エピローグ「愛する人を蘇らせてあげる」

 春の陽気のような冬の朝。

 絵は河川敷を歩いていた。

 その少し後ろには香織がついてくる。

 太腿の怪我はだいぶ良くなったようで、歩き方に違和感はない。

 両腕に抱くのはワラビとシラタマ。

 シラタマは両前足に包帯を巻いているのが痛々しいが、大好きな香織に抱っこしてもらて嬉しそうに瞳を細めていた。

「この辺かな」

 絵が足を止めると、香織も足を止めた。

「ちょっと離れていてください。ゲート発生時が一番危険なんです」

 スマホを取り出すと、カメラ部分の眼球が何もない広い空間を見つめる。

 すると、空間が横に裂け、瞼が開くように母星へと繋がるゲートが出来上がった。

「本当にお別れなのね」

 香織は風に靡く髪を押さえながら口を開いた。

「短い間でしたがありがとうございました。それとたくさんのご迷惑をかけてしまって申し訳ありません」

 戦いは終わった。マオウは蘇ることなく、大きな代償を払いながらも勝利を迎えることができた。

 帰るまで非難の冷水を浴びる事を覚悟していたのだが、誰からも、それこそガス爆発に巻き込まれた猫カフェの店主やマオウに襲われた入院患者からもそんな素振りはなく、事情聴取に来た警察官もお見舞いに来たようにこちらの体調を心配してくれた。

