第53話 これからの二人のこと

 ヘイルズ家に着いたのは、夕日もすっかり落ちて辺りが暗くなってからだった。

予想通り、ゲイリーもエレノアも心配して、玄関で待っていた。

 だけど帰るなりルークが「話がある」と言って、二人を部屋に連れ込んで、いきなり家族会議が始まってしまった。


「エマと結婚しようと思う」

 そうルークが言った時、正直エマはもっと揉めると思った。

 なんと言ってもヘイルズ家は超上流貴族で、エマのバートン家とは身分違いなのだ。


 だけど、予想に反して答えはとてもあっさりしたものだった。

「ああ、そうか。やっとするのか」

 ゲイリーの言葉にエレノアも頷いた。

「花嫁修行も終わっているし、明日から準備すればいいわね」

「話はこれで終わりか?」

 早く休みたいという気持ちを隠しもしない二人の返事はあまりにもあっさりしすぎて、エマは拍子抜けした。


 それより、花嫁修行が終わっているってどう言うことだ?と隣のルークを見上げた。ルークが目線で黙ってとエマに言うから、とりあえず口を閉じることにした。


 ゲイリーとエレノアが気にしたのは、エマの仕事と、結婚時期だけで、それ以外は好きにすればという感じだった。

「仕事についてはパトリシア王女とよく相談して」

「急に辞めるのは困るから、時期を見て辞めなさい」

 言うだけ言って、二人が席を立って自室に戻ろうとした時、事件が起きた。


 エレノアが思い出したようにルークを振り返った。

「そうだ。それなら今日からエマは私の隣の部屋に移りなさい」

「は?」

 それにゲイリーも頷いた。

「ああ、そうだな。結婚まではそうしなさい」

 エマが黙って頷こうとした時、それに猛烈に反発する人が現れた。


 他でもないルークだった。


 ルークは必死になって両親相手に話し合いをして……実際、あんなに鬼気迫る様子で熱弁するルークは見たことがなかった。

 その様子にエマは四年生の時の魔法学校の学内討論会を思い出した。


 魔法学校の学内討論会は四年生から参加できる。四年生でルークが初めて参加した時、並みいる上級生を全員打ち負かして優勝した。

 でもその時だって、今日ほどの勢いはなかった気がする。


 夜遅くに完全理論武装して意見を言う息子に、ゲイリーもエレノアもうんざりした顔をしたけれど、最後はルークの意見を通してくれた。

 で、結局エマは今まで通り、ルークの隣の部屋で暮らすことになった。


 確かにルークの気持ちもわかる。

 ヘイルズ家は大きいからゲイリー達が住む場所とルークやエマが住む場所はかなり離れている。今までみたいに行きたい時に行き来はできないし、エレノアの隣の部屋だとルークが長い時間過ごすことは難しいだろう。


