんか……影みたいなやつ」

 わたしはそう言いながら、やっぱりやめておけばよかったかもしれない、と後悔した。

 見せ物みたいにされたら、ナイナイはいやがるかもしれない。わたしのことをきらいになるかもしれない。

 もしもナイナイがいなくなってしまったらどうしよう。

 ありさちゃんが家に来たいって言ったときは、正直ちょっとおもしろいと思った。ナイナイを見たらなんて言うかも気になった。でも、今は心配だ。

 ありさちゃんにナイナイのことがわかるかどうかはわからないけど、最近ナイナイはまた手ざわりがはっきりしてきて、ぷつぷつと声みたいなものまで聞こえるようになった。もしもざしきわらしみたいに「子どもにだけわかるもの」なんだとしたら、ありさちゃんにもナイナイのことがわかるはずだ。わたしとありさちゃんは同級生なんだから。

 押入れはしずかだった。なんの音もしなかった。

 わたしはためしに「ナイナイ」と声をかけてみた。中でナイナイが動いたのが、わたしにはわかった。

「なにそれ、おばけの名前?」

「うん」

 名前がこわくなかったせいかもしれない。ありさちゃんはちょっと余裕っぽく笑ってみせた。

「中、見てみる?」

「うん」

 ありさちゃんはバッグからスマホを出して、カメラモードにした。

 そういえば、ナイナイは写真に写るんだろうか? やったことがないからわからない。押入れの中は暗いけれど、それでも写真にとったらなにかわかるだろうか?

「じゃあ、開けるね」

 わたしは思いきって押入れを開けた。

 中にはふとんとか、荷物の入った段ボール箱が入っているだけだ。ナイナイの姿は、明るいところではわからない。

「なんにもないじゃん」

 ありさちゃんはそう言いながら、とりあえず写真はとっている。

「暗くないとわかんないよ。中に入って、ここを閉めないと」

 わたしが言うと、ありさちゃんの顔がひきつった。

「どうする?」

 ありさちゃんはわたしの顔をちらっと見て、それから窓の外を見た。まだ明るい。日が沈むまでには時間がある。だったら大丈夫だと思ったのか、

「じゃあ、入ってみる」

 と言った。

 ありさちゃんが押入れに全身を入れたのを見て、わたしはふすまに手をかける。

「じゃあ閉めるね」

 ナイナイは大丈夫かな。どきどきする。でも、もうあとに引けない。「やっぱり帰って」なんて言ったら、またありさちゃんは機嫌がわるくなって、「幽霊」がわたしの持ち物を隠したり、汚したりするようになるかもしれない。おもらしのことをばらしても、わたしのうそだと言いはられたら、だれにも信じてもらえないかもしれない。

 でも、ナイナイだけはわたしの味方だと思う。きっとわたしを助けてくれる。

 おねがい、ナイナイ。いなくなったりしないで。

 心のなかで祈りながら、わたしはふすまを閉めた。

「なんにもないよ」

 ありさちゃんの声がした。

「そう」

 わたしはがっかりして、心配になった。

 やっぱりわたしが勝手にひとを連れてきたから、ナイナイはわたしに怒ってどこかに行ってしまったのかもしれない。胸がきゅっとなる。

 そのときふすまの向こうから「あっ」とありさちゃんの声がした。

「なんかある、なにこれ」

 ごそごそ、と動く気配がして、それから、ものすごい声がした。

「ぎいいぃぃぃいーーー」みたいな、頭のてっぺんから出るみたいな声。

 ありさちゃんの声だと、すぐにはわからなかった。

「いやー! あけて! あけて! あけて!」

 ふすまがどん! どん! と押された。わたしはとっさに外からふすまをおさえた。どうしてそんなことをしたのか、よくわからない。でも、そうしないとだめなんだと思った。

「出して! おかあさん! おかあさん!」

 ばたばたとあちこちに手足のあたる音がする。

 わたしは夢中でふすまを押さえながら、頭のなかがぐちゃぐちゃになっていった。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。

 ありさちゃん。

 ナイナイ。

 だんだんなんにもわからなくなって、押入れの中にいるみたいに、目の前がどんどん暗くなっていく。


「ひかり! 起きて!」

 だれかに肩をゆさぶられて目が覚めた。窓の外に夕焼けが見えた。

 部屋はもうかなり暗くなっていた。わたしは押入れの前にたおれていた。

 わたしをゆさぶっていたのは、ありさちゃんだ。

「あっ、起きた。よかったぁ。ひかり、寝ちゃってたんだよ」

 ありさちゃんはいつもみたいに明るい声で言って、わたしの頭をぽんぽんとたたいた。

「きっとつかれてたんだね。あたし、もう帰るね!」

 そう言うとありさちゃんは、さっさと部屋を出て行ってしまった。途中でリビングから顔を出したお母さんにも、「おじゃましましたー」と声をかけた。

 あんなにさわいだはずなのに、お母さんは何も言わなかった。「また来てねー」と、ごきげんでありさちゃんを見おくる。

「ひかり、またあした学校でね。じゃあね!」

 ふつうに仲のいい友だちみたいに手をふって、ありさちゃんは家を出ていってしまった。

 わたしはぽかんとしてそれを見送った。それからすぐにナイナイのことを思い出した。

(ナイナイ!)

 押入れに入ってふすまを閉めると、いつもみたいな真っ暗やみになった。でも、ナイナイはいなかった。


 その日からナイナイは、押入れの中からいなくなってしまったのだ。

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