「謝らないで。確かに沢山の出来事があったけれどもう過ぎたことよ。それに絵のせいではないわ」

 香織の言葉に、ほんの少しだけ胸が痛む。

「気持ちが落ち着くまで、ゆっくりしてもいいのよ」

 立ち止まっていた絵を見た香織がそんな言葉をかける。

「いえ。ここでやる事は全て終わりました」

 スケッチブックから紙を一枚切り離す。

「これを受け取ってください」

 香織に渡したのは、一枚の絵だった。

 中心には、ワラビを抱きながら微笑んで立つ香織。

 足元には香織に親しみを込めた視線を送るキナコとシラタマガいた。

「いい絵。みんな生き生きしてる。ほらシラタマもワラビも見て。二人も描かれているわよ」

 幸せな空気を壊すのも野暮だと、絵は頭だけを下げてゲートを潜ろうとする。

「絵!」

 潜る直前香織に呼び止められた。

 体温が間近に感じられ抗い難き甘い香りと共に、梵天のような声が耳朶をくすぐる。

「楽しいお芝居だったわ。

 知る由もない秘密を告げられ慌てて振り向くと香織はゲートから離れたところで、こちらに手を振っていた。

 勘違いだったのだろうか。しかし嗅覚や聴覚で感じた感覚は本物だった。

 どうしても気になってしまい、ゲートに入ってから、もう一度だけ振り返る。

 閉じていくゲートの隙間から見えたのは、香織がこちらに背中を見せて歩き、ワラビを抱いているのか、肘から下は背中に隠れて見えない。

 その足元をシラタマとが身体を擦り寄せるように歩いていた。

「なるほど、そういうことか」

 絵は納得すると、母星であるを目指してゲートの出口目指して真っ直ぐ進んでいく。


薄暗い廊下にゆったりとした靴音が響く。

既に電力の供給が絶たれて十年以上経った廃校を歩くのは、高校の制服を着た青年。

海底を漂う海藻のような黒髪に童顔の組み合わせは間近から見ても女性に見間違えるほど。

しかし、華奢でありながら脂肪の少ない筋肉質な身体からはひ弱さを感じさせない。

少年は楽しいことがあったのか、終始笑顔で薄暗い階段を登り、手首に包帯を巻いた手で屋上への扉を開けた。

「おかえり!」

ベンチに座る絵は背中を見せたまま、一心不乱に創造していたが、いつもの事なので気にする事なく、顔に髪がかかった状態で話しかけ続ける。

「どうやらいい収穫あったみたいだね。僕にも見せてよ––––おっと」

絵は覗き込んできた青年に鉛筆の先端を突きつける。

「冗談やめてよ。ボク先端恐怖症なんだから」

「その冗談はつまらないな。佳肴かこう

見た目は絵の方が年上だが、まるで同級生の親友のように砕けた口調。

「ええ? ボク的には最高傑作だと思ったんだけどなぁ」

「毎日楽しそうで羨ましいよ」

佳肴は真珠のような歯を見せて笑う。

「楽しいに決まってるんじゃん。下界の生き物達の行動力は見ててワクワクしてくる!」

「あっそう。幸せそうで何より」

「絵だって今幸せじゃん」

「なんでそう思う?」

「いい戦力を手に入れた時は、すごい集中して描き上げる。それこそ食べる事眠る事だけじゃなく、トイレにも行かなくなる」

「分かってるなら邪魔しないでくれ」

絵は佳肴からの視線を感じても、無視して描く事に集中した。

「どうせ途中でやめないから勝手に喋るよ〜」

佳肴は隣に座ると、返事がなくても構わずに喋り続けていく。

「あっちは猫と人間いっぱいで賑やかだだったな〜。絵も温もりに癒されて、いい気分転換にもなったよね」

思い出を話す佳肴。

「気分転換? そんな悠長な事している暇なんてない」

「え〜そう? あの女の人に抱きしめられて蕩けたチーズみたいな顔……あっと鉛筆向けるのはなし。向けたら認めたってことだから」

佳肴は小指の欠けた左手を、盾にするように前に出した。

反撃の糸口を失った絵は、前に出された左手を気にすることもなく描く事を再開しながら口を開く。

「香織、あの女性は君と同類だろ」

「うんそうだよ」

佳肴は隠そうともせずに即答した。

「事前に言え。なんて言いっこなしね」

「どうせ秘密にしたほうが楽しい事になりそうって考えたたんだろう」

「えへへ〜正解」

「彼女と違ってお前は次の行動が読みやすいからな」

「何それ? ボクのこと馬鹿だって言ってるんでしょ」

「おい!」

佳肴に押し倒され、持っていた鉛筆に練り消しゴムとスケッチブック。そしてポケットからスマホが瞳の部分を上にして落ちる。

「ボクの機嫌を悪くしていいのかな? 約束破っちゃうぞ〜」

 眉を釣り上げて迫るが、絵は冷静に返した。

「お前はそんな事しないよ。自分が楽しい事を優先する奴だからな。自分から楽しみを潰したりはしない」

それを聞いた佳肴は真顔になって破顔一笑する。

「えへへ。正解。流石人間で一番ボクのこと分かってるだけはある」

佳肴が絵の上から退いていく。

「なあ。聞きたいんだが」

絵は落ちた鉛筆などを拾いながら質問。

「んー何〜?」

「なんで身体再生しないんだ」

絵が佳肴の髪をかきあげると、右の瞳があるはずのそこにはブラックホールのような深淵が口を開けていた。

「それは楽しいからだよ。片目だと視野が狭くなるし、皮膚を剥がしたところは毎日痛いし、小指がないと意外と物を掴むのが難しい。でもその不自由が楽しいんだ。だから絵。早く新しく手に入れた力を解放してよ。時が止まったままの世界が一番つまらない!」

佳肴は今にも手と手を合わせようとしている。

「分かった分かった。もう完成する」

「早くしないと手を叩いちゃうよ〜。そしたら奴ら、一斉に襲ってきちゃうよ」

佳肴の言う通り、周囲は全て囲まれていて蟻の這い出す隙間もない。

例え一対一だとしても、勝ち目はない事は知っていた。

だからこそ、新しい力を手に入れたのだ。

侵略者を絶滅させる強力な力を。

「よし出来た!」

絵は練り消しゴムで余計な線を消すと立ち上がり、折角描いた作品に指を這わせていく。

鉛筆画はスケッチブックから消えると、手の中で黒い粒子となる。

その粒子を放ると空中で一つに纏まり、人の形を作り出した。

「相変わらず絵が上手いよね」

「どうも」

絵と佳肴の前に現れたのは、変身したシラタマとキナコ

もちろん本人ではないし意思はない。

絵は、今まで体験してきた生傷のような記憶を形にする事で、その力を自分の配下にすることができる。

「準備は出来たかな」

「待った。もう一体召喚してからだ」

最後に召喚したのは、絵の命を何度も狙ったマオウ。

ローブを羽織ったマオウは隙間から白い蛇を出す。もちろんその標的は絵ではない。

「いつでもいいぞ」

「じゃあ時を動かすよ」

佳肴が軽く手を叩くと、止まっていた時が動き出した。

日本列島を覆う落花生のような宇宙船から、無数に降下してくるのは鳥の嘴を持つ機械狩人の群れ。

既に侵略者の獲物である人間は絵を残して全滅している。

「こっちに向かってくる数は約一万。せいぜいボクを楽しませてね」

「分かってる。奴らを絶滅させるところを特等席で見てるんだな」

絵に殺到していた機械狩人達は他の世界で手に入れたヒーロー達が足止めしていた。

「シラタマ、キナコ、マオウ。お前達であの宇宙船に侵入し、侵略者全員の息の根を止めろ」

マオウの背中にシラタマとキナコが飛び乗る。

宇宙船に向かう直前、シラタマがこっちを向いて僅かに頷いたような気がした。

確認する間も無く、シラタマとキナコを背中に乗せたマオウは宇宙船に突入していった。

佳肴は一人、空から全てを見下ろす。

「本当、脆くて非力なくせに何かを成し遂げようとすると、人を偽ることも利用する事も平然とやってのけるんだから。でもそんな君が大好きだよペンシルペインター」


––完––





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ペンシルペインター 七乃はふと @hahuto

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