 でもケジメをつけると言う意味では仕方ないし、エマとしてはどっちでもいい。

 だから討論で疲れた様子のルークに、エマはそっと声を掛けた。ただでさえ疲れているのに、これ以上疲れさせるのはよくない。

「私、エレノアの隣の部屋でいいのよ」

「……君は黙ってて」


 ゲイリーとエレノアも話し疲れてため息をつきながらルークを見た。

「お前を信用していないわけではないが、周りの目もあるから、結婚式でエマが神に誓うときに気まずい思いをしないようにしなさい」

「………わかっていますよ」

 それを聞いてエマは首を傾げる。

 意味がわからなくて苦い顔をしているルークへ顔を向ける。

「気まずい思いって?」

「………君はわからなくていい」

 エマの質問にルークの顔はさらに苦いものになった。




 そして言葉通り、ルークは王宮に出す結婚申請書をその夜のうちに書き上げた。

 翌日の朝にパトリシアに結婚することを告げたら、パトリシアはほっとしたような、でも苦い顔をした。

「おめでとうと言いたいところだけど、エマは仕事を続けていいんでしょう?」

「3ヶ月後に正式に結婚式をするまではいいと思っていますよ」

「……随分早いじゃない」

「善は急げと言いますからね」

 パトリシアは苦い顔をしながらも、結婚申請書の書類にサインしてくれた。

 サインを終えた後でパトリシアがエマを見て微笑む。

「おめでとう、エマ」

 なんだか恥ずかしくて、エマはぎこちない笑顔を返してしまった。




 その日の午後、王妃の部屋の帰りに廊下を歩いていると、以前も見かけた庭園の椅子に王太子が座っているのが見えた。

 少し迷ったけれど、エマは皇太子に声をかけた。


「休憩ですか?」

 以前と同じように座って足を組んで頬杖をついていた皇太子はエマの声に顔を上げた。その表情からは、人に声をかけられると思っていなかったのだとわかる。

 だけどエマの顔を見て、微笑んだ。


「そうだよ。エマも一緒に休んでいくといい」

 そう言って隣をすすめられて、少し悩んだ後で、エマは隣に座った。

 皇太子はそれに目を細めると、前をじっと見つめた。エマも同じように隣で前を見た。



「結婚のこと、聞いたよ。ルークから」

 とても静かな声で皇太子は言って、エマが頷いたのを見て寂しそうに笑った。

 それを見て、エマも俯く。



 エマだって忘れたわけではない。


 一番大切に思う側妃にする。


 あれは皇太子なりに、エマの立場や環境を考えて、最大限にエマを守って言ってくれた言葉だとちゃんとわかる。

 だけど、結果として、それに応えることはできなかったのだ。



「やっぱり、女性は自分一人を見てくれる人の方がいいのかな?」

「え?」

「側妃では、嫌だった?」

 じっと見つめられて、エマは返事に困る。


 答えはそのどれでもない。

 強いて言うなら、相手がルークだったからで。

 ルークだから、エマは結婚しようと思ったのだ。


 それ以上でも、それ以下でもない。



「あの、そう言うことではなくて」

 エマは頭の中を整理しながら答える。

「側妃が嫌とかではないです。自分一人を見てくれる人がいいと言うのはありますけど、でもそれも違うというか……」

 考えながら話しているけれど、うまく言えない。自分でももどかしい。

 エマは皇太子の目を見て、口を開く。


「私、ずっとルークのことが好きでした。だからそれ以外の人なんて、考えられなかったんです。好きとか嫌いとか、そう言うことではないんです」

 一度言葉を止めて、もう一度口を開く。

「答えは、ルークだったから、なんです」


 皇太子はそれを聞いて目を丸くして、それからふっと笑った。

「もし私が皇太子でなかったら、もっと格好悪くても、思い切りエマに思いを告げることもできたのにな」

 そう、寂しそうに笑って視線を逸らす。

「ルークからエマを奪えるくらい、がむしゃらにね」


 王族なんて困ることばかりだね。


 ぽつりと呟いた言葉に、エマも悲しくなる。

 だからエマは皇太子に元気になってほしいと口を開く。


「でも、私にとって皇太子様は皇太子様だし、これからもずっと、大切な人です……幸せを願っています」


 それを聞いて、皇太子はとても嬉しそうに笑った。

 その華やかな微笑みはいつもの気品溢れる貴公子然とした笑顔よりもずっと、素敵だった。


 その笑顔のまま前を見て、そして困ったように息を吐いた。

「意識されていないってこともわかるけど、……まだ頑張る余地があるのかもしれないな」

 そう独り言のように呟いて、そして立ち上がってエマを振り返る。


「仕事はすぐに辞めないよね?」

「ええと、ひとまず結婚するまでは続けます」

「いつ頃結婚になりそうかな?」

「ルークは3ヶ月って言ってますけど、まだ申請も降りていないので、いつになるのかは……」

 それを聞いて皇太子は片眉を上げた。

 ほんの少し考えるような顔になる。


 だけどすぐに、にこりと微笑むとエマを見た。

「そう。じゃあ、それまでは毎日会えるね」

「あ、はい」

「朝のお茶会は私の数少ない楽しみの一つだからね。なくなるのは寂しいよ」

 そう言ってもう一度微笑むとそこから去っていった。



 皇太子の後ろ姿を見送ってエマも戻ろうとしたら、庭園から廊下に続くドアのところにルークが立っていた。

 腕を組んで壁に寄りかかっているところを見ると、それなりに長い時間そこにいたようだ。

「もしかして、見てたの?」

「まあ、そうだね」

 ルークは壁から体を起こすと、エマの頭をコツンと優しく叩いた。

「来てくれてもよかったのに」

「変な様子になりそうだったら、すぐに行こうと思ったけど、そんなことはなさそうだったし……僕は心が広いからね」

 肩をすくめると、エマを見た。

「君も話をしたかっただろう?」


 気遣うような視線に、エマは小さく頷いた。

 自分を大切に思ってくれた人を、やっぱり大切にしたい。

 このままになってしまうのは嫌だったから、ちゃんと話をしたかった。

 だから、これはきっとエマの気持ちをルークが察してくれたのだとわかる。

「ありがとう」

 ルークは小さく笑って、そっとエマを抱きしめた。

 エマは慌ててそれから逃げようとする。

「人が見てる」

「見てないよ」

 ルークは腕に力を込めると、エマの肩に額をつけて、大きく息を吐いた。

 ものすごくホッとした、と伝わるような様子に、エマの気持ちがぐらつく。

 もしかしたら、本当はものすごく心配していたのかもしれない。

「心配かけて、ごめん」

 そう言ってルークの背を撫でたら、黙って頷いたのがわかった。



 だけど、少しして急に小言を言い始めた。

「でも君の態度も良くない。いくらなんでも皇太子の隣に座るなんて誤解される。僕だって隣になんか座ったりしない」

「え、そうなの?だって」

 皇太子が以前、ルークなら座るって言っていたのだ。

 口を開いたけれど、今の勢いで言い返せるはずもない。

「これからは皇太子とも一定の距離を置くように」

「……はい」

「どうして不満そうなの?」

 じっと見下ろすルークにエマはつい不満げに言い返した。

「心が広いんじゃなかったの?」

「時と場合による」


 エマは思わず顔をしかめる。

「全く、君といるとなかなか静かにならないな」

「なによ、それ。別に私だってうるさくしようなんて思っていないわよ」

 思わず言い返すと、ルークはそれに苦笑いした。

「まあ、君といると楽しいからいいけど」


 言われた内容に驚いてエマがルークを見上げると、ルークは肩をすくめて見返した。

「なに?おかしなことだった?」

「いや、そんなこと言うなんて思わなかったから」

「なにそれ」

 ルークは笑って前を見た。

「ケンカもするけどこうして君と過ごすのは楽しいし、他の誰と過ごすより好きだ。だから、ちょっと後悔している」

「後悔?」

「変な意地張ってないで、さっさと君に好きだって言えばよかった。そうしたら、君と学生の時から一緒に過ごせたし……それに学校生活ももっと楽しかったと思う。だから残念なことをしたなって思うよ」

 風が吹いてふわりと広がったエマの髪に触れて、蕩けるような甘い顔をする。

「きっと、恋人同士で過ごす学生生活も楽しかったと思うよ」


 エマの胸が大きく跳ねた。



 もし、学生の時にこうしていたら、

 確かにもっと違う、たくさんの思い出ができたかもしれない。

 きっと、ものすごく甘い思い出が。


 そう考えたらなんだか胸がいっぱいになった。


「あ、あの」

 まだ自分からルークに触れるのは慣れないけど、エマは勇気を振り絞ってルークの手をぎゅっと握りしめる。

「じゃ、じゃあ……」

「なに?」

「い、今からでも、いいよね。今から学生の時の分も、たくさん一緒に過ごせば」

 ルークの顔がエマへ向く。その目が丸くなった。



 その顔を見たら、初めてエマがルークと話した時のことを思い出した。

 あの時のルークの顔と同じように、驚いて目を丸くしていた。

 よく考えたら、あの時となにも変わらない。

 ルークも、エマも。



「これからもずっと二人で一緒にいたら、もっと楽しい思い出が増えるよね」



 ルークがエマをじっと見つめた。

 少し間を置いて、顔を綻ばせた。

 なんだか見ているエマが泣きたくなるくらい、綺麗な笑顔だった。


 それを見たら、ルークを思い切り抱きしめたい気持ちになった。

 抱きしめて、大好きだと伝えたくなった。



「そうだね、君の言う通りだね」

 ルークはそう言って手を握り返した。

「結婚したらもっと楽しくなるって考えたら、楽しみだな」

 そして二人で微笑み合う。



 視線があって、ルークが素早く顔を近寄せると、

 小さな音を立ててエマの唇にキスをした。


 王宮でそんなことをされてエマは目を丸くして、急いで辺りを見渡した。

「だから、誰も見てないって」

「だからってこんなところでこんなことを!」

「だって、君がして欲しそうな顔をするから」

「だからってこんなところですることじゃない」

 エマがキョロキョロしていると、ルークが呆れたような声を出した。



「これくらいならいいだろ?……さすがに二人の時にするキスはこんなところでしないよ」



 それにエマは今度こそ真っ赤になった。

 人前でなんてことを言うのだ。


 確かに人目がある時にするものと、二人で部屋でくつろいでいる時にするのが違うのはわかっている。

 まだ、数回だけど、エマにだってそれはわかる。

 ああ、でも、そんなことじゃない。

 だけど、そんなのここで言ってほしくない。



 ルークは赤くなって立ち尽くすエマを見て笑う。

「ほら、機嫌直して。行くよ」

 そう言って手を引いた。


 顔を真っ赤にしながらエマはその手をしっかりと握り返した。





 ただ、物事は思い通りにならないもので

 エマはその後も相変わらず事件に巻き込まれて、ルークはそれに文句を言いながらも、エマを助けることになる。

 結果として、頭脳も剣術も魔術も誰にも負けないルークが側にいることで、エマは守られた。



 そして二人が結婚するまでには、これから予想外に3ヶ月以上の時間がかかる。


 その理由は皇太子が忙しいせいで国に申請した結婚許可がなかなか降りなかったことや、

 パトリシアが結婚するかどうかで大揉めに揉めたことが関係するけれど

 それはまた別の話だ。

 もちろん、皇太子が本当に忙しかったかは、本人にしかわからない。



 それからも二人は相変わらず、ケンカを繰り返した。

 だけど、ケンカをした後には、必ずその前よりも仲良くなった。


 それは、言葉以外の仲直りの方法を二人が知ったからかもしれない。



 色々あるけれど、二人はお互いが大好きなのだ。




 <完>




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非恋愛関係〜私が彼に抱いているのは絶対に恋愛感情ではない 史音 @shion0102